九州大学
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目次 |
概観
大学全体
九州大学は、1949年に旧制九州大学等を包括して設置された国立大学である。1867年に設立された賛生館を起源とする九州帝国大学を直接の母体としている。2003年に九州芸術工科大学を吸収、2004年に国立大学法人による設置へと移行した。
憲章
九州大学には特に建学の精神は定められていないが、「九州大学教育憲章」「九州大学学術憲章」が存在する。
教育および研究
九州大学では1970年代、大学院への要請が多様化してきたことに対応するため、「学際大学院」構想を進め<ref>1977年11月29日に将来計画小委員会により「九州大学学際大学院構想について」が評議会に提出され、翌1978年1月17日に同構想が承認されている。九州大学年表 (昭和45年~昭和54年)参照。</ref>、1979年4月に総合理工学研究科(現総合理工学研究院)を設置している。
1991年、キャンパスの統合移転計画が決定すると、1998年に「改革の大綱案」を定め、優秀な研究者の養成と研究レベルの向上を目的とする大学院重点化を行い、2000年に学府・研究院制度を導入した。この制度は研究機関としての大学院組織を「研究院」、教育機関としての大学院組織を「学府」に分離するもので、必要に応じて簡易に組織改編ができるようになり、研究院には教員が、学府には大学院生が、学部には学部生が所属し、教員が学府や学部に出向する形で教育を行う。なお、基本的に研究院長が学府長・学部長を兼務する。2006年3月現在、この制度が全学的に導入されているのは九州大学だけであるが、部分的にはいくつかの大学で導入されている。
沿革
略歴
1867年、当時福岡を統治していた黒田藩は賛生館という医学教育を行う藩校を天神に設立した。1872年に学制が施行されるといったん廃校となったものの附属病院はその間も継続した。同病院は1874年に修猷館の附属診療所となり、1879年には福岡県立福岡医学校の附属病院へ改組された。福岡県立福岡医学校が廃校となった後は福岡県立福岡病院として存続することになる(1896年6月22日、現在の病院地区である福岡県筑紫郡千代村に移転)。
1886年に帝国大学令が公布されると九州に帝国大学を設置する機運が高まり、1900年1月29日の第14帝国議会において「九州東北帝国大学設置建議案」が可決された。建議案の可決後も古くから医学の盛んだった長崎県や第五高等学校が設置されていた熊本県との間で誘致の綱引きが行われていたが、結局は賛生館の流れを汲む福岡県立福岡病院を母体に京都帝国大学の分科大学として福岡医科大学が設置された。
その後は資金難により九州帝国大学の設置は進まなかったが、古河財閥から1906年に「福岡工科大学、仙台理科大学、札幌農科大学」の建物建設へ寄付の申し出があり、設置の動きが高まることとなる。古河財閥の寄付金約100万円のうち6割ほどが九州帝国大学工科大学校舎建設の資金として当てられ、さらに福岡県の寄付金によって1911年1月1日に九州帝国大学が設立された。残りの4割は札幌農学校の東北帝国大学農科大学昇格(1907年9月)と東北帝大理科大学新設(1911年1月1日)のために用いられている。
こうした経緯から九州大学では創立年を賛生館の設立した1867年、大学設置年を九州帝国大学として独立設置された1911年としている。
1947年に帝国大学令が国立総合大学令に改められると九州大学と改称した。1949年には福岡地区に所在していた旧制九州大学、九州大学附属医学専門部、福岡高等学校、久留米工業専門学校を包括して新制九州大学が設置された。旧福岡高等学校の施設と教員は九州大学第一分校(1955年第二分校と統合し九州大学分校、1963年より教養部)に引き継がれ、旧久留米工業専門学校は第二分校(1955年第一分校との統合により廃止)が設置され、旧陸軍歩兵第四十八連隊兵舎跡に第三分校(1951年廃止)が置かれた。
2003年には国立大学法人化を視野に入れ、法律第29号により九州芸術工科大学を吸収。2004年には国立大学法人法の規定により、国による直接設置から国立大学法人による設置へと移行した。
年表
- 1867年 黒田藩が賛生館を設立。
- 1903年4月1日 京都帝国大学医科大学が京都帝国大学京都医科大学と京都帝国大学福岡医科大学に分割され、後者が福岡に設置された(授業開始は9月16日)。
- 1911年1月1日 九州帝国大学創立。分科大学としてと工科大学を設置。
- 1911年4月1日 京都帝国大学福岡医科大学が九州帝国大学に移管。
- 1919年 帝国大学令が改正され、各分科大学は医学部、工学部になり農学部を設置。
- 1924年 法文学部を設置、2名の女子学生を受け入れ。
- 1939年 理学部を設置。
- 1947年 帝国大学令が国立総合大学令に改められ、九州大学と改称。
- 1949年 法文学部を文学部・法学部・経済学部に改組、文学部から教育学部が分離、福岡高等学校・久留米工業専門学校・旧制九州大学を統合して新制九州大学へ移行、分校設置。
- 1953年 新制大学院を設置。
- 1963年 分校を改組し教養部を設置。
- 1964年 薬学部を設置。
- 1967年 歯学部を設置。
- 1968年 芸術工学部の前身である九州芸術工科大学が開設。
- 1994年 教養部を廃止する。
- 1997年 医学系研究科および工学研究科から大学院重点化開始。
- 2000年 大学院重点化の完了ともに学府・研究院制度を導入、大学院の全研究科を研究院と学府に改組、21世紀プログラムの募集開始。
- 2003年 九州芸術工科大学を吸収、同大学を母体に芸術工学研究院・芸術工学府・芸術工学部を設置。
- 2004年 国立大学法人化、九州芸術工科大学を正式廃止、法務学府(法科大学院)開設。
- 2005年10月1日 伊都地区開設。
- 2006年 薬学教育6年制移行により薬学部臨床薬学科を6年制に移行、4年制学科の創薬科学科を設置。
基礎データ
所在地
- 箱崎地区(福岡県福岡市東区箱崎六丁目)
- 馬出地区(福岡県福岡市東区馬出(まいだし)三丁目)
- 六本松地区(福岡県福岡市中央区六本松四丁目)
- 筑紫地区(福岡県春日市春日公園六丁目および大野城市上大利(かみおおり))
- 大橋地区(福岡県福岡市南区塩原(しおばる)四丁目)
- 伊都地区(福岡市西区元岡・桑原および糸島市)
- 別府地区(大分県別府市)
象徴
- 九州大学には大学歌はないが、3つの学生歌と1つの応援歌がある。なかでも秋山喜文作詞の学生歌「松原に」が学生に知られている。
- ロゴマークは円形に配した松葉に大学の文字が入ったものである。このマークは、1950年から用いられるようになった、宗好秀による学生バッチの図案を基にして2004年に新たに制定されたもので、商標登録されている。この他にKUやQを図案化したものなどがある[1]。
- スクールカラーはワインカラーである。いくつかのサブカラーも用意されている。
九州大学のオリジナルグッズ
- 九州大吟醸
環境創造舎<ref>九大生有志が設立したNPO法人</ref> と地元の杉能舎が共同で「九州大吟醸」を製造して販売している。売上金の一部は九大新キャンパス移転地域の環境保全活動、文化の保全活動に役立てられる。 200px|right|thumb|いも九
- いも九
九州大学の学生を福岡では「いも九」「「イモQ」」(いもきゅう)と呼んでいた時代がある<ref>九大広報24号4ページ</ref>。垢抜けない(=イモな)九大生という意味である<ref>「九大広報」第二十四号のインタビュー記事「九大人」より</ref>。しかしながら「いも九」は身なり構わずひたすら勉学や運動などに打ち込む九大生への愛称、尊称であって決して蔑称ではない<ref>『九大広報』No.19シリーズ「九大人」植木とみ子</ref>。この呼び名を九州大学経済学部のOBである『五十二萬石如水庵』の社長森恍次郎氏が面白がって、生協と協力して芋餡のパイ菓子を九州大学応援菓「いも九」として売り出している<ref>「さよなら六本松 九大と私」<5>菓子メーカー社長 森恍次郎さん いも九精神 受け継いで</ref>。この菓子の売り上げの1%は、「九州大学学術研究・教育奨励助成金」として九大生の課外活動の費用に寄付されている。
「いも九」については九大農学研究院と福徳長酒類が共同開発した芋焼酎にもその名が冠されている<ref>「その名は『いも九』(西日本新聞社)」</ref>。
百周年記念事業
[[File:Igakubu souritsu 75 shunen kinen teien.jpg|thumb|right|150px|医学部創立75周年記念庭園より
カール・ミレス作「神の手」]]
九州大学は2011年に創立100周年を迎え、各種の記念行事が予定されている。主な行事に
- 九州大学百周年記念事業概要教育研究環境の整備充実を図る為の九州大学基金(仮称)の創設
- 生涯学習時代に対応する社会人等の受入れ推進事業
- 国際交流推進事業
- 九州大学百年史の編纂と記念式典・シンポジウム等の開催
などがある。
教育および研究
組織
学部
- 文学部
- 人文学科
- 教育学部
- 法学部
- 経済学部
- 経済・経営学科
- 経済工学科
- 理学部
- 物理学科
- 化学科
- 地球惑星科学科
- 数学科
- 生物学科
- 医学部
- 医学科(6年制)
- 生命科学科
- 保健学科
- 歯学部
- 歯学科
- 薬学部
- 創薬科学科
- 臨床薬学科(6年制)
- 工学部
- 建築学科
- 電気情報工学科
- 物質科学工学科
- 地球環境工学科
- エネルギー科学科
- 機械航空工学科
- 芸術工学部
- 環境設計学科
- 工業設計学科
- 画像設計学科
- 音響設計学科
- 芸術情報設計学科
- 農学部
- 生物資源環境学科
- 21世紀プログラム
21世紀プログラム
九州大学の学士課程には21世紀プログラムというコースがある。専門性の高いゼネラリストの育成を掲げて2000年に設置された。各学部から1名から数名の入学定員を割り当てられ、AO入試によって学生が選抜される。また、1・2年次生の21世紀プログラムへの転籍制度もある。21世紀プログラムに入学した学生は学籍の管理上どこかの学部に所属してはいるものの、自身がどの学部に所属しているかは知らされず、21世紀プログラムの学生として扱われ学籍番号も固有のものが与えられる。必修科目が少なく、一部の科目を除いて全学部のほぼ全ての授業を受講することができる。このコースを選択した学生は大学で学ぶ内容を自主的に方向づけ決めなければならないように教育課程が設定されている。この教育プログラムは、2003年度の文部科学省特色ある大学教育支援プログラムに採択された。
大学院
前述のように、九州大学では大学院組織が研究部/教育部(九州大学での名称は研究院/学府)に分けられている。研究院には教員が所属し、大学院生は学府に所属する。
高等研究院
ノーベル賞級の高い業績を挙げた定年退職後の研究者と、優れた若手研究者を支援するための学内組織。2009年10月設立。九州大学出身でノーベル賞候補に上げられている新海征治(応用化学)、笹月健彦(遺伝学)両名誉教授には、希望に応じて研究室や研究員などが与えられる。特別准教授には23人が就任している。
研究院
- 人文科学研究院
- 比較社会文化研究院
- 旧教養部の流れを汲む。
- 従前の文学研究科社会学専攻・心理学専攻、教育学研究科、工学研究科建築学専攻、健康科学センターの一部を再編・統合した人間環境学研究科の後身。
- 法学研究院
- 経済学研究院
- 言語文化研究院
- 旧言語文化部(旧教養部から分かれた)を改組。
- 理学研究院
- 数理学研究院
- 従前の理学研究科数学専攻、工学研究科の一部、旧教養部の数学教室を再編・統合した数理学研究科の後身。
- 医学研究院
- 歯学研究院
- 薬学研究院
- 工学研究院
- 芸術工学研究院
- システム情報科学研究院
- 総合理工学研究院
- 農学研究院
学府
- 人文科学府(修士課程・博士後期課程)
- 比較社会文化学府(修士課程・博士後期課程)
- 人間環境学府(修士課程・博士後期課程)
- 実践臨床心理学専攻(専門職学位課程)
- 法学府(修士課程・博士後期課程)
- 法務学府(専門職学位課程、法科大学院)
- 経済学府(修士課程・博士後期課程)
- 産業マネジメント専攻(専門職学位課程、ビジネススクール)
- 理学府(修士課程・博士後期課程)
- 数理学府(修士課程・博士後期課程)
- システム生命科学府(5年一貫制博士課程)
- 医学系学府(修士課程・博士後期課程・4年制博士課程)
- 医療経営・管理学専攻(専門職学位課程、ビジネススクール)
- 歯学府(4年制博士課程)
- 薬学府(修士課程・博士後期課程)
- 工学府(修士課程・博士後期課程)
- 芸術工学府(修士課程・博士後期課程)
- システム情報科学府(修士課程・博士後期課程)
- 総合理工学府(修士課程・博士後期課程)
- 生物資源環境科学府(修士課程・博士後期課程)
附属機関
- 附置研究所
- 全国共同教育研究施設
- 学内共同教育研究施設
- 生物環境調節センター
- 熱帯農学研究センター
- アイソトープ総合センター
- 中央分析センター
- 留学生センター
- 産学連携センター
- 総合研究博物館
- システムLSI研究センター
- 宙空環境研究センター
- 韓国研究センター
- 医療系統合教育研究センター
- 高等教育総合開発研究センター
- 超伝導システム科学研究センター
- 感性融合創造センター
21世紀COEプログラム
21世紀COEプログラムとして、9件のプロジェクトが採択された。
- 2002年
- 生命科学
- 統合生命科学 Integrative Life Science - ポストゲノム時代の生命高次機能の探求
- 化学・材料科学
- 分子情報科学の機能イノベーション
- 情報・電気・電子
- システム情報科学での社会基盤システム形成
- 人文科学
- 東アジアと日本:交流と変容
- 2003年
- 医学系
- 大規模コホートに基づく生活習慣病研究教育
- 数学・物理学・地球科学
- 機能数理学の構築と展開
- 機械・土木・建築・その他工学
- 循環型住空間システムの構築
- 水素利用機械システムの統合技術
- 学際・複合・新領域
- 感覚特性に基づく人工環境デザイン研究拠点
教育
- 現代的教育ニーズ取組支援プログラム
- WBT(Web Based Training)による医療系統合教育(2004年度採択)
- 特色ある大学教育支援プログラム
- 21世紀プログラム(2003年度採択)
- コアリッションによる工学教育の相乗的改革(複数の大学と共同、2004年度採択)
- 大学教育の国際化推進プログラム
- 九州大学長期海外留学プログラム(2006年度採択)
- 法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム
- 九州三大学連携法曹養成プロジェクト(2004年度採択、複数の大学と共同)
- 裁判と法実務の国際的体験研修プログラム(2004年度採択、複数の大学と共同)
- アジアビジネス教育国際連携拠点形成(2004年度採択)
- 医療経営・管理学夜間・土日講座―「社会人実務家コース」の実施―(2004年度採択)
学生生活
学園祭
学園祭は2009年現在、「九大祭」と「芸工祭」がある。
「九大祭」は、毎年11月下旬に伊都地区で行われるイベントで、旧九大の流れを汲んでいる。
2008年までは六本松地区で開催されていたが、2009年より開催地区が伊都地区に変更された。
芸工祭は九大祭と同時期に大橋地区で開催されるイベントで、旧芸工大の流れを汲んでいる。
かつては箱崎地区で5月11日の本学記念日を中心に九大祭を、六本松地区で11月に教養部学園祭がおこなわれていたが、1967年に統合され、現在の形になった。
スポーツ
体育系の全学公認サークルを統括する学生組織の体育総部体育総務委員会が存在する。
- 全国七大学総合体育大会に参加している。
- 10月上旬に体育祭が行われる。
- 九州六大学野球連盟に加盟している。
- 九州地区ではアメリカン・フットボール部が強豪である。
大学関係者と組織
大学関係者組織
同窓会
九州大学の同窓会には、13の部局別同窓会とその他地区別に組織されている同窓会があり、九州大学同窓会連合会がそれを束ねている。1999年に設立され、地区別同窓会の設立を支援するなどの活動をしている。
学士会
旧帝国大学の出身者および学長、教授、助教授経験者で構成される団体として社団法人学士会があり、九州大学関係者も多数入会している。詳細は、学士会を参照。
大学関係者一覧
施設
地区
九州大学ではそれぞれの校地をキャンパスではなく地区と呼んでいるため、この節の表記も地区としてある。
箱崎地区
総面積約42.6ha
- 使用学部:文学部、教育学部、法学部、経済学部、理学部、工学部(一部)、農学部
- 使用研究院・学府:人文科学府/研究院、人間環境学府/研究院、法学府/研究院、法務学府、経済学府/研究院、理学府/研究院、数理学府/研究院、システム生命科学府、工学研究院(一部)、生物資源環境科学府/農学研究院
150px|right|thumb|箱崎キャンパス上空を飛行する旅客機
車輪の形状まではっきり視認可能である。* 使用附属施設:総合研究博物館、情報基盤研究開発センターなど
地区内は理系キャンパスと文系キャンパスに分かれている。福岡空港16番滑走路に着陸する直前の飛行機が真上を通過する。理系キャンパスには大学本部や旧法文学部棟など倉田謙の手になる大正時代に建てられた古い建物がいくつか残っている。九州大学の赤本の表紙にある建物はこのキャンパスにある工学部本館でやはり倉田の設計で昭和5年に竣工された。なおこの地区の学生寮としては男子寮の松原寮、女子寮の貝塚寮がある。平成31年度移転完了予定。
馬出地区
250px|right|thumb|戦前のキャンパスの復元図
(図書館医学分館より)
- 使用学部:医学部、歯学部、薬学部
- 使用研究院・学府:医学系学府/研究院、歯学府/研究院、薬学府/研究院
- 使用附属施設:九州大学病院、生体防御医学研究所/附属感染防御研究センター/遺伝情報実験センターなど
- 最寄り駅:福岡市地下鉄箱崎線馬出九大病院前駅、鹿児島本線吉塚駅
(旧)六本松地区
総面積約6.5ha
旧制福岡高等学校の跡地。教養部が解体されたのちも全学教育科目(一般教養教育)の大部分はこの地区で行われていた。多くの科目は言語文化研究院、比較社会文化研究院所属の教員によって実施されている。六本松時代には、将来の専攻に関連する講義を受けるために、各学部の専門キャンパス(箱崎・馬出・大橋・伊都)に行く曜日があり、それを「箱崎日(箱日)」、「馬出日(馬日)」、「大橋日」、「伊都日」又は「元岡日」(元岡=伊都キャンパス。詳細後述)などと呼ぶこともある。また、単位履修の関係で1日に六本松と箱崎両方のキャンパスに行く日などがあり、それを「箱松日」などと呼んだりする。なお2009年3月に閉鎖された田島寮はこの地区(樋井川対岸の城南区田島)にあり初年度の学生の便宜を図っていた。全学教育科目、比較社会文化学府/研究院は2009年4月に伊都地区へ移転、数理学研究院・数理学府は2009年10月に伊都地区へ移転予定。2009年9月29日六本松キャンパスの閉校式が行われ、88年の歴史に幕を下ろした。跡地は独立行政法人・都市再生機構(UR)に売却される予定。
筑紫地区
教育の場としてよりは研究機関としての色合いが濃い。かつて筑紫地区への全面移転が計画されていたが地元の反対により断念、現在の形となった。都市近郊にもかかわらず、雪深い日もある。
大橋地区
福岡県立筑紫丘高等学校の用地・建物を転用した旧福岡学芸大学(現福岡教育大学)福岡分校の跡地。かつての九州芸術工科大学で、芸術工学を学ぶ場所となっている。また、建築物のデザインは他の地区とは様相が大きく異なっている。大橋、筑紫地区男子学生を対象とした学生寄宿舎として井尻寮が設置されている。
伊都地区
- 使用学部:工学部、全学教育科目(医学部、歯学部の学生は初年度の1年間、その他の学部生は1年半)
- 使用研究院・学府:工学府/工学研究院、システム情報科学府/システム情報科研究院、比較社会文化学府/比較社会文化研究院、言語文化研究院
- 使用附属施設:水素利用技術研究センター、高等教育推進センターなど
- 最寄り駅:JR九州筑肥線九大学研都市駅から昭和バス九大ビッグオレンジ前、九大工学部前各バス停
別府地区
その他
200px|right|thumb|東京オフィス(有楽町ビル)
- Orange(ビッグオレンジ)九州大学新キャンパス情報発信拠点
- 東京オフィス
- 大阪オフィス
移転計画
Template:出典の明記
九州大学はキャンパスの狭隘さ・老朽化に加え、箱崎キャンパスは福岡空港に近いうえ滑走路延長線上に位置するために航空機が発する騒音公害にさらされており、移転が計画されてきた。1970年代には筑紫キャンパス(春日市、大野城市)への全面移転が計画されたが、実現しなかった。その後新たに計画が策定され、平成17年度(2005年度)<ref>首都圏の大学が一度キャンパスを郊外に移転させ、その後回帰を開始した時期に重なる。</ref>後期から10年間をかけて、箱崎、六本松キャンパスの設備・組織を福岡市西区の元岡地区に移動することが決定した。
首都圏の大学が軒並み都心への回帰を進めているのに対しこれは逆行する動きではとする意見もある。だが国立大学である九州大学は教育機関であると共に研究機関としての役割を重く担っており、施設を充実させ、これにより優れた業績を出していく必要があり、学生の利便性を最優先する私立の大学とは異なる戦略をとるのは致し方ないとする意見もある。これに対し同じく国立の東京大学は一部の理系学部(主に工学系・理学系の大学院)は交通の不便な千葉県柏に一部のキャンパスを移転させて、文系学部および理系学部の一部は本郷や駒場に留まるというそれぞれの学部に適したキャンパスの配置を進めており、九州大学もこれに倣い文系学部は都心部に留まるべきとする意見もある。
概要
福岡市西区、前原市、志摩町にまたがる里山に新キャンパス(伊都キャンパス)を建設し、そこに九州大学を移転する計画。2005年10月から3回にわけて移転し、最終的な移転完了は2019年を予定している。当初は大学病院の移転も検討されたが、病院が現在より交通の不便な土地に移ることは利用者の利便性を損なうという観点から、馬出地区(病院および医学部・歯学部・薬学部)は移転しない。これはキャンパスの郊外移転に伴って医学部、歯学部の全面移転を実行し不評だった大阪大学の失敗を教訓としている。また、旧九州芸術工科大学である芸術工学部も移転計画が策定されたのが両大学の合併前だったためか移転の対象からは外れており、現在の大橋キャンパスにとどまる。
新キャンパス用地からは多数の古墳が発見され、九州大学関係者の間からは「その取扱いをどうするのか」というも声もある。また、九州大学関係者の間からは「工事計画は環境共生を謳うものの、計画そのものが環境破壊だ」「新福岡空港構想の候補地の一つに糸島半島が挙げられているが、その建設決定と運用に伴う騒音公害についても先行きが不透明だ」という声も上がっている。
移転の理由
九州大学は、移転の理由として、次のような内容を広報している。
- キャンパスが六本松・箱崎に分離していることから、全学教育と専攻教育・大学院教育のスムーズな連携や共同研究の実施等に障害が生じている。
- 施設の老朽化や狭隘化により、教育研究面の高度化や多様化への適応が困難である。
- 緑地の不足などキャンパスとしてバランスを欠く。
- 箱崎キャンパスは福岡空港の延長進入区域であることから、航空機騒音により教育研究に著しい支障を来している。キャンパス内への航空機墜落事故再発が懸念される。
- 箱崎キャンパスで、高層化・集約化した施設を再開発整備することは、航空法上の制限表面による高さ制限など様々な要因からきわめて困難である。
計画の内容
3期の計画からなっている。まず2005年度~2007年度に工学系キャンパスを移転させる。あわせて理系図書館と食堂・寄宿舎の整備も行う。続いて2008~2011年度は残りの用地取得と整備を行う。その次の2012年度から2019年度にかけて順次建物を移転する予定となっている。
馬出地区(医系)・筑紫地区(総合理工学府)・大橋地区(芸術工学部)の移転計画は無く、各地区での教育が続く事になる。
現況
2005年10月1日よりまず工学部機械航空工学科・物質科学工学科とその関連大学院を対象に開講した。しかし完成していない部分も多く、同学科が利用する棟においても室内工事等は同日以降も続けられていた。
2005年12月7日、水素ステーションの試運転中に酸素パイプ破裂事故が起こった。
2006年度後期より、電気情報工学科、地球環境工学科、エネルギー科学科が移転し、建築学科を除く工学部の移転が完了した。この第2期開講時にも、今回開講分の施設は一部未完成だった。学生寮は2006年秋から1棟が供用されている。
図書館・食堂・自販機・売店(大学生協とローソンの計2店舗)・書店(紀伊国屋書店)・ATM等が利用可能である。なお、開校後の正式キャンパス名は「伊都地区」であるが、計画段階で使われていた「元岡地区」の呼称も浸透している。「伊都」というのは、キャンパスが立地する糸島半島にあったとされる伊都国にちなんで前原市などがしばしば用いている愛称であり、住所表記上の地名ではない。
利害
Template:独自研究 伊都地区への移転に関しては様々な議論が存在する。
- 主張されている利点
- 大学が広報している問題点が解消される。特に学生にとってはキャンパスが統合されるというのが最大のメリットである。現在は学生は日によって別々のキャンパスに通う必要があるばかりでなく、場合によっては1日のうちにキャンパス同士を移動して授業を受けなければならないが、完全にキャンパス統合が完了すればこのような非効率性が解消されることになる。また航空機の騒音がなく、快適な環境での研究が可能である。伊都地区と福岡市中心部との距離は20km程度で、バス路線が設けられる最寄駅(JR筑肥線九大学研都市駅)とは4km程度であるので、もし不便を都市中心部とのアクセスと受け取るならば、さほどの不便さはない。
- 主張されている問題点
- 市街地から遠く離れ、周囲にあまり人家がない地域に新キャンパスを建設したことで交通が不便になった。これは人の繋がりを研究する文系には致命的である。またバス・鉄道を含む公共交通機関の貧弱さは否めず、研究室在室の学生のみならず教授らの批判も受けている。現在移転しているのが実験・研究などで夜が遅くなる事が多い理系であるにもかかわらず、夜間の交通手段がほとんど整備されていない。また自動車・バイクでの通学者の増加による騒音や排気ガス、交通事故の増加が懸念される。また開校して間もないがゆえに今のところは学生街が未形成のため、学生の受け入れ先となり得る不動産物件が不足していたり、周辺にコンビニエンスストアやスーパーマーケットなどの店舗が少ないなどの問題もある。箱崎地区では地下水を大規模に利用していたが、伊都地区では地元との協定により利用できない。これらに対し大学側はアンケート配布やインターネット上での意見募集を行っているが、現状では有効な解決手段がない・検討するとの回答も多くガス抜きとの批判もあり、寄せられた意見が状況改善に実際に役立てられる事は少ない。移転のメリットが表れるのは全面移転が完了した後であり、移転の最中においてはかえって不便が生じる。移転中に学生時代を過ごす学生たちにとっては今まで以上に不便さが増す事となる。
- 学生・教職員の意見
- 多くの学生は移転をあまり快く受け入れていないようである。現在の箱崎、六本松キャンパスとも福岡の中心街である天神に近く交通の便もいいことから、現在の学生にとっては伊都地区への移転にメリットを見いだしにくいのが現状である。また移転に伴う引越しの負担も大きい。大型の機械や膨大な量の蔵書を移動させなければならないということもあり、わざわざそれだけの労力を払ってまで不便な土地に移転することに不満を抱えている教授・学生も多い。この傾向は研究において広い場所や最新鋭設備などの整った環境を必ずしも必要としない文系学生、そして各種設備が整わないまま第一期に移転が行われる工学部学生において顕著である。また学生自らの引っ越しに伴う金銭的負担や、キャンパスの分散化による交通費増加の不満も大きい。例を挙げると、割引回数券を利用しても箱崎~伊都間で1往復につき1000円が必要となる(ただし、西鉄バスのエコルカード(バス乗り放題の定期券)利用の場合を除く)。
対外関係
他大学との協定
- 特色ある大学教育支援プログラム「コアリッションによる工学教育の相乗的改革」(2004年度採択)協定大学(→8大学工学系研究科長懇談会)
- 法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム「九州三大学連携法曹養成プロジェクト」(2004年度採択)協定大学
- 法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム「裁判と法実務の国際的体験研修プログラム」(2004年度採択)協定大学
- 「アジアをはじめとする世界の学術の発展と有為な人材の育成に寄与、知的成果を基に地域社会に貢献」2008年連携協力に関する基本協定書に調印
社会との関わり
生体解剖事件
Template:See(ただし大学としての組織的関わりは全くない。仔細については九州大学生体解剖事件#九州大学の組織的関与についてを参照のこと)
戦闘機墜落事故
1968年6月2日22時45分頃、米軍板付基地第313航空師団第15戦術偵察飛行隊所属のRF-4Cファントム偵察機が当時箱崎キャンパスに建設中の大型計算機施設の建物に墜落。以後、学生運動が活発化し、墜落機残骸撤去に約7ヶ月を要した。 Template:See
Wiki関係他プロジェクトリンク
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内部リンク
脚注
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公式サイト
de:Universität Kyūshū en:Kyushu University fr:Université de Kyūshū ko:규슈 대학 pt:Universidade Kyushu uk:Кюсюський університет vi:Đại học Kyushu zh:九州大学