中山大障害

出典: Wikipedio


Template:競馬の競走

画像:Grand Brush0912.JPG
2009年中山大障害 (キングジョイ優勝)

中山大障害(なかやまだいしょうがい)とは日本中央競馬会(JRA)中山競馬場障害4100mで施行する中央競馬の障害の重賞J・GI競走である。

正式名称は農林水産省賞典中山大障害。正賞は農林水産大臣賞、日本馬主協会連合会長賞。 春に施行される中山グランドジャンプと共に、大竹柵障害や赤レンガと呼ばれる大生垣障害を飛越する中山競馬場の大障害コースが用いられる。

目次

概要

thumb|right|250px|初期の走路図 中山競馬倶楽部肥田金一郎1932年に創設された東京優駿競走に匹敵する競走を中山競馬場でも開催したいと考え、イギリスのグランドナショナルにならった障害競走を創設するため同年に障害コースの整備を開始。1934年8月27日に大障碍特別競走を創設する旨を各倶楽部に通知した。

それは距離4100m、高さ160cmの大竹柵、高さ140cm幅220cmの大土塁、高さ150cm幅270cmの大生垣の三大障害を含め計10回の飛越、加えて高低差4mを超える坂路を6回昇降するというものであり殆どが中距離で障害も120cm以下の競走しかなかった当時としては非常に過酷なものであった。

競馬関係者からは軍馬の改良の必要性などから長距離を耐え抜く有能な実役馬を選定できるという賛成意見もあったが将来種牡馬となる良血馬、高額馬の出走が望めない少頭数となり競走興味が薄れるなどの理由で時期尚早とする反対意見が圧倒的となった。

しかし肥田は断固として施行を主張。12月5日大障碍特別競走を行うことを決定した。1着賞金は1万円であり、これは東京優駿競走と並び当時最高の賞金額を誇るレースであった。第1回の優勝馬は肥田の所有馬のキンテンである。

戦前期では負担重量が賞金によっておよそ60kgから70kg間で行われ第8回に出走したチカラは73kgの負担重量で出走したが、戦後は馬資源の不足と軍馬育成の必要性がなくなったこともあり基本負担重量が大幅に引き下げられ障害の難易度も若干緩和された。また当初は天皇賞と同じく勝ち抜き制が採られていたが、1951年春より過去の優勝馬も出走が可能となった。

1965年秋から現在のコースとなる1972年秋までは施行条件が幾度か変更された。平地外回りコース拡張及びダートコース新設のため、スタンド前内回りコースとそこに設置されていた大生垣が廃止。またスタート位置が3、4コーナー中間の土塁障害の前方から後方に移され飛越回数が10回から11回に増加、そして大竹柵を除くすべての障害の規模が拡大した。

1999年より障害競走改革のためグレード制が導入されJRAによりジャンプグレードワン(J・GI=ジェージーワン)に格付けされ、定量戦となる。優勝賞金額は5700万円から8000万円に大幅増となった。同時に春の中山大障害は中山グランドジャンプに衣替えし、年1回秋だけの開催となった。当初は春の大障害を「中山スプリングジャンプ」、秋の大障害を「中山グランドジャンプ」とする計画であったが競馬サークルの内外から「伝統のレース名は残すべき」という声が上がり、また春の競走を国際招待レースとする計画が立ち上がったため春を中山グランドジャンプ、秋を中山大障害として実施する事となった。ファンファーレはそれまでは東京・中山用の重賞ファンファーレを使用していたが、同年より三枝成彰作曲によるJ・GIファンファーレが使用されている。

以前は「だいしょうがい」ではなく「おおしょうがい」と呼ばれていたが、現在は前者が正式名称となっている。現在、中央競馬で唯一メインレースとして施行されないGI競走である。

他の著名な重賞競走は1990年代半ばが売上のピークとなっているが中山大障害が最も売上を伸ばしたのは1974年秋であり、総売上は25億9774万3200円である。

コース

第3コーナーからスタートし、時計回りに3/4周。向正面から襷コースに入り大竹柵へ、その後第4コーナーから第3コーナーを通って再び襷コースに入って大生垣へ。その後第1コーナーから第2、第3コーナーを経由して第4コーナーから芝コースへ進入。芝コースの直線を通ってゴールを目指す。

障害飛越数は11回と4100mという距離にもかかわらず3900mで行われる阪神スプリングジャンプの14回、3930mの京都ハイジャンプの18回と比べて少ないが6度の坂路昇降がある。春に行われる中山グランドジャンプより150m短いが、バンケットの回数が多い為にスタミナの問われるコースとなっている。

大障害

中山競馬場の襷コース及び設置されている大竹柵、大生垣は本競走と中山グランドジャンプの時のみ使用される。春は皐月賞、年末は有馬記念の午後は馬場が開放される。

大竹柵

thumb|1938年の大竹柵

画像:Grand Brush005.JPG
2007年の大竹柵

中山競馬場第6号障害。スタートから5番目に飛越する障害であり高さ160cm幅205cm(1990年代以前は高さ160cm、幅190cm)、土台部分の高さは75cmとなっている。1980年代はこの障害で転倒、落馬をする馬が非常に多く1981年春より1985年秋までの10回で出走馬延べ80頭のうち19頭の転倒、落馬を引き起こした<ref>再騎乗及び転倒した他馬に触れたものも含む</ref>。その後19911996年までは89頭中13頭と相変わらず高確率で落馬が起きていたが、グレード制導入後2009年までの計11回の競走では155頭の出走馬うち落馬はわずかギフテッドクラウン、メジロライデン、マイネルユニバース、ジュレップの4頭のみに減少している。

主な出来事

  • 1970年秋 - 1番人気インターヒカリ、2番人気スイノソレイユ、5番人気フォースターフの3頭が転倒。
  • 1980年秋 - 1番人気ナカミショウグン、2番人気ジョーアルバトロスなど4頭が騎手落馬により競走中止。
  • 1983年春 - ヤクモファントムの騎手・田中剛とサビアスポートの騎手・菅沼輝正は落馬の後に再騎乗を行い、それぞれ7位、8位に入線(8頭立て)。中山大障害での落馬再騎乗はこれを最後に行われていない。
  • 1985年春 - バウンスポート、ナックルフォンテン、エイティレオ、ダイナドルフィンの4頭が転倒。中山大障害2勝のオキノサキガケとスマッシングダイナの騎手が落馬したため、計6頭競走中止。中山大障害の最多記録となっている。
  • 1992年春 - 中山大障害優勝馬のワカタイショウパンフレットなど4頭が競走中止。不利を受けなかったシンボリクリエンスが2着に8.6秒差の独走で優勝した。
  • 1998年春 - 当時の障害重賞4場グランドスラム(中山大障害、京都大障害東京障害特別阪神障害ステークス)にリーチがかかっていた1番人気アワパラゴンが転倒。

大生垣

thumb|1938年の大土塁

画像:Grand Hedge004.JPG
2007年の大生垣

中山競馬場第7号障害。スタートから7番目に飛越する障害であり高さ160cm、幅240cm、土塁の高さは80cmであり大障害創設当初より20cm高くなっている。大竹柵から見て逆周りをしてもう1回、襷に戻って来ると言う仕組み。かつては大土塁と呼ばれたが、当時の大生垣の廃止後1990年代に入ってこちらが大生垣と呼ばれるようになった。前面土塁部分に赤レンガ模様のデザインが施されているため「赤レンガ」という通称も有名。以前より競走中止となることは少ないが、時折有力馬の落馬を引き起こしている。

主な出来事

ステップレース

  • グレード制導入後
競走名競走格施行競馬場施行距離当該競走及び中山大障害の連勝馬
京都ジャンプステークス
※2009年から
J・GIII京都競馬場障害・芝3170m
イルミネーションジャンプステークスOP中山競馬場障害・芝3570mギルデッドエージ
京都ハイジャンプ
※2008年まで
J・GII京都競馬場障害・芝3930mテイエムドラゴン、キングジョイ

各種記録

記録

3連覇以上の優勝馬

  • フジノオー(4回・4回連続・1963年秋から1965年春)
  • グランドマーチス(4回・4回連続・1974年春から1975年秋)
  • バローネターフ(5回・3回連続・1977年春から1977年秋、1978年秋から1979年秋)
  • ポレール(3回・3回連続・1996年春から1997年春)

他に、ゴーカイの3年連続2着(1999年から2001年)・テレジェニックの3年連続4着と言う記録も存在する(2004年から2006年)。

エピソード

競走のエピソード

  • 1944年春の競走は競馬の一時停止と、中山競馬場閉鎖のため東京競馬場で能力検定競走「農商省賞典障碍」を距離4050mで施行。7歳以上の馬は出走不可のため5、6歳馬のみで争われた。9頭立てで行われ、イマカゼが5:06のタイムで優勝したが、中山大障害の回数としてはカウントされていない。秋は京都競馬場で行われる予定だったが、戦局の悪化に伴い4歳馬競走のみ行われたため障害競走は全て取り止めとなった。
  • 1957年春の競走でカツプスターに騎乗した本田昌雄騎手は大土塁(現・大生垣)飛越着地の際に落馬したが直ちに再騎乗を行い鐙を踏まずに大生垣(廃止)を飛越して完走(出走馬8頭・8着)したため、裁決委員からその敢闘ぶりを表彰された。
  • 1960年春の競走でガーナードに騎乗した加賀武見騎手は落馬後再騎乗の際に他人の助けを借り、また競走に要した時間が規定時間を越えたため(参考タイム9:31.2)タイムオーバーでガーナードは失格、加賀武見は戒告を受けた。
  • 1972年春の競走ではナスノセイランが前年春に続いて連覇(前年秋は開催せず)したが、この時の2着馬は全弟であるナスノヒエンであり、GI(級)レースにおいて初めて(2010年6月現在、未だに唯一)となる全姉弟による1・2着を記録した。なお、ナスノヒエンは1973年春の競走を勝利している。

その他のエピソード

  • 阿部幸太郎が『中央競馬ワイド中継』のレギュラー時代、中山大障害コース4100mを自分の足で走ってさらには障害は乗り越えて完走するという特集VTRが制作された。後に競馬開催台風降雪等で中止となった際に穴埋めとして放映されるなど、一部マニアの間では伝説になっている。
  • 有馬記念などの大レース開催日に大障害コースの一部を観客席として開放するケースや、ファンサービスの一環として実際に大障害コースの一部に入れる機会を設けるケースもある。

歴史

  • 1934年秋 - 「大障碍特別競走」の名称で別定戦として創設。出走馬4頭中3頭が完走した。
  • 1935年 - この年より年2回施行される(1947年1956年を除く)。同年春にレース名が「中山大障碍特別」に改められ、秋からは農林省賞典が下賜され、「農林省賞典障碍」となる。
  • 1938年秋 - 「小倉農林省賞典障碍」創設に伴い、「中山農林省賞典障碍」に改称される。
  • 1943年秋 - 農林省と商工省の一部が合併し、「農商省」が設置されたことに伴い、「中山農商省賞典障碍」に改称される。
  • 1944年 - 中山競馬場閉鎖に伴い、春季に東京で能力検定競走「農商省賞典障碍」として施行される。
  • 1947年秋 - 戦後「小倉農林省賞典障碍」が廃止、及び再び農林省が設置されたことに伴い、名称が「農林省賞典障碍」にもどる。
  • 1948年秋 - 競走名が「中山大障碍」に変更される。
  • 1951年春 - 過去の優勝馬が出走可能となる。優勝馬の斤量は2kg増。
  • 1953年春 - NHKによってテレビ中継され、日本初の競馬のテレビ中継となった。
  • 1954年秋 - 競走名が「農林省賞典中山大障碍」に変更される。
  • 1957年 - 秋の競走に限り4歳馬(現3歳馬)の出走が可能となる。
  • 1966年春 - 中山大障碍1勝毎に2kg増に変更される。<ref>当初は再び過去の優勝馬の出走を禁止することを発表していたが、撤回された。</ref>
  • 1969年春 - 出走馬ロイタンの実質的な馬主が出走馬バスターに禁止薬物のカフェインを含む抹茶を摂取させようと企み、バスターが出走取消に追い込まれる事件が起こった(バスター事件)。
  • 1970年 - 「障碍」から「障害」へ漢字表記が変更され「農林省賞典中山大障害」となる。
  • 1971年秋 - 馬インフルエンザ蔓延の影響で開催中止。
  • 1972年春 - 中山大障害優勝馬は2kg増。及び収得賞金による斤量規定が廃止される。
  • 1972年春 - 出走馬ダテハクタカパドック周回中に何者かに濃硫酸をかけられ右目を負傷し、競走除外となる事件が起こった(ダテハクタカ事件)。
  • 1976年春 - 再び中山大障害1勝毎に2kg増に変更される。
  • 1988年春 - 中山競馬場の改修工事で東京競馬場で行われたため東京大障害として施行された。東京大障害は過去に使用されたことがない距離4000mで施行され、第3コーナーから逆回りで1周した後に襷コースに入り第2コーナーから順回りで直線に向かった。障害飛越数は17。
  • 1989年春 - 混合競走に指定。
  • 1993年秋 - 混合競走に指定。
  • 1999年 - グレード制導入。定量戦として年1回施行となる。
  • 2000年 - 創設以来初めて出走可能頭数上限の16頭で行われる。
  • 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
  • 2002年 - ギルデッドエージが優勝し、ニュージーランドから短期免許で騎乗したロシェル・ロケットがJRA史上初の女性騎手による重賞制覇を果たした。
  • 2003年 - 積雪のため中止・延期となり、2004年に1月(代替開催)と12月で2回行われた。
  • 2005年 - テイエムドラゴンが1着となり、1968年のタジマオーザ以来37年ぶりに3歳馬が優勝した(2着も3歳馬のメルシーエイタイム)。
  • 2009年 - キングジョイがJ・GIに格付け及び年1回施行において史上初の連覇。
  • 2010年 - 1着賞金が7500万円に減額。

歴代優勝馬

中山大障害(春)

回数施行日優勝馬性齢勝時計優勝騎手管理調教師馬主
第2回1935年4月7日イサハヤ牡65:09 4/5秋山辰治川崎敬次郎真藤慎太郎
第4回1936年4月5日ジユピターユートピア牡55:01 4/5中口儀一郎大久保房松小林国威
第6回1937年4月4日フソウ牡44:57 1/5平井寅雄稲葉秀男中村勝五郎
第8回1938年4月10日トクタカ牡54:59 0/5内藤潔尾形景造山中清兵衛
第10回1939年4月9日コクオー牝55:03 4/5松永光雄土田順三村上菊松
第12回1940年4月19日キヨクジツ牡64:55 4/5古賀嘉蔵尾形景造高杉晋
第14回1941年4月20日ライハルオン牝64:53 1/5中野才一佐藤重治伊藤盛治
第16回1942年4月26日ホウカツピータ牡55:07 2/5本田昌雄稗田虎伊経塚彌三
第18回1943年5月2日モトクマ牡55:03 4/5平井稔稲葉幸夫門井鍋四郎
第21回1948年4月3日フクレイ牡54:08 1/5田畑志郎古賀嘉蔵西博
第23回1949年5月1日カミカゼ牡44:50 3/5高松三太柏谷富衛小野ムメ
第25回1950年5月5日エイシヤイン牡65:00 2/5小森園正義久保田彦之伊藤市平
第27回1951年5月20日ツキヤス牝44:43 4/5古山良司上村大治郎高須銀次郎
第29回1952年6月8日カツシロ牡44:44 4/5富田六郎見上恒芳松村政雄
第31回1953年6月28日ハクオー牡44:45 3/5斉藤義美松元正雄西村光之助
第33回1954年6月20日ギンザクラ牡44:50 3/5富田六郎見上恒芳鈴江チヨ
第35回1955年6月26日キタノイヅミ牡44:43 1/5勝尾竹男久保田金造田中留治
第38回1957年6月30日クロシオ牡44.52 0/5長池辰三大久保末吉渡辺美弥子
第40回1958年6月29日ケニイモア牝54:47 0/5目時重男武輔彦ジョー・エス
第42回1959年6月28日オータジマ牡44:43 0/5高屋次郎古賀嘉蔵田島将光
第44回1960年6月26日ロールメリー牝54:49.5古賀一隆古賀嘉蔵豊島美王麿
第46回1961年4月23日クニハヤ牡64:45.0加賀武見阿部正太郎日下邦雄
第48回1962年4月22日フエニツクス牡54:54.2田村駿仁二本柳俊夫河野魁
第50回1963年6月23日ゴールデンオーザ牡44:46.2関口薫中村広川俣トシエ
第52回1964年3月15日フジノオー牡54:45.5横山富雄橋本輝雄藤井一雄
第54回1965年4月11日フジノオー牡64:49.2横山富雄橋本輝雄藤井一雄
第56回1966年4月24日アドミラル牡45:04.0小泉明東尾形藤吉永田雅一
第58回1967年6月11日クニハヤヒメ牝44:52.1関口健太郎阿部正太郎日下邦雄
第60回1968年4月7日フジノホマレ牡84:53.4横山富雄橋本輝雄藤井一雄
第62回1969年6月29日ホンマルシロー牡44:58.9千田能照勝又忠原田享
第64回1970年4月5日ハセタカラ牡44:50.9法理弘阿部正太郎長南鶴雄
第66回1971年5月5日ナスノセイラン牝54:48.6金井国男稲葉秀男那須野牧場
第68回1972年6月4日ナスノセイラン牝64:53.0柴崎勇稲葉秀男那須野牧場
第70回1973年4月8日ナスノヒエン牡54:45.1金井国男稲葉秀男那須野牧場
第72回1974年4月7日グランドマーチス牡54:48.4寺井千万基伊藤修司大久保興産(株)
第74回1975年4月6日グランドマーチス牡64:40.3寺井千万基伊藤修司大久保興産(株)
第76回1976年4月11日エリモイーグル牡54:38.9渡辺修一大久保末吉井上芳春
第78回1977年4月10日バローネターフ牡54:44.3三浦春美矢野進(有)ターフ・スポート
第80回1978年4月9日ファンドリナイロ牡64:42.1広松孝司須貝彦三水戸富雄
第82回1979年4月8日バローネターフ牡74:38.5根本康広矢野進(有)ターフ・スポート
第84回1980年4月6日オキノサコン牡64:49.5星野忍八木沢勝美沖崎エイ、沖崎藤吉郎
第86回1981年4月5日ナカミショウグン牡54:47.4根本康広八木沢勝美中村美俊
第88回1982年4月11日キングスポイント牡54:44.1小島貞博小川佐助高田久成
第90回1983年4月10日オキノサキガケ牡54:41.8星野忍佐藤林次郎沖崎エイ、沖崎藤吉郎
第92回1984年4月8日メジロジュピター牡64:41.9池添兼雄大久保洋吉メジロ商事(株)
第94回1985年4月7日ブルーフラール牝54:43.1成田均大久保勝之栗林英雄
第96回1986年4月6日ライバコウハク牡74:44.9大江原哲松元正雄坂本盛正、上水清氏
第98回1987年4月12日メジロアンタレス牡84:44.2成田均大久保洋吉メジロ商事(株)
第100回1988年4月10日メジロアイガー牡54:34.6臼井武尾形充弘(有)メジロ牧場
第102回1989年4月9日キョウエイウオリア牡104:46.8星野忍中村均松岡正雄
第104回1990年4月7日パンフレット牡54:39.5嘉堂信雄田中良平小田切有一
第106回1991年4月6日シンコウアンクレー牡54:38.1田中剛二本柳俊一安田修
第108回1992年4月11日シンボリクリエンス牡74:41.7大江原哲境征勝シンボリ牧場
第110回1993年4月10日メジログッテン牡64:38.5押田年郎大久保正陽(有)メジロ牧場
第112回1994年4月9日ブロードマインド牡64:40.7牧之瀬幸夫矢野進吉田照哉
第114回1995年4月8日ダイカツストーム牡54:44.1中竹和也中村好夫志賀泰吉
第116回1996年4月6日ポレール牡54:41.2星野忍岩元市三林進
第118回1997年4月12日ポレール牡64:43.1出津孝一岩元市三林進
第120回1998年4月18日ノーザンレインボー牡84:46.2田中剛鈴木康弘吉田照哉

以後、中山グランドジャンプに移行。

中山大障害(秋)

回数施行日優勝馬性齢勝時計優勝騎手管理調教師馬主
第1回1934年12月5日キンテン牡55:21 1/5稲葉幸夫稲葉秀男肥田金一郎
第3回1935年10月20日オーシス牡45:02 2/5佐藤修杉浦照石川義明
第5回1936年10月18日トーナメント牡44:57 1/5中野吉太郎杉浦照石川義明
第7回1937年10月17日キンテキ牡45:01 0/5古賀嘉蔵尾形景造高井治兵衛
第9回1938年11月27日リードアン牝45:06 0/5稲葉幸夫藤本冨良大川義雄
第11回1939年12月3日シヤインモア牝44:55 1/5内藤潔尾形景造土田荘助
第13回1940年12月8日スタミナ牝54:59 0/5岩下密政田村仁三郎豊島美王麿
第15回1941年12月7日ゼーアドラー牡54:55 0/5古賀嘉蔵尾形景造片山哲雄
第17回1942年11月29日バイエル牝45:08 3/5富田竹次郎布施季三高橋錬逸
第19回1943年11月28日カミワカ牡55:05 1/5岩下密政田村仁三郎豊島美王麿
第20回1947年12月14日ニユージヤパン牡44:07 3/5小桧山悦雄鈴木信太郎豊島美王麿
第22回1948年11月3日ブルーホマレ牡44:47 0/5吉野勇大久保房松久保邦造
第24回1949年12月4日ブランドライト牡54:58 3/5坂内光雄尾形藤吉川内安忠
第26回1950年12月7日アシガラヤマ牡44:54 1/5吉野勇平井寅雄川島政子
第28回1951年12月16日ミツタエ牝54:51 0/5渡辺正人東原玉造河野信一
第30回1952年12月21日サチヒカリ牡44:50 3/5坂本栄三郎小西喜蔵石原利貞
第32回1953年11月1日モモタロウ牡54:49 4/5野平幸雄田中和一郎舟橋聖一
第34回1954年11月3日アラワシ牡44:54 1/5伊藤英治望月与一郎高橋なつ
第36回1955年11月3日シマユキ牡54:47 1/5飯塚好次松山吉三郎小野仁助
第37回1956年11月18日ハクレイ牝44:54 4/5目時重男尾形藤吉西博
第39回1957年10月20日ヤマカブト牝54:46 1/5坂本栄三郎小西喜蔵山之内喜代子
第41回1958年10月12日ケニイモア牝54:44 4/5目時重男武輔彦ジョー・エス
第43回1959年10月11日ハルボー牡44:43.8本田昌雄田中朋次郎加藤春雄
第45回1960年10月9日ロールメリー牝54:46.9古賀一隆古賀嘉蔵豊島美王麿
第47回1961年10月15日トサキング牡44:48.4瀬戸口勉上田武司上田清次郎
第49回1962年10月7日ライトリア牡64:43.1坂内光雄藤本冨良伊藤久雄
第51回1963年10月20日フジノオー牡44:46.9横山富雄橋本輝雄藤井一雄
第53回1964年10月11日フジノオー牡54:49.7横山富雄橋本輝雄藤井一雄
第55回1965年10月17日ミスハツクモ牝54:54.4前田禎鈴木清勝又豊次郎
第57回1966年12月4日ホウラン牝44:56.1金井国男稲葉秀男河野通
第59回1967年12月3日ヤマニンダイヤ牡54:48.1鶴留明雄諏訪佐市土井宏二
第61回1968年12月29日タジマオーザ牡34:56.6津田昭佐藤勝美(株)田島牧場
第63回1969年12月28日マウントブゼン牝44:55.1山田広士野平省三山田福太郎
第65回1970年12月27日リクオー牡44:58.4千田能照勝又忠矢沢註二
第67回1971年12月25日開催中止
第69回1972年12月24日マスヒロ牝45:02.8成島正規阿部正太郎増山栄一
第71回1973年12月23日クリユタカ牡54:44.7法理弘阿部正太郎栗林友二
第73回1974年12月22日グランドマーチス牡54:40.2寺井千万基伊藤修司大久保興産(株)
第75回1975年12月21日グランドマーチス牡64:42.5法理弘伊藤修司大久保興産(株)
第77回1976年12月26日サクラオンリー牡84:45.1平井雄二久保田彦之(株)さくらコマース
第79回1977年12月25日バローネターフ牡54:39.7三浦春美矢野進(有)ターフ・スポート
第81回1978年12月24日バローネターフ牡64:43.6小柳由春矢野進(有)ターフ・スポート
第83回1979年12月23日バローネターフ牡74:43.7根本康広矢野進(有)ターフ・スポート
第85回1980年12月20日カチウマタロー牡54:49.4田中剛柄崎義信島崎竜五郎
第87回1981年12月19日テキサスワイポン牡74:42.1今岡正二分久男渡辺孝男
第89回1982年12月25日キングスポイント牡54:42.6小島貞博小川佐助高田久成
第91回1983年12月24日オキノサキガケ牡54:41.9星野忍佐藤林次郎沖崎エイ、沖崎藤吉郎
第93回1984年12月22日メジロアンタレス牡54:39.1牧之瀬幸夫大久保洋吉メジロ商事(株)
第95回1985年12月21日オンワードボルガ牡44:46.9田中剛二本柳俊夫樫山純三
第97回1986年12月20日ハッピールイス牡44:45.6中竹和也吉田三郎マエコウファーム(有)
第99回1987年12月26日シノンシンボリ牡84:39.4牧之瀬幸夫大和田稔和田共弘
第101回1988年12月24日ヤマニンアピール騸54:39.0岡冨俊一中村均土井宏二
第103回1989年12月23日メジロマスキット牝44:39.0臼井武尾形充弘(有)メジロ牧場
第105回1990年12月22日ワカタイショウ牡54;38.9星野忍嶋田功渡辺喜八郎
第107回1991年12月21日シンボリモントルー牡64:37.2成田均田中和夫シンボリ牧場
第109回1992年12月26日シンボリクリエンス牡74:38.3大江原哲境征勝シンボリ牧場
第111回1993年12月25日ブロードマインド牡54:42.0牧之瀬幸夫矢野進吉田照哉
第113回1994年12月17日ローズムーン牝54:40.6五十嵐久田村駿仁(株)大東牧場
第115回1995年12月16日フジノスラッガー牡54:44.9臼井武和田正道中村寛俊
第117回1996年12月14日ポレール牡54:44.0星野忍岩元市三林進
第119回1997年12月13日ケイティタイガー牡84:45.5嘉堂信雄吉岡八郎瀧本和義
第121回1998年12月19日ビクトリーアップ騸54:44.1横山義行吉永正人(有)池ばた

J・GIに格付けされてからの歴代優勝馬

回数施行日優勝馬性齢勝時計優勝騎手管理調教師馬主
第122回1999年12月18日ゴッドスピード牡54:42.6西谷誠瀬戸口勉坪野谷和平
第123回2000年12月23日ランドパワー牡54:40.7金折知則福島勝木村善一
第124回2001年12月22日ユウフヨウホウ牡44:44.1今村康成松元茂樹(株)アイテツ
第125回2002年12月21日ギルデッドエージ牡54:51.6R.ロケット松元茂樹(有)ノースヒルズマネジメント
第126回2004年1月10日ブランディス騸74:40.9大江原隆藤原辰雄(有)サンデーレーシング
第127回2004年12月25日メルシータカオー騸54:37.6出津孝一武宏平永井康郎
第128回2005年12月24日テイエムドラゴン牡34:39.9白浜雄造小島貞博竹園正繼
第129回2006年12月23日マルカラスカル牡44:41.0西谷誠瀬戸口勉河長産業(株)
第130回2007年12月22日メルシーエイタイム牡54:39.7横山義行武宏平永井康郎
第131回2008年12月27日キングジョイ牡64:45.0高田潤増本豊松岡隆雄
第132回2009年12月26日キングジョイ牡74:41.7西谷誠増本豊松岡隆雄
  • 競走名:第1回 「大障碍特別」、第2回「中山大障碍特別」、第3~8、20、21回 「農林省賞典障碍」、第9~18回 「中山農林省賞典障碍」、第19回 「中山農商省賞典障碍」、第100回 「東京大障害」
  • 距離:第16~19回 4240m、第20、21回 3350m、第55~68回 4200m、第100回 4000m
  • 勝時計:第1~42回 1/5秒表示、第43回~ 1/10秒表示

脚注

Template:Reflist

Template:中央競馬のグレードワン競走en:Nakayama Daishogai

個人用ツール