権力分立

出典: Wikipedio

三権分立 から転送)

Template:政治 権力分立(けんりょくぶんりつ、けんりょくぶんりゅう)とは、国家権力を性質に応じて分け、それぞれを別個の機関に分散させ、各機関に他の機関の越権を抑える権限を与え、相互に監視しあうことにより抑制均衡を図り、もって権力の集中・濫用を防止し、国民の政治的自由を保障させようとするシステム。また、そのような自由主義的統治組織原理を権力分立主義という。対義語は、権力集中、権力集中制。通常、国家の権力は、立法行政司法の三権に分けられるため、三権分立(さんけんぶんりつ)とも呼ばれる。

目次

沿革

権力分立の考え方は、17世紀半ばに、イギリスジョン・ロックが著書『市民政府二論』や、フランスモンテスキューが著書『法の精神』などにおいて提唱したのを初めとされることが多い。 今日では、日本アメリカ合衆国をはじめとする多くの国の制度で採用されている。

三権分立と権力分立

三権分立

権力分立は、国政上、三権分立ともいわれる。これは、国家権力を立法権行政権司法権の三権に分類し、それぞれ、立法権を立法府、行政権を行政府、司法権を裁判所に担わせるからである。もっとも、その眼目は権力分立にあるため、三権以外にさらに権力を分立させることもある(行政委員会など)。

これらの三権は、法との関係に着目して、簡単に次のように説明される。

  • 立法権:法を定立する権力
  • 行政権:法を執行する権力
  • 司法権:法を適用する権力

立法権は一般的抽象的な法規範を定立し、司法権と行政権は個別的具体的な事件に法を適用・執行する。ここで、「執行」と「適用」は元々一体のものである点に注意を要する。行政権が法を「執行」する際には、当然、法を「適用」しなければならず、司法権は法を「適用」して裁定するほか、自ら「執行」もする。そのため、行政と司法は、司法権が法を適用し「終局的に裁定する」ことをその顕著な違いと解すべきである。

また、行政は、立法・司法に比べて、定義づけしにくい。そのため、行政の定義については、国家作用から立法と司法を控除したものとして消極的に定義する見解(控除説)が通説とされる。これは、当初すべての権力が君主に集中し、そこから立法権が議会に移譲され、司法権が裁判所に移譲された歴史の流れにも沿うものである。現代では、大統領制と議院内閣制のいずれの体制を採る国も、行政権の増幅が大きく、いわゆる行政国家現象が顕著である。 行政権は、行政立法によって立法権と重なり、行政審判によって司法権と重なる。そのため、三権分立は、特に行政権の侵食から立法権・司法権を守る防衛原理(行政権にとっては抑制原理)としての意味が大きくなっている。

その他の権力分立

権力分立は、権力をなるべく分散させることを目指す原理である。国政上の三権分立のほか、地方自治と国政を分ける地方自治制、立法機関における両院制(二院制)、裁判所の三審制行政機関の分担管理による省庁制(部局分掌)なども、権力分立の一種といえる。

なお、台湾中華民国政権)は「五院分立」(立法院・行政院・司法院・考試院・監察院)としている。また、報道を「法律を伝達する権力、第四権力」として含めて四者として、四権分立(しけんぶんりつ)と呼ぶこともある。

権力分立の類型

憲法学上、権力分立の在り方は、様々に分類される。その主な類型としては、

  • 立法権優位型(フランス型)と三権対等型(アメリカ型)
  • 大統領制議院内閣制
  • 大陸法系と英米法系

などがある。もっとも、権力分立制は各国の歴史上発達した制度であるため、その現れは国により多種多様である。単純一様に分類することはできない。

立法権優位型と三権対等型

立法権優位型と三権対等型は、国家権力を立法・司法・行政の三権に分けた上で、立法権優位の構造を持つものと三権同格の構造を持つものに分ける類型である。

立法権優位型とされるフランスでは、絶対王政の下で、司法権が行政権とともに権利侵害の象徴的存在として国民から不信を抱かれており、また、国民代表への信頼から立法権に大きな信頼が寄せられていたことから、立法権優位の構造が形成されたとされる。立法権優位の構造を持つ国としては、フランスのほかイギリスが挙げられる。イギリスでは、この構造を指して議会主権ともいわれる。

三権対等とされるアメリカでは、イギリス議会への抵抗から独立に至った歴史を持ち、また、建国当初の指導者達の中に民衆への不信があったことから、立法権を担う議会への不信があり、対等な三権が牽制し合う体制を形成したとされる。日本の学界ではアメリカの三権は極めて厳格に分立されているということが通説だが実際権力の分立は厳格ではなく、各機関が隷属的に三権を所有している状態である。日本も三権は対等とされるため、三権対等型に分類することができる。

大統領制と議院内閣制

大統領制と議院内閣制は、行政権の担い手により分けられる。

大統領制の国では、国民が直接選出した大統領が行政権を担い、大統領は国民に対して直接政治責任を負う。大統領制を採る国としては、アメリカ・フランス・ドイツ韓国などがある。アメリカの大統領選挙は、名目上間接選挙とされているが、実質的には直接選挙となっている。大統領制を採る国の中でも、大統領が名目上の国家元首として大きな政治権力を持たない国と、大統領が国家元首として大きな権力を持つ国とに分けられる。ドイツは前者、アメリカやフランス・韓国は後者にあたる。

議院内閣制の国では、議会が選出した首相が組閣して、内閣が行政権を担い、内閣は議会に対して政治責任を負い、間接的に国民に対しても政治責任を負う。議院内閣制を採る国としては、イギリス・ドイツ・スペイン日本などがある。議院内閣制の国では、国家元首は実質的に象徴的な役割しかもたない。議院内閣制の国は、君主に象徴的な役割しか与えない立憲君主制、また大統領に象徴的な役割のみをあたえる大統領制のどちらかを採っている。

大陸法系と英米法系

大陸法系と英米法系は、行政権に対する司法権の関わり方に大きな違いがある。

大陸法系の諸国では、行政権の司法権からの独立が強調され、行政裁判所制度を持つ。行政裁判所は、行政事件を専門に審理する行政部内の特別裁判所で、通常の裁判所の系統から独立した機関である。大陸法系の国であるフランスやドイツで採用されている。大日本帝国憲法の下では、日本でも行政裁判所が置かれた。

英米法系の諸国では、行政裁判所制度を採らず、行政事件も通常の裁判所が審理する。イギリス・アメリカのほか、アメリカ法の影響を強く受けた日本国憲法下の日本も、行政裁判所の設置を認めない。

日本における権力分立

Template:日本の統治機構

権力分立前史

古くから、日本を含めた中国とその周辺諸国では、すべての権力を君主あるいはその時々の政権に集中させていた。このため、明治以前の日本では、立法権と行政権、司法権はほぼ同じ機関が担った。江戸幕府の役職である町奉行(江戸町奉行)が、江戸市中に施かれる法を定立し、行政活動を行い、民事・刑事の裁判も行っていたことは、その典型である。

1868年明治元年)、明治時代に入り、五箇条の御誓文を実行するために出された政体書には「天下の権力、総てこれを太政官に帰す、則政令二途出るの患無らしむ。太政官の権力を分つて立法、行法、司法の三権とす、則偏重の患無らしむるなり。」として、三権分立主義を採ることが明記された。

しかし当時は、裁判こそが行政の最大の役割であると考えられており、1872年(明治5年)に司法卿・江藤新平が欧米に倣って、行政権と司法権を分離させる制度の構築を図ったところ、特に地方行政の担い手である地方官から猛反発が起きた。例えば、京都府からは「仰地方の官として人民の訴を聴くこと能はず、人民の獄を断ずるを能はず、何を以て人民を教育し、治方を施し可申哉」(地方官が民事訴訟をしてはいけない、刑事裁判をやってはいけないと言うが、ではどうやって人々を教育して地方を治めろというのか)と抗議が行われ、諸府県からも同様の抗議が殺到したという。

また、1875年(明治8年)に終審裁判所である大審院が設置された後も、大審院の判決に司法卿が異議申し立てをする権利を保留する(江藤は既に佐賀の乱で処刑されている)など問題が多く、後の自由民権運動でも国会開設問題(立法権の政府からの分離要求)と並んで政府批判の材料とされた。

大日本帝国憲法下の権力分立

こういった紆余曲折を経て、1890年(明治23年)、大日本帝国憲法が施行され、帝国議会の成立と裁判所構成法の制定により、日本にも一応権力分立の体制が整う。しかし、すべての権力(統治権)は天皇が総攬し、立法権は帝国議会の協賛を以て天皇が行使し、司法権は天皇の名に於て裁判所が行使し、行政権は国務大臣の輔弼により天皇が行使する、不完全な権力分立制だった。

立法権は、帝国議会の協賛を経ずとも、緊急勅令と独立命令によっても行使された。また、司法権は独立していたものの、裁判所の人事や規則を扱う司法行政権は、行政官庁である司法省が管轄していた。このため、裁判官の人事権を用いて、司法省が裁判所を事実上指揮する事も可能であり、司法権の独立は形骸化されてしまうような事態も生じえた。さらに、後年には陸海軍(軍部)が、天皇の統帥権軍部大臣現役武官制をてこに、他の三権から遊離して増長し、暴走する事態ともなった。

なお、大日本帝国憲法においては、行政庁の処分の違法性を争う裁判行政裁判)の管轄は、司法裁判所にはなく、行政庁の系列にある行政裁判所の管轄に属していた。この根拠については、伊藤博文著の『憲法義解』によると、「行政権もまた司法権からの独立を要する」ことに基づくとされている。これに対して、江藤新平は明治初頭に「司法権もまた行政権からの独立を要する」もので、行政裁判といえども行政が裁判に関るのは司法権の独立に対する侵害であるという論理を主張している。

日本国憲法下の権力分立

1947年昭和22年)に施行された日本国憲法は、アメリカに倣った厳格な三権分立と、イギリスや大正デモクラシー期の議院内閣制を折衷した三権分立制を採っている。

権力分立の態様

まず、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(1条)とされ、「国政に関する権能を有しない」(4条1項)ものとされた。天皇の「国事」に関するすべての行為(国事行為)には、内閣の「助言と承認」を必要とし、内閣がその責任を負うこととされた(3条)。

立法権を行使する国会は、衆議院と参議院からなり、「全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」(43条1項)ものとされた。国会は、「国権の最高機関」であって、「唯一の立法機関」とされている(41条)。「最高機関」の意味するところは、統治権を総攬するかつての天皇のような機関という意味ではない。

また、「唯一の立法機関」と定められたことから、国会中心立法の原則国会単独立法の原則が導かれる。国会中心立法の原則とは、国会による立法以外の実質的意味の立法は、憲法に特別の定めがある場合を除き許されないという原則である。その例外には、議院規則最高裁判所規則などがある。内閣が定める政令は、個別具体的な委任による立法のみが許される。

国会単独立法の原則とは、国会による立法は、国会以外の機関の参与を必要とせずに成立する原則をいう。その例外としては、95条の地方自治特別法がある。天皇による「公布」(7条1号)は、大日本帝国憲法における天皇の「裁可」のような機能を持たない。内閣の法案提出権は、国会の審議採決を妨げず、また、72条に議案提出権が定められているため、許されると解される。

全て司法権は、最高裁判所下級裁判所からなる裁判所に属することとされ、最高裁判所は終審裁判所とされる(76条1項)。特別裁判所の設置は禁止され、行政機関が終審として裁判を行うことはできない(同条2項)。司法権の行政権からの独立を確立するため、司法行政権は司法権の一部として裁判所に帰属することになった。また、行政裁判所は廃止され、通常の裁判所が行政事件を管轄する。さらに、最高裁判所は「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所」とされた(81条)。これは、最高裁判所および下級裁判所が、違憲立法審査権を有することを意味すると解されている。

「行政権は、内閣に属する」(65条)。他の二権が、「唯一の」(41条)あるいは「すべて」(76条)とされているのに対し、単に「属する」と定められたことは、三権分立が行政権にとっては抑制原理(他の二権にとっては防衛原理)とされていることを意味すると解される。内閣は、「首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣」で組織される(66条1項)。内閣総理大臣は、「国会議員の中から国会の議決で、これを指名」(67条1項)され、天皇に任命される。国務大臣は、内閣総理大臣が任命し、天皇が認証する。国務大臣の過半数は、国会議員の中から任命される。このように、内閣総理大臣を国会議員の中から国会が指名し、内閣が行政権行使について「国会に対し連帯して責任」を負う(66条3項)ことから、議院内閣制が採られているものと解される。

三権相互の関係

まず、国会と内閣の関係は、議院内閣制の下、国会による内閣総理大臣指名権が要点となる。また、衆議院は内閣不信任決議を行うことができ、可決されると内閣は総辞職か衆議院の解散・総選挙を選ばなければならない(69条)。さらに、内閣は衆議院を解散する権限を有していると解されている(7条3号)。これにより、国会と内閣は均衡し、内閣と国会における与党が一致して国政を運営している。なお、議院には国政調査権が付与され(62条)、この権限を適切に行使することにより、国会には内閣の行動を監視監督する機能も期待されている。

次に、国会と裁判所の関係は、司法の独立を基調にして、国会から裁判所への過度の干渉は排除されている。国会は法律を制定して裁判官を拘束し(76条3項)、また、非行などのあった裁判官は、国会議員からなる裁判官弾劾裁判所が弾劾する(64条)。ただし、裁判官弾劾裁判所は国会から独立した機関とされ、また、刑罰を科すことはできない。一方、裁判所は、国会の制定した法律の憲法適合性を審査するため、違憲立法審査権を有するなど、立法権抑制のため、強い権限が付与されている。

裁判所と内閣の関係は、司法の独立があるものの、密接である。最高裁判所の長官は、内閣が指名し、天皇が任命する。最高裁判所のその他の裁判官は、内閣が任命する。下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣が任命する。このほか、判事が法務省などの行政機関に出向して行政事務を行い、あるいは、検事が裁判所に出向して判事になるなど、判検交流と称される人事交流も広く行われる。このように、内閣が裁判官人事に深く介入しているためか、行政事件は裁判所が審理裁判するものの、行政に不利な判断は滅多に示されない。また、裁判所では、いわゆる司法消極主義の態度が広く見られ、政治部門に対する法的判断は控えられる傾向にある。このような裁判所と内閣の関係は、戦前の司法行政権の名残であるとも言えなくはない。地方裁判所・高等裁判所で地域住民の訴えを認めた判決が、最高裁判所に上告されると判決がくつがえるなどの事例も多く、日本国の三権分立は、司法権が行政権に支配を受けやすい状態であるといえ、現状での最高裁判所の実態は、人権保障の最後の砦としての「憲法の番人」とは呼べない状況にある。このような最高裁判所の実態は「憲法の番人」ならぬ「権力の番犬」と揶揄されることもある。

ただし、行政が司法の任命権を持つことは世界の権力分立制度に共通のものである。これらの国との違いは、日本において政権交代が著しく少ないことが原因とする考えもある。アメリカの場合は、上院の承認さえクリアすれば、大統領によってより恣意的に合衆国最高裁判所の判事の選任が行われる。しかし判事の任期は終身であることから、辞任した判事の後任を任命することしかできないため、数年に1人程度の任命しかなく、結果的に共和党と民主党の交代に伴って、判事がバランスよく配分されることになる。このような状況は、日本では自民党政権が長期にわたっていたためあまり無く、行政と司法の距離を特に近づけているとする考え方である。

関連項目

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