ポーラ・ラドクリフ

出典: Wikipedio


Template:Infobox 陸上選手 Template:Commons ポーラ・ラドクリフPaula Radcliffe1973年12月17日 - )は、イギリスチェシャー州ノースウィッチ生まれの長距離走選手。現在の女子マラソン世界記録保持者で、フルマラソンは2009年11月現在11戦中8勝しているが、その内の2敗はオリンピックでの舞台である。

現在10kmのロード世界最高記録保持者。ラフボロー大学で近現代語を学んだ。現在1児の母でもある。喘息の持病がある。

目次

来歴

  • 1973年 ノースウィッチ近くのデヴァンハムで生まれた。まもなく両親はポーラを小学校入学させるためにバーントン近郊へ移り住む。喘息貧血症を患いながらも、7歳の時、アマチュアランナーとして活躍する父の影響で長距離走を始めた。まもなく「フォロッドシャームアスレチッククラブ」に所属する。家族がキングスレーに引越し、12歳のときオークリーに移り住むと父親が副会長となった「ベッドフォードアスレチッククラブ」に所属し、マラソン好きの母もまた彼女をサポートするために同クラブのマネジメントを手がけるようになる。シャーンブルックアッパースクール&コミュニティーカレッジ入学クラスメートにはサッカー選手のダン・ホールがいた。ラフボロー大学でフランス語、ドイツ語を学び、近代ヨーロッパ史を先行し、首席で卒業。
  • 初マラソンとなった2002年4月14日のロンドンマラソンでは、2時間18分56秒のゴールタイムでいきなりマラソン初優勝、世界歴代2位(当時)の記録を出した。同年10月13日のシカゴマラソンでは、当時の世界記録保持者だったキャサリン・ヌデレバ(ケニア)の記録を1分以上更新する、2時間17分台の世界最高記録をマークしてマラソン2連覇を果たす。そして翌2003年4月13日のロンドンマラソンでは、自身の記録を2分以上も更新する2時間15分台の驚異的な世界最高記録を打ち立て、初マラソンからのマラソン3連勝を達成した。
  • 2000年4月のシドニーオリンピックの女子10000mでは、序盤から積極的に先頭集団のトップに立ち、ハイペースでレースを引っ張った。レース終盤の残り1周まで先頭にいながらも、ゴール直前のスプリント勝負に屈して4位入賞に留まり、前回のアトランタ五輪に引き続き惜しくもメダルに届かなかった。
  • 翌2001年8月の世界陸上エドモントン大会女子10000mでは、昨年と全く逆にスローペースの集団にもまれながらレースを進め、ゴール直前でスパートをかけたが、またもスプリント勝負に敗れて結局4位に終わる。 
  • 2001年、2002年の世界クロスカントリー選手権を2連覇。
  • 2002年ヨーロッパ選手権の10000mで優勝。2003年世界陸上選手権パリ大会は故障により棄権したため、この優勝がトラック競技における頂点となった。
  • 2002年7月にはナイトの称号(MBE)を受け、同年BBCが選出する年間最優秀スポーツ選手に選ばれた。
  • 2003年12月に欧州クロスカントリー選手権で2度目の優勝。これはこの大会の10年間の歴史で初となった。
  • 2004年8月のアテネオリンピックでは、マラソンと10000mとの2種目で金メダル獲得を目指す事となった(2種目出場は周囲から反対の意見も有り、ラドクリフ自身も当初はどちらか1種目に絞る予定だった)。しかし、女子マラソンでは優勝した野口みずきの25Km過ぎのスパートについていけず、優勝争いから脱落。それから4位に落ちた後36km地点で立ち止まり、悔し泣きしながら途中棄権した。さらに5日後、女子10000mにも強行出場したが、マラソンでの疲労の影響もあって精彩を欠き、ライバルたちに置いていかれた後、8周を残して途中棄権した。結局、2種目ともメダル獲得や入賞はおろか、完走も出来ないまま終わってしまった。気温30度を超える猛暑の影響と、脚の故障による消炎剤の過剰な服用により、内臓に悪影響を及ぼしたことが敗因と言われる<ref>スコアカード-Olympic Road マラソンの女王、復活。そのたくましさと潔さ。</ref>。
  • 2005年4月のロンドンマラソンで2年ぶり3度目の優勝を果たした。途中23マイル地点で腹痛のため15秒ほどロスしたが、2位に5分以上の大差をつける快走で復調を示した。
  • 同年8月の世界陸上ヘルシンキ大会女子マラソンでは、気温15度を下回る好条件もあって、レース序盤から自らハイペースで飛ばしていった。その後もペースが落ちることなく終盤は独走となり、2時間20分57秒の大会新記録で優勝、初の世界のタイトルを手にした。
  • 2006年7月に妊娠を発表。2007年1月17日に出産、母子共に元気であると公式HP上にて告知された。同年6月頃より練習を再開させるが、同年9月開催の世界陸上大阪大会女子マラソンは欠場した。
  • 2008年4月13日に行われたロンドンマラソンに出走予定だったが、右足の爪先のケガにより欠場した。その後左臀部に故障を発生し、診断の結果左大腿骨疲労骨折を起こしている事が判明する。
  • 2008年8月17日に開催された北京オリンピック女子マラソンには、同じイギリス代表のマーラ・ヤマウチらと共に出場したが、レース中に足の故障が再発。38Km付近で前回アテネ五輪同様立ち止まってしまったが、その後は足を引きずりながら走り続け、なんとか完走こそしたものの順位は23位、平凡な結果に終わった。五輪には4大会連続出場を果たしているものの、まだ一度もメダルを獲得していない。
  • 2008年11月2日開催のニューヨークシティーマラソンに出走、2年連続3回目の優勝を果たした。
  • 2009年11月1日開催のニューヨークシティーマラソンに出走したが、優勝したデラルツ・ツルらに敗れて4位に終わり、同大会の3連覇を逃した。

ラドクリフのマラソン世界最高記録

マラソン戦績

大会開催国成績タイム備考
2002 ロンドンマラソン Template:GBR Template:優勝 2:18:56初マラソン世界最高記録
2002 シカゴマラソン Template:USA Template:優勝 2:17:18世界最高記録(当時)
2003 ロンドンマラソン Template:GBR Template:優勝 2:15:25世界最高記録
2004 アテネオリンピック 40px Template:GRC Template:DNF 途中棄権
2004 ニューヨークシティーマラソン Template:USA Template:優勝 2:23:10
2005 ロンドンマラソン Template:GBR Template:優勝 2:17:42
2005 世界陸上ヘルシンキ大会 Template:FIN Template:優勝 2:20:57大会最高記録
2007 ニューヨークシティーマラソン Template:USA Template:優勝 2:23:09
2008 北京オリンピック 40px Template:CHN 23位 2:32:38
2008 ニューヨークシティーマラソン Template:USA Template:優勝 2:23:56
2009 ニューヨークシティーマラソン Template:USA 4位 2:29:27

脚注

<references />

外部リンク

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