トーク:零式艦上戦闘機

出典: Wikipedio


Template:NOINDEX このページには削除された版があります。削除に関する議論は「Wikipedia:削除依頼/零式艦上戦闘機」をご覧ください。


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目次

修正報告

その後調べてみると特別特攻隊という呼称が存在することを確認しました。要約に書いたことは取り消します(すみません)。43.244.12.190 08:18 2003年9月14日 (UTC)

ばらばらに付け加えられていった文章を、全体に読みやすく修正しましたが、解釈が間違っていたらすみません。ところで「3つのネバー」って何?ロリ 13:11 2004年2月21日 (UTC)

べこべこ

実物を欧米の物と比較して見たが機体はべこべこである。客観的に見てもべこべこである。私を含め他の誰もがそう言っていた。写真はレプリカなので美しく見えるが実物は違う。見た目の印象も記事として重要であろう。ロリ 15:31 2004年3月12日 (UTC)

「欧米の物と比較して」→比較対照が漠然としすぎており具体性に欠けます。
「見たが機体はべこべこである」→あなたが見た個体固有の特徴にすぎません。
「私を含め他の誰もがそう言っていた」→著しく客観性に欠けるコメントです。
「見た目の印象も記事として重要であろう」→規約を熟読してください。

上記の方へ。だれの意見か区別付かないので次回よりログインしていただけますよう宜しくお願い致します。ログインされない方、ログインしてもステハンの方は語調は強いが内容に責任を持たない書き逃げが多いので・・・(上記の方と言う訳ではありません)基本的にはログインされない方へは返答致しておりませんが、今回のみコメントさせていただくと。
「あなたが見た個体固有の特徴にすぎません。」→そうその通り固体固有の特徴です。
「比較対照が漠然としすぎており具体性に欠けます。」「著しく客観性に欠けるコメントです。」→一般的に花は美しい。一般的に幼稚園児はかわいい。一般的に糞尿は臭い。一般的に唐辛子は辛い。一般的に岩は硬い。一般的に北海道は寒い。一般的に自動車のクラクションは煩い。一般的に飴は甘い。一般的にインドネシアは熱い。一般的に針は鋭い。一般的に砂岩はもろい。一般的に零戦はべこべこ。見た人が少ないだけで著しく客観性にかけているとはいえないと思います。あなたが見てもべこべこだと感じます。
「規約を熟読してください。」→残念ながらどこが該当するのか分かりません。この様な一般的表現はWikiの記事中に数え切れないほどあります。
これらの表現は数値で計れませんし、計れる物であっても計ってもあまり意味がありません、人間としてどう感じるかと言うことがその物を知る上で一番分かりやすい表現だと思いますロリ 07:18 2004年3月13日 (UTC)

ロリさんへ。ロリさんはどこにあるどの機体をどの欧米の機体と比べられたのでしょうか。(残念ながら、日本はウォーバードについての関心が低く、フライアブルな機体はほぼない状態でありかつ保存についても万全とは言い難い状態です。)零戦は作られた工場によってもかなりのバラツキがあったといわれています。0null0 04:05 2004年3月13日 (UTC)

0null0さんこんにちは。いつもなんてお読みするのか迷います。「オヌロ」さん?私が見た機体はニュージーランドの国立博物館です。欧米の機体はアメリカ製とイギリス製であったと思います。第2次世界大戦中活躍した機体でどれも実物だと書いてありました。ニュージーランドも日本軍への攻撃に参加して死傷者も多くいました。ロリ 07:18 2004年3月13日 (UTC)

お返事ありがとうございます。読み方は気にしないでください。その機体がレストアした機体かどうかというのも重要かと思います。0null0 07:25 2004年3月13日 (UTC)

レストアした感じではありませんでしたが、もともと波打ったような機体に見えました。他の方の記事の大幅改修でも良い話ばかりで、超超ジュラルミンの明らかなべこべこさは認めて頂けないようなのであきらめます。ロリ 15:08 2004年3月13日 (UTC)
あと一つ気になっている場合として。被弾などして現地で修復する場合、あまりいい状態にはならなかったようです。そういうケースなのもあるかもしれません。(南洋の某島で零戦の残骸を見ましたが思ったよりも硬くて悪さ^^;できませんでした。)0null0 01:26 2004年4月8日 (UTC)
べこべこは材質によるもんではないですよ。工場から出たときはどんな機体でもほぼつるつるです。もちろん、リベット打ちの時にある程度の歪みは出ますけど。んで、配備後に空戦機動なんかを繰り返すとどうしてもべこべこになってきます。流石に波板を採用した機体では目立ちませんが;-)。まぁ、身近な物を上げてみると山手線や京浜東北線の走るんですシリーズの外板上部の歪みと製造年数を比較してみてください。--T-ohara 2004年7月16日 (金) 05:18 (UTC)
追加。零戦当時の戦闘機の機体寿命は200飛行時間程度(実戦部隊でのハードな使用の場合)ですので、比較した機体の実飛行時間が同程度で無いと「超超ジュラルミンの明らかなべこべこ」が真実が否かは判断できないと思います。南方で遺棄された機体は機体寿命が尽きている可能性が非常に高いですし、米軍の機体は持ち帰って片っ端から溶かしてインゴットにする位余ってましたから、博物館に展示してある機体でも実飛行時間が非常に短い可能性が高いですから。--T-ohara 2004年7月16日 (金) 12:23 (UTC)
問題の機体はこちら([1], [2])にある写真でしょうか?英語のサイトのカラーの2枚目,左からの写真ですが,胴体にdent(へこみ)ありまくりですね…….でも"The engine and airframe were found to be in good condition"といってますね.あれでもマニュアルで調べたらlimit inだ,ってことでしょうか.
材質だけでなく,板厚も考えないといけないでしょう.超超だろうが超だろうが,非常に薄ければべこべこだと思います.超超は超よりも腐食に弱いので,腐食による板厚減少が欧米機よりも効いている,という可能性もあるんじゃないでしょうか(欧米機が2024(超)で,保存状態が欧米機≧零戦という前提ですが).強度が高い分もともと板厚が小さいはずですし.--Marsian 2004年7月16日 (金) 13:41 (UTC)

外部リンクが上の2つが見られない状態です。今後もそうであれば削除すべきかと。0null0 2004年7月17日 (土) 10:38 (UTC)

削除が適当でしょうMiya.m 2004年7月19日 (月) 11:35 (UTC)

零戦は外板薄いですよ。言うまでもなく軽量化のためで、軽量化の手間こそが零戦最大の強みなのだから、外板ペコペコなのは仕方ありません。 機体の強度はギリギリにしてるので、降下速度とかの制限はかなり低いです。この点を改良(外板の厚み増)した52型は重くなってしまいました。 それから大事な事ですけど、超超ジュラルミンは構造材に使われてますけど外板は関係ありません。

こんにちは、利用者:GoPostal!と申します。ロリ氏は「この機体はレプリカでツルツルだが、本当の零戦はべこべこ」と主張しておられるようですが、反論があります。1・この項目に貼られている写真は遊就館で撮影された物ですが、この機体は「べこべこ」です。事実私が撮影した写真はそれを証明しています。2・この機体はレプリカではなく、以前は河口湖自動車博物館にて展示されていた実物です。きちんと栄が載っておりその気になれば飛行させることも可能なぐらい良好な状態です。ロリ氏はおそらく零戦に限らず飛行機に関して無知なのでしょう。欧米の機体、といっても具体例をあげられなかったりといった所を見ると。。。ロリ氏に限らず、反論があればどうぞ。例の機体。べこべこ具合も判る。私が撮影。べこべこ具合も判るであろう。GoPostal! 2006年8月7日 (月) 05:01 (UTC)

利用者:日本軍と申します。ゼロ戦の機体は軽量化を図るため外板をかなり薄くしているので、外板がゆがんでしまう(べこべこ)のです。ちなみに、遊就館のゼロ戦は何機かを組み合わせて作った復元機です。2006年10月20日 (金)23:59

「通説」として削除された部分について

まず、正確な数値を並べていただいたことに感謝します。
ただ、そのときに解説を「通説」としてかなり削除なさいましたね。一般の(つまりいわゆる「おたく」でない)読者から見て、わかりにくくなったと思われますが、いかがでしょうか?
私は根拠の無い「通説」などを並べていたわけではありません。海軍の「要求性能」を当時の時代背景にあわせて、わかりやすく翻訳・解説したつもりです。

ここからは、敵高速爆撃機を阻止し得る速力、上昇力、火力を備え、長時間の滞空(今で言う所のCAP)が可能な、高速重武装の艦上迎撃戦闘機が要求されている事が読み取れる。

といわれても、CAPの意味さえ知らない普通の読者は「どうしてそんなことが読み取れるのか??」と疑問に思うだけではありませんか?
数値に置き換えただけでは、その数値が意味するところは、読者には伝わりません。 数字を並べるだけではなく、数字の裏にあることを一般読者にわかるように説明してこそ、百科事典と言えるのではありませんか?
当時(日中戦争)の状況から説き起こして、なぜこの数字(性能)を求めたか、について(別に私の言葉通りなどでなくてもかまいませんから)詳細な解説をお願いします。Miya.m 2004年7月19日 (月) 11:35 (UTC)

平易な説明文を起こさずに数値に置き換えた事ついての指摘は全くもってその通りであり、私の不徳のいたす所です。これに関しては近日中に加筆を行います。
一点Miya.mさんにお聞きしたいのですが、何故、「艦上戦闘機が爆撃機の護衛に使われた」と言う事実をもってして艦上戦闘機でしかない零戦に「爆撃機の護衛の為に長大な航続距離を与えられた」と判断できるのでしょうか?当時の動向を鑑みれば駆逐戦闘機を仕立てて護衛させる方向になると思いますし、事実、昭和十三年度の性能標準では遠距離戦闘機の用途に地上攻撃機護衛の役割がふられています。この件に関して通説では無いと言う資料を私は知りませんので出来れば御教唆願えませんでしょうか?--T-ohara 2004年7月19日 (月) 12:05 (UTC)
追記。出来れば昭和12年に始まった日中戦争の前に提示された性能要求に日中戦争での戦訓をどうやって盛り込む事が出来たのかもあわせて説明願います。--T-ohara 2004年7月19日 (月) 12:14 (UTC)
さっそくお返事ありがとうございました。加筆していただけるとのこと、安心しました。
なお、「日中戦争での戦訓」に関してですが、私の解説は零式に対する要求に関してであって、昭和12年に提示された「数値」に限定されたものではありません。なお日本海軍は零戦を艦上戦闘機+主力陸上戦闘機として認識しており、開戦時にも本土や台湾などの陸上基地にも多数配備しています。台湾の部隊は、開戦時において長距離爆撃機を護衛できる世界唯一の戦闘機の実績を示しましたし、後に南太平洋に展開して多くのエピソードを残しています。私見ですが当時の日本の国力で主力戦闘機のほかに駆逐戦闘機をたくさん作るのは、当時の人にとっても困難だったとわかっていたのではないでしょうか?だから零戦にできるだけの要求を注ぎ込んだと考えます。十三試双発陸上戦闘機(後の月光:昭和16年3月初飛行)の不調を尻目に、零戦は世界に類のない単発長距離戦闘機として完成していました。同時期の欧米の戦闘機と航続距離を比較して見れば、その目的は明らかと思います。Miya.m 2004年7月19日 (月) 13:33 (UTC)
う~ん。あそこはてっきり一二試艦上戦闘機に対する性能要求の節であって制式後の零戦に対する改善要求は含まないものだとばかり思ってましたが違ったのでしょうか?
前述の通り、日中戦争の戦訓が盛り込まれたのは昭和十三年度の性能標準以降ですから、零戦は出来てみたら以外と使えたから局地戦闘機や長距離戦闘機としても運用されたってのが事実でそれを無駄に美化するのは良くないと思うのですが。また、色々揃えるのは大変だったと書かれていますが、日中戦争勃発後の予算増大をうけて局地戦闘機やら長距離戦闘機やら(もちろん攻撃機、爆撃機、偵察機、飛行艇も)ばんばん試作要求が出されていますがこれについてはどうお考えですか?あと、舞台を同じくする米海軍機はともかく、運用思想の全く違う欧州機の航続距離と比較するのはナンセンスだと思うのですがいかがでしょうか?--T-ohara 2004年7月19日 (月) 14:23 (UTC)
Miya.mさんのを補足すると、当時の日本海軍の機種分別は雷撃が可能な機体=>攻撃機、急降下爆撃が可能な機体=>急降下爆撃機 となっておりました。
同様に艦上機とは艦上運用が可能な機体というだけのことであって艦上運用のみを想定された機体ではありません。もっと言うと陸上機とは艦上運用できない機体のことを言うというような塩梅で、実際陸上機って双発以上の大型機ですよね。やはり海軍機なので、「艦上機」が一般なんですよ。陸上機が一般で艦上機が特殊だとする一般の常識では通らないところでしょう(この辺は空自に制空戦闘機が無いのと通ずるところか)。局戦や長戦は後の時代の話でここで出すのは適当ではないでしょう。
あと、別件ですが、冒頭の「日本海軍の艦上戦闘機としては実質的な最終形式」というのは如何なものかと。艦上戦闘機を特殊視するのは既述のように誤りですし、烈風がほとんど活躍してないからという事実のみで「最終形式」と言うのもおかしいですし、それにでは最初は?というと96艦戦であり、たった二世代しかないのに「最終」というのもおかしいでしょう。--Pochi 2004年7月20日 (火) 15:33 (UTC)
最終形式と書いたのはおっしゃるとおり後継機烈風が戦力にならなかったからです。96艦戦が最初と言うのはPochiさんらしくないですね。例えば実戦では 昭和7年に三式二号艦上戦闘機が中国上空で空中戦を行った記録がありますよ。96艦戦の前の95艦戦は複葉でした。Miya.m 2004年7月20日 (火) 21:05 (UTC)
おそらくそういうレスが付くと思ってました^^; 烈風が含まれないということを考えると、前の方もたんなる機体の存在だけではここでカウントできないと判断しました(ですから戦歴の有無も関係ないと)。特に日本海軍のとなっているわけですから、機体設計が欧米の模倣から脱し、オリジナルティー溢れる機体と考えると96艦戦なのかなぁっと。--Pochi 2004年7月21日 (水) 00:25 (UTC)
要求性能、たしかに試作機の性能値をさす言葉ですが、『どんな飛行機を作りたいか』という意味もあると思います。日本海軍は開戦直後のハワイでもフィリピンでも爆撃部隊に戦闘機の援護を付けていますので、用兵上この機種が必要であることを知っており、準備していたと考えるべきでしょう。当時のF4Fは足が短く、ミッドウェー海戦でもアメリカの攻撃隊は護衛なしで、デバステーターなどはほぼ全機撃墜されてした。B-17のドイツ爆撃も最初は護衛なしで苦労しました。この用兵上の先進性とそれを可能にした性能は特筆すべきと考えます。(ドイツのBf-110は言わないでおきましょう)
すみませんが今から仕事なので続きはまた後ほど。Miya.m 2004年7月19日 (月) 21:41 (UTC)
「外国が知らなかった」というのは誤りでしょう。近距離なら他の国でも単戦の護衛付けてますよね(戦闘機による護衛の有用性を知るからこそ「高速爆撃機」とかその上での「戦闘機無用論」や、双発戦闘機が出てきたわけで)。ただ、各国の予想に反して双発戦闘機が役に立たず、単発戦闘機でそれが可能だったのが零戦だけだったというだけのことでしょう。
また、別に太平洋戦争開始後に限定しなくても、それ以前から大陸での「渡洋爆撃」で零戦が護衛に付いてますよね。--Pochi 2004年7月20日 (火) 15:35 (UTC)
外国が知らなかったと書いていません。用兵上必要であると認識した上で、実戦に投入できる長距離単座戦闘機を準備していたことが特筆に値すると言っているのです。その命題の解決が容易でなかったから、米国は(知っていたかもしれないが)準備が遅れ、実戦投入が零戦より遅れたわけです。Miya.m 2004年7月20日 (火) 21:05 (UTC)
確かに各国では類を見ない長距離単発戦闘機というのは間違いないでしょう。ただ、日本海軍を含めた各国は爆撃機への護衛は双発戦闘機で行おうとしており、日本海軍の思想が諸外国よりも先んじていたとは思えません。ただ、その双発戦闘機達が役に立たず、リストから外すと単発機でずば抜けた後続性能を持っていた零戦がクローズアップされたというところでしょう。零戦の高い航続性能も零戦が軽戦でしかもその上防弾装備等がなく(その分燃料タンクは大きめにできた)、極めて軽くエンジンの方の消費量も少なかったから航続性能を上げれたわけで(実際エンジン出力をチョット上げて翼端をチョット切り詰め…ただけで航続距離は目茶苦茶減ってますよね)、別に諸外国に思想的な遅れや怠慢があったとは思いません。--Pochi 2004年7月21日 (水) 00:25 (UTC)

やはりそのあたりをまとめるにはドゥーエの理論をもってこないといけなさそうですね。0null0 2004年7月21日 (水) 00:45 (UTC)

いや、それ以前に何が悲しくて海軍の対艦攻撃機が陸爆をやってるんだって突っ込みの解説から入らないと駄目だと思うのですが。--T-ohara 2004年7月21日 (水) 01:46 (UTC)

そのあたりについてよくご存知の方は、是非九六式陸上攻撃機にもご加筆願います。ここでの楽しい議論の間にも記事のほうは着実に充実して頂いているようです。私も記事を書くほうが好きなのでこれにて失礼します。Miya.m 2004年7月21日 (水) 13:00 (UTC)

少なくとも零戦登場前後においてのアメリカ陸軍では、Pの頭文字の通り、単戦を爆撃機の護衛につけるという発想はあまりありませんでしたよ。というより、陸軍自身どんな戦闘機がベストか態度を決められず、P-40にしてもP-39にしても要求がはっきりせず中途半端な機体にしてしまっているのです。P-38とP-51はもともと迎撃機です。P-43は進攻用戦闘機でしたが思い切りコケました。発展型のP-47は航続距離が短すぎてほとんど対地支援と迎撃機として使われました。海軍は、F2AにしてもF4Fにしても、目的的には零戦に極めて近い発想で設計されていると思います。 --222.13.113.108 2005年5月18日 (水) 03:08 (UTC)

P-47の航続距離は短くありませんよ。かなり長いです。ただベルリンまで爆撃機を援護できるだけの航続性能はP-51にしかなかっただけです。P-47が迎撃機として使われたというのもおくわかりません。またP-51も米軍では地上攻撃専用の攻撃機としてのデビューですね。--シズク 2007年1月18日 (木) 17:22 (UTC)

改良型

3.3 改良型 ですが、変遷を正確に表現するにはテキストを使った図表ではやはり苦しいのでは。現状だと四一型も防弾装備があったように見えてしまいますよね。それから二号機銃を装備したのは二二甲型からでは?--KZY 2004年7月23日 (金) 16:35 (UTC)

お手軽に表現できる手段を使っただけであり、それ以上でもそれ以下でもありません。間違っている、誤解しやすいとお思いでしたら適宜修正、若しくは差し替えを行ってください。ただ、修正が容易ではない方法(PowerPoint等で作図し、imageで張りつける)を取るのだけは止めてください。--T-ohara 2004年7月25日 (日) 18:55 (UTC)
修正案を作ってみました。--KZY 2004年7月28日 (水) 13:14 (UTC)
発動機|                    形  式                    |主翼
---+--------------------------------------------+-----------
瑞星 |一一型                                         |翼端折り畳みなし
栄一一| +-→二一型----------------→四一型(計画のみ)           |翼端折り畳みあり
栄二一|     +-→三二型                                 |翼端切り落とし(角型)
 〃 |         +-→二二型→二二甲                         |翼端折り畳みあり
※1 |                 +-→五二型→五二甲→五二乙→五二丙-----→六二型|翼端切り落とし(丸型)
栄三一|                                 +-→五三型-→六三型|  〃
金星 |                                 +-→五四型-→六四型|  〃
---+--------------------------------------------+-----------
   |←   九九式一号機銃   →|←         九九式二号機銃          →|20mm機銃の形式
   |← 60発 →|←    100発     →|←    125発ベルト給弾     →|20mm機銃の弾数
装備 |←          7.7mm機銃          →/←   13mm機銃   →|副兵装
   |←            防弾装備無し           →|←  防弾装備有り  →|防弾装備
   |←         小型爆弾のみ          →|←  250kg  →|←※2→|爆装
    ※1 栄二一、栄三一甲、栄三一乙
    ※2 500kg爆弾

Kzyさんへ、まず型番の二桁の意味を書くのもよいかと思いますがいかがでしょう。0null0 2004年7月28日 (水) 13:32 (UTC)

Kzyさん、まずは作表ご苦労様です。四一型の位置が後ろ過ぎ(改修要求は二二→五二型と同時)の他には内容的には問題ないと思います

作表されていて気がつかれたかと思いますが、<pre>タグを使用した場合、環境によって横にはみ出す恐れがあるのでWikiのtableマクロで組んだ方が良いかと思います。細かい所を言うと、戦爆型のダイブブレーキの追加や6x型の胴体機銃の廃止や二一型後期生産機と前期生産機の違い辺りも触れた方が良いと思いますけど、そこまで細かくなると各型の項を立てて差異を記述した方が楽だと思います。--T-ohara 2004年7月29日 (木) 01:55 (JST)

四一型の位置が後ろなのは「125発ベルト給弾である」ことを示すためです。開発時期は特に考慮しませんでした。テーブルでうまく表現できるかは考えてみます。胴体機銃の有無も入れようかと思ったのですが他の装備と両立させた表現ができないので断念しました。型番の二桁の意味については追記してみました--KZY 2004年7月31日 (土) 05:11 (UTC)
申し訳ない、無意識に横軸を時系列と勘違いしていたようです。あ、そうそう、一一型の瑞星は最初の3機(2機だったかも)だけで後は栄装備だったと記憶しているのですが、違ったでしょうか?--T-ohara 2004年8月3日 (火) 07:39 (UTC)
そうですね、栄が正解ですね。まちがえました。栄一二型が正解のようです。--KZY 2004年8月4日 (水) 14:50 (UTC)
テーブル化が滞っているので、ひとまずテキスト版を誤記修正の上投稿します。長らく放置してしまい申し訳ありません。--KZY 2004年12月21日 (火) 03:24 (UTC)
簡単ですが、テーブル化しました。--atim 2007年8月16日 (木) 07:57 (UTC)

20mm機銃/機関砲について

陸軍機の20mm機関砲についてコメントアウトさせていただきました。これらの機関砲は「ホ-5」で、これは12.7mm機関砲の「ホ-103」の拡大型です。また、「ホ-103」はもともとブローニングM2 .50calのデッドコピーに近いものです。その為、海軍の九九式FFに比べ発射速度では劣りますが、弾道性能では格段に優れていたかと思います。ただし故障は多かったようですが。
また、仮想戦記作家に大人気の「マウザーMK151/20」は国産化されていません。念のため。

20mm機銃役立たず説ですが、これは坂井三郎氏が「大空のサムライ」シリーズの中で、「小型機相手にはほとんど7ミリで戦った」と記述していたかと思います。

なお、「機関砲」と「機銃」の呼称ですが、陸軍は8mmまでを「機銃」、これを超えると「機関砲」と呼びました。海軍は、20mm以下が「機銃」、それを超過すると「機関砲」です。

--222.13.113.108 2005年5月17日 (火) 21:35 (UTC)

両軍の火器の呼び名ですが。陸軍では、7.7mmまでを「機関銃」、それを超える物を「機関砲」と呼び。海軍では、連続射撃可能な火器は「機銃」と呼び、「機関砲」と言う名称はありません。細かいことですが少し修正を。--A6M4 2005年5月18日 (水) 15:25 (UTC)

この議論はわからないですね。>日本海軍では、口径9mm以下の機銃を小口径機銃、10~19mmを中口径機銃、20~40mmを大口径機銃、それ以上を機砲といっていた[3]<、たしかに、彩雲搭載のエリコン銃はあんなものが30ミリ機銃ですね。一発づつ撃てるのを砲といっていたとか、機関砲という呼称がないとか、銃ではなく使用する弾(銃弾、砲弾)によって呼称がかわったとか、いろいろな説があります。陸軍はフランス式で、海軍がイギリス式で始まってるので、さらに複雑になっています。一般的な雑誌など戦後の呼称と合わせて、海軍25ミリ、陸軍2センチとしましたが、A6M4さんがやや正しいようですが、戦争後期に陸軍が対空戦闘の警備兵として乗艦するようになってからは、大砲という陸兵に「そりゃ銃だろう」とは言いづらくなったり、陸軍で教育を受けた人が海軍の兵装の記述をするなかでの混同なのかもしれません。世界の艦船などでは「銃」で統一しているようですし。そこでとりあえず固定とにげていたのですが。でも彩雲の3cmはすこし気になりますので変えておきます。今出川 2007年9月28日 (金) 04:05 (UTC)

要望

ゼロ戦に使われたジュラルミンについて知りたいです--武者若丸 2005年11月5日 (土) 10:06 (UTC)

ジュラルミンの項目を充実させることが先決かと。0null0 2005年11月12日 (土) 09:19 (UTC)

現存する・現在展示されている零戦一覧とか必要じゃないですか?

陸軍で使用?

英語版の記事のテンプレで、ユーザーに帝国海軍と共に陸軍の名があがってるのですが、そのような例があったのでしょうか?--218.41.189.86 2006年6月23日 (金) 06:59 (UTC)

  • 陸軍の機体を海軍が使用したという例は知っていますが、零戦を陸軍が使用したことはないはずです。おそらく、頻繁に間違われる一式戦闘機と混合しているのではないかと。--A6M4 2006年6月23日 (金) 11:35 (UTC)
  • たしか南方戦線の戦闘に一回使用されたと思います。

なんでも、一式戦闘機と同じ要領で降下したとき 主翼の右が折れたそうです。--219.205.154.125 2006年7月23日 (日) 04:32 (UTC)

「いろいろな見解」を分割

保護タグが貼られてたので見に来ましたが、「いろいろな見解」を巡って編集合戦になりかけていた様子でした。このセクションは別項目を立てるに値すると考え、零式艦上戦闘機に対する見解に分割しました。「いろいろな見解」についてこちらで加筆をお願いします。--miya 2006年8月4日 (金) 14:04 (UTC)

  • いくら何でも表示はもちろん議論も無しは強引すぎるのではないのでしょうか。よってこれは削除依頼とさせてもらいました。--A6M4 2006年8月4日 (金) 21:25 (UTC)
  • これは失礼しました。このごろは分割テンプレートを使わないと削除依頼にだされてしまうとは、うっかりしておりました。--miya 2006年8月4日 (金) 23:51 (UTC)

「いろいろな見解」を分割または除去

「いろいろな見解」のセクションは百科事典の零式艦上戦闘機の項目には必要ない記述だと思います。

  • 十二試艦上戦闘機計画要求書の内容
  • 零戦は日中戦争における戦訓を設計時に取り入れた
  • 20mm機銃役立たず説
  • 二一型最強説

「疑うべきであろう。」「と考えられる。」「とも考えられる。」「大きく影響しているのだろう。」など、これらはすべて、出典・論拠不明。執筆者の個人的見解や大規模掲示板内での風説と考えられるため、零式艦上戦闘機で記述すべき内容とは考えられません。除去すべきだと感じました。ただし除去してもまたIP諸氏が再度加筆されるであろうと思い零式艦上戦闘機から分割して別の項目「零式艦上戦闘機に対する見解」を立てましたが、強引すぎるとして削除依頼に出されました。

このままだと「零式艦上戦闘機」全体が保護される日も遠くないと思われますが、この「見解」部分についてどうすべきか、ご意見をお願いします。--miya 2006年8月4日 (金) 23:51 (UTC)

☆こんにちは。例えば、故坂井三郎氏のお考えに関する記述などは、非常に貴重なもので残しておけたらいいと思います。ただ、坂井氏とあったのが、いつの間にか「氏」という言葉が省かれるなど悪意ある編集がなされているのが気になります。分割先では故坂井氏のお考えに関する部分が、陸攻も含めた一般論に置き換えられて編集されているのも気になりました。管理者権限で、客観的と思われるところで、保護しちゃたらどうでしょう?2ちゃんねる状態になってますよ。 2006年8月5日 (土) 13:50 (shibuya)

shibuyaさん、こんにちは。本文中では「氏」など敬称はすべて省略することになっております。悪意のあるなしではなく、百科事典の表記方法です。その点はご了承ください。
坂井三郎は著書『大空のサムライ』の中で*****という見解を示している。
のように、出典を明示した上で特定の著名な専門家の見解を書くのは意味があるかもしれません。でも、ウィキペディアの執筆者の「・・・と考えられる」や「・・・かもしれない」というような個人的見解や推量は書くべきではないでしょう。--miya 2006年8月5日 (土) 05:27 (UTC)

☆早々のご回答ありがとうございます。まったく同意です。「零戦に対する見解」の項目で、断定できる人がいらっしゃるとしたら当事者たちしかいません。この観点に立った記事のみを蓄積していくのが良いかと思います。 2006年8月5日 (土) 16:00 (shibuya)

そう思う。@@@説項目は全面削除!202.8.59.216 2007年10月21日 (日) 12:52 (UTC)

分割先でもまとまってきた感がありますので、再度削除前に戻してまとめてもらうのが適切かと思います。

「疑うべきであろう。」「と考えられる。」「とも考えられる。」「大きく影響しているのだろう。」など主観的な「だろう」調の記述はすべて出典がない場合は書いた人個人の独自の見解と取られても仕方がないでしょう。修正が必要だといわれればその通りだと思います。ただ、「いろいろな見解」自体はあったらよい項目だと思います。問題は、「いろいろ」なはずなのにまるで書いた人個人の見解ととられてもおかしくないような書き方がなされているという状態です。「と言われている。」「と考えられている。」というような記述は、もし確かにそのようなことが言われている・書かれていることがあるならば書くべきです。わたしは上二つは知りませんが、下二つ(「20mm機銃役立たず説」と「二一型最強説」)はどこかしこで見たことがあります。ある程度しばしば言われていることなのではないでしょうか。であれば、書いてもよい(書かなくてもよいが書けるのなら書くべき)ことでしょう。
敬称に関しては、miya様の仰るとおり省略が原則です。ていうか、常識です。「天皇陛下」などだと問題が複雑になるでしょうが、ここでは「敬称は省略が常識」ということで片付くでしょう。
原則は、miya様の仰るご方針で賛成です。仰るとおり、出展を明示されれば誰も文句はないでしょう。ですが、一般にしばしば言われること(通説を含む)であれば、「というようなことがしばしば指摘されている」云々で書いても問題ない、むしろ閲覧者は「というようなことがしばしば指摘されているのか」とわかるので却って有益でしょう。戦闘機図鑑ではないので、この機体にまつわる事柄はよいこともわるいことも嘘もまこともなるべく多く書いてあった方がより有益なページになると思います(嘘もまこともって、もちろん、嘘を本当のことであるかのように書くという意味ではないですよ!「~という誤った情報が流布している」云々と書くことは有益、という意味です。私がソ連関係でよく書いている?)。
本当のことを見極めるのは大変難しい(というか不可能)なのですから、なるべく多くの情報・意見を書き込んでおいた方が利用価値が上がると思います。ボルヘスの図書館が例示するように、「百科」というのはあらゆるものを包含するものですから、誰かの妄想でもない限り書くべきでしょう(本当は妄想も書かないと百科にならないが、さすがにそれはページの無駄なので目を瞑る)。その際に、「~という通説がある」、「~と間違って解説されることが多い」、「~といわれるがそれは間違い」などと明記すればよいので。情報の正誤はページへ書く書かないの判断基準にはなりません。誤りでも必要なら、書くに足るものなら書くべきです。また、操縦していた本人たちは○○と言っているが、現代巷では××と言われている、というような記述は必要です。当事者の意見だけが重要なのではありません。さらに、なぜそのような誤った通説が生じたのか、流布しているのかについても記述されなければ十分とはいえません(難しいですが)。私は、(ある意味有名な)誤った情報は積極的に記述するようにしています。でないと、一般に流布している誤説とページ内容に断絶が生じ、読者は理解不能状態に陥ります。また、こういう話はよく言われているがまったくの間違いである、と明記することに自体に意義があると思います。間違いを指摘しておかないと、その誤情報は本文の「正しい」情報とその後も末永く共存してしまうかもしれませんよ。
別ページに分割されたことは、手順はともかく(テンプレート貼れって、どのくらい強制力のある決まりなのか知らないので)、私は不要だと思います。というのは、このページにまとめて書いてあった方がまとまりがあるからです。それだけです。
私は零戦に関しどれが正しいとか間違ってるとかだめだとかはわからないので、以上、一般論に留めさせていただきます。とはいえ、論がずれた気もしますし、そもそも一般論だけで長々と失礼しました。--ПРУСАКИН 2006年8月5日 (土) 11:06 (UTC)
零戦に関して書かれている観点は、零戦に関して一度はでる疑問ですから、(内容はともかく)基本的に残すべきだと思います。しかし、「二一型最強説」の部分は以前から疑問に思っているところですから加筆またはコメントアウト化してもいいかと思います。
そのことに関して一つの提案ですが、現在の零戦に関する記事から各型の部分を分離して、「零戦二一型」・「零戦三二型」・「零戦五二型」を作るのはどうでしょうか。航空機の各バリエーションを分離記載するという話は見たことがありませんが、零戦ぐらい有名なら各型に分離してもかなりの記事として発展できそうですし。「二一型最強説」を二一型に書けば記事として適合性がとれそうに思うのですがどうでしょうか。--A6M4 2006年8月6日 (日) 00:06 (UTC)
色々問題もありますでしょうから、初めてアカウント作りましたが・・・初めてという事で良く分からない点は多いですが宜しくお願いします。(ウィキペディアの編集は以前からしていましたが問題が発生したのは初めてですので・・・)
この件について思うのですが、そもそも21型最強説という項目自体が愚問なのかもしれないです。記憶が正確じゃないですが、たしか海軍で機種選定にさいし航空技術廠?と横空が対立した事ありましたよね。その時は模擬空戦では最初現行機が勝利して、その後新戦術を考案してし試作機が勝利。そして試作機が採用されたと言う経緯だったと記憶しています。また独軍機との模擬空戦でも、独人パイロットが搭乗した時は一撃離脱に徹しられた為に勝負にならず、その後独軍機に日本人搭乗員が搭乗した時は巴戦をしたため日本軍機が勝利した例も記憶にあります。そもそも21型の生還率が高いのも、旋回性能を駆使して敵の攻撃を回避した可能性も否定できません。(戦果は両軍の記録により見解が代わりますので省く)じゃあ回避能力が高ければ最強なのか?当時の各国の戦闘機は21型より航続力が劣るのが多い・・・それだからと言ってそれら全てが21型より劣ると言えますでしょうか?
その様に何をもって最強と言うのかは微妙な所があります。全ての状況を明記してどれが有用(最強と言うよりは)だったか書くのなら話は変わりますが、それにも限界を感じるのは気のせいでしょうか?
坂井三郎氏のことの表記に関しても、私も氏の事は尊敬しています・・・しかし氏の発言も貴重ではありますが、特別な人と言う認識は止した方が良いかと思います。膨大な数の搭乗員の中のたった一搭乗員が最強と言ったからとしても、それは好みも含まれ最強と言う根拠にはなりません。そもそも氏は、「大空のサムライ」=ゴーストライター・後年の手記=高齢の為記憶が不明瞭・他の搭乗員の坂井氏への評価=彼の手記は眉唾物・撃墜64機=宮本武蔵にあやかって出鱈目に答えたのが定説化・等々・・・残念ですが手記もノンフィクションと言うよりは戦記小説と認識した方が宜しいかと思います。また坂井氏の発言が、陸攻も含めた物に・・・と仰りますが零戦も航続力を伸ばす為(方式は違いますが)主翼に無防御の燃料タンクを・・・そしてそれがライターと化したのは同じことです。陸攻もと言う注釈がいけないのでしたら、それを削除すれば良い話ですが、例として分かりやすくする為の記載です。
上記を踏まえて考えていただければ、21型と特性の異なる32型を失敗機とする根拠も無いはずです。模擬空戦をやれば戦術によりどちらが勝利してもおかしくないですし、航続力は特性ではありますが最強の根拠にならないのは上記で述べたとおりです。あえて32型が最弱と言いたいのでしたら、それは時系列の為でしょう。大まかに言うと21型以前と32型以降は特性が変わりましたが、あえてその流れで21型と52型をそれぞれの完成形としますと、32型は11型のようなものであると考えれば分かりやすいかと思います。かといって不具合的な欠陥と言う意味ではありませんのでご注意を・・・
故に、「零式艦上戦闘機に対する見解」の21型最強説では1搭乗員である坂井氏の個人的見解は最低限に抑え、21型を引き立たせる為に32型を失敗機とする書き方は是正し、平等に21型の問題点を明記し、最強と言う言葉は控え特性と言う言葉に置き換え、また戦術に重点を置く・・・と言う観点でまとめてあります。
文章としては不完全でしょうが、あえて21型最強説を取り上げるのならこの流れが無難かと思います。
みーくん 2006年8月6日 (日) 04:20 (UTC)
航空機のサブタイプでページが分割されている例は、トーネードシリーズ(トーネードADV (戦闘機)トーネードIDS (攻撃機))、MiG-23シリーズ(MiG-23_(航空機)MiG-23MLA_(航空機)MiG-23MLD_(航空機)MiG-23M(E)_(航空機)MiG-23MS_(航空機)MiG-27_(航空機)ちなみにこれ以外の派生型のページは未執筆)、Tu-22シリーズ(Tu-22_(航空機)Tu-22M_(航空機))、Yak-9シリーズ(Yak-9_(航空機)Yak-9P_(航空機))など多少の前例があります。また、名称は違っても実質的にはサブタイプであるというべき機体もありますね(例:Tu-204_(航空機)Tu-214_(航空機)Il-76_(航空機)Il-78_(航空機)などなど)。零戦も分割しても(その必要があるならば)構わないでしょう。ただ、漏れの出ないようにお願いしたいところです。私は、トーネード/Tu-22方式よりもメインページとなるようなページのあるMiG-23/Yak-9方式の方をお勧めします。つまり、その機体シリーズ全体を概説する「メインページ」と各派生型を詳説するページとを設置するという方式です。
まあ、分割が必要かどうかはわかりませんが。みーくんの無難と仰る方針が私も無難だと思います。最強だというために21型を分割する必要はないでしょう。21型最強説というのは零戦全体に関わる話題ですから、21型のページを作ってそこに書かなければおかしいというものではないと思うからです。--ПРУСАКИН 2006年8月6日 (日) 15:53 (UTC)

バリエーションを丸ごと別ページにしてみてはどうでしょうか。日本語版ではほとんどないですが、英語版にen:Supermarine Spitfireなどがあります。「あろう」、「考えられる」、「だろう」という表記はWikipedia:脚注を使用してどの文献なのかを明記・明確化し、一定の期間後(例えば、この分割提案合意の後)に削除すれば良いと思います。--sabulyn 2006年9月14日 (木) 22:46 (UTC)

面白い記事(あくまで一論として)ではあるため、削除は少々過激と考えますが、「こういった考えもある」と前置きの上での分割に賛成です。 明らかに書いた方の持論ですし、その方が堀越氏や搭乗員であった坂井氏などの言や著書を半ば強引に信憑性なしとしたところで、本項目が、実機に大して少なからず関わったことが確実な人物の見解以上の事実検証性を持つ内容とはとても思えませんし、いずれも特定の見解を否定して結論つけている一方的な記事でしかないのでは。
20mm機銃の論にしても、「当たれば一撃で粉砕できるから有用だった、ゆえに役立たず説は間違いである」といったまとめ方をしていますが、当たれば破壊力が大きいということは零戦の20mmを使いにくいとした坂井氏や小高氏が著書の中で前提として述べていることなので、それを以って有用と決め付ける根拠にもなりませんし、やはり私的見解を書き綴った感が強いです。 IPユーザなので私の手による編集は差し控えますが、読者の一意見として。 --211.132.82.229 2008年1月13日 (日) 08:06 (UTC)

32型が21型の95%の航続力?

翼の面積減った分と重量、エンジンの燃料の消費量でざっと計算しても8割限度かな?と思うんですけど。今出川 2007年9月27日 (木) 02:53 (UTC)

派生型へ分割の提案

零式艦上戦闘機の一一型だけでは充実した記事にはならないと考えて零式艦上戦闘機11型を零式艦上戦闘機の派生型へ改名しました。諸元、改良型、派生型の節にある記述を零式艦上戦闘機の派生型に分割するというのはどうでしょうか。--Fox-Two 2007年11月29日 (木) 04:17 (UTC)

私も派生型について詳しく触れる記事を作ることに賛成です。一応、零式艦上戦闘機の派生型にたたき台的に内容を加筆してみましたので、詳しい方による修正・加筆を期待します。--タタロコ 2007年12月2日 (日) 00:04 (UTC)

現存する零戦の項目の追加の提案

現状の記事だと零戦に関して諸説述べていますが、現存する機についてはあまり触れられていないので、項目を追加するというのはどうでしょうか。--山仁 2007年12月18日 (火) 08:24 (UTC)

保存機やレプリカ機に関する項目を作ることに賛同します。commons:Category:Mitsubishi A6M Zero辺りにはいくつか写真もありますし。--タタロコ 2007年12月18日 (火) 14:58 (UTC)

著作権侵害

この差分が外部からの転載のおそれ。--Nihonkokuban 2008年1月8日 (火) 10:53 (UTC)

修正報告その2

百科事典として、構成がめちゃめちゃ/マニアック過ぎる/独自研究満載...だったので、手を入れさせていただきました。悪しからず。。。 --219.98.8.87 2008年5月24日 (土) 15:25 (UTC)

  • 独善的に過ぎるのでは?

61.21.128.135って

61.21.128.135が「大東亜戦争」と、繰り返し、しつこく書き込み続けているので、何とかしてください。--219.98.69.149 2008年6月9日 (月) 16:09 (UTC) 219.98.69.149 なにがしつこく、なのか?正当な用語で訂正することを「しつこく」と判断する根拠を示しなさい。 でなければ、そちらの方こそ「繰り返し、しつこく」修正し続けているだけとなる。

登場作品の記載について

ゼロの使い魔と言う作品について、記載・削除が続いています。最初この題名を見た時、「最近はやりの、零戦が擬人化して使い魔にでもなったのか」と思いましたが、作品のあらすじを読むと「虚無という魔法(ゼロ)を使う魔法使いが召還した現代人を使い魔にする」という物で零戦など関係ない内容のようです。

なぜそんなものとリンクするのかと思ったら、ゼロの使い魔の用語一覧#場違いな工芸品で「竜の羽衣」と言う名前で登場しているからでした。その後作品を読んでみましたが、作品としては零戦に乗って活躍するというものではなく、単なる同名つながりで出ただけのようです。つまり作品的に言って、零戦は従の関係であり決して主ではない物でした。

現在コメントアウト化されていますが、他にもこのようなメインとしてではない作品までここに入れるべきかどうか検討しても良いかもしれませんので節を立ち上げておきます。--A6M4 2008年7月12日 (土) 22:54 (UTC)

編集履歴の方にも記入しましたが、百科事典としての零戦の記事なので、零戦その物や、零戦が存在した時代背景の理解を助け深める内容を有する、零戦を主題とした作品に絞るべきかと思います。 アニメやゲームを否定すべきではありませんが、”ゼロの使い魔”←これは、余りにも関係なさ杉でしょう。ゼロの使い魔の用語一覧#場違いな工芸品の方で、零戦へのリンクを張れば良いのではないでしょうか。--219.98.211.116 2008年7月13日 (日) 05:14 (UTC)
  • 私も上の方に全く賛成です。歴史上実際に存在したものからフィクションの、更に端役程度にしか登場しない作品へリンクを貼るというのは主客転倒というものです。--60.47.35.247 2008年7月13日 (日) 06:20 (UTC)
「ゼロの使い魔」の小説もしくはアニメにおける、零戦の活躍描写を知りもしないで編集する・記載を否定するのはいかがなものでしょう。この作中においては、主人公がヒロインを伴って零戦に搭乗するのみならず、国家間に起きた戦争でヒロインの仕える国が大敗寸前のところを、零戦とヒロインの活躍によって大逆転の勝利をおさめるという、ストーリー上非常に重要な役割も与えられています。小説では文章表現だけですが、アニメでは(それがどれほど実物を再現描写できているかはさておき)コックピットのアップを含む操縦シーン・空戦シーンも映像化されていました。十分に零戦が登場する作品として掲載に値する内容だと思います。--219.167.111.132 2008年7月31日 (木) 14:25 (UTC)
私は「ゼロの使い魔」についてはよく知りませんが、219.167.111.132さんのおっしゃるように重要な活躍をしていたとしても、ゼロの使い魔から零式艦上戦闘機へリンクを貼るのならいざ知らず、零式艦上戦闘機からゼロの使い魔へのリンクを貼ることには賛同できません。
ウィキペディアにおけるリンクは、リンク元の記事を読んでいた読者が、そのリンク元の記事の内容についての理解を深めるための役に立つ記事を選んでなされるべきだと考えます。ゼロの使い魔について調べていた読者にとっては、ゼロの使い魔の作品中で大活躍する零式艦上戦闘機とはどのようなものかを詳細に知ることで、ゼロの使い魔についての理解を深める可能性があります。ですから、ゼロの使い魔から零式艦上戦闘機へとリンクを貼ることは有意義だと思います。
しかし、零式艦上戦闘機について調べていた読者が、ゼロの使い魔の記事を読むことで、なにか理解が深まるでしょうか?私は理解が深まるようには思いません。なぜなら、ゼロの使い魔は事実を基にしていない完全なるフィクションであり、零式艦上戦闘機はその中での小道具として扱われているだけだからです。零式艦上戦闘機の記事を読んでいた読者は、旧日本軍が実際に運用していた戦闘機についての情報を求めているのですから、完全なるフィクションへのリンクは、益が無いだけでなく、ともすると有害になる可能性すらあると思います。--122.26.255.164 2008年7月31日 (木) 15:05 (UTC)
日本語版wikipedia全体の編集方針といいますか、『百科事典』としての方向性に対しては、本エントリでも追従して統一性をもたせる必要があると思います。そこで、たとえば実在する兵器・武器のエントリの一例としてM16を見ますと、登場作品の1番目に、完全なるフィクションであるゴルゴ13へのリンクが行われています。またイージス艦のエントリにおいては、創作中のイージス艦という項目が用意され、亡国のイージスジパング (漫画)へのリンクが行われています。かように、日本語版wikipediaにおいては実在する兵器・武器の記事中でそれが登場するフィクションを取り扱った記事へのリンクを作成するのは当たり前のこととなっており、本エントリのみがかたくなに「ゼロの使い魔」へのリンクを拒否するのは日本語版wikipedia全体との統一性を欠く不合理な態度だと思います。また、「零式艦上戦闘機の記事を読んでいた読者は、旧日本軍が実際に運用していた戦闘機についての情報を求めている」というのも、狭量な思い込みにすぎません。「wikipediaでは通常、実在のもの(兵器・武器に限らず、自動車や鉄道などでも)の記事に、それが登場するフィクション作品へのリンクが取りまとめられているのであるから。零式艦上戦闘機の記事にも、それらと同様にフィクション作品へのリンクが取りまとめられていることを期待して読もうとした利用者」がいないとなぜ言えるのでしょうか。むしろ、現時点の零式艦上戦闘機の記事にフィクション作品へのリンクや解説がないのは、他の類似記事と比較して大いなる欠陥といえるかもしれません。「ゼロの使い魔」のみならず、たとえば「零戦燃ゆ」や「パールハーバー」といった実写映画へのリンクを積極的に作成すべきではないでしょうか。もちろんそれらの映画においては、再現が不完全なレプリカとも呼べない飛行機がゼロ戦役をしていたり、米軍機の塗装だけゼロ戦風にしていたりといったことが多いのですが。そこも含めて解説しつつリンクするのがベストでしょう。--218.224.132.5 2008年8月1日 (金) 10:10 (UTC)
編集の方向性が統一されるべきであるという点には同意します。ですが、どの方向性へ統一するかというのは、きちんと議論を踏むべきことしょう。たまたま現在は記載しているもののほうが多いからその方向へ合わせる、というのには同意できません。それとも何か既に議論がなされ、合意があるのでしょうか?でしたらすみませんがその議論を挙げていただけますか。
「狭量な思い込み」とのご指摘をいただいた部分は、確かにそうかもしれません。その部分は取り下げます。ですが、そのような読者がいるというのと、読者にそのような期待を持たせ、そのような期待をした読者に対する配慮をすべきであるというのとはまた別問題です。そもそもウィキペディアはそのような需要にこたえるべきところなのか、というのも、やはり議論を要するところなのではないかと思います。
最後に。ここから先はあまり根拠の無い、私の感覚に基づく主張ですが、仮にフィクションを記載するという方向での合意がなされたとしても、「亡国のイージス」と「ゼロの使い魔」の間には違いがあるように思います。前者は、もちろん完全なフィクションではあるのですが、舞台設定は現在の日本であり、イージス艦が属しているのは日本の自衛隊です。ですが、ゼロの使い魔の舞台は完全なパラレルワールドです。私の感覚ではこの間には大きな差があるように感じます。まぁ、どっちでもいいといえばどっちでもいい部分なのですが。--122.26.255.164 2008年8月1日 (金) 11:21 (UTC)
英語版wikipediaでもいくつかの兵器の記事にはその兵器が登場する映画なんかが紹介されてますが。たとえばF-14トムキャットには「Popular culture」としてF-14 Tomcat映画「ファイナル・カウント・ダウン」「トップ・ガン」などが挙げられているわけですが、注目すべきはそれだけではなく『日本のテレビアニメ「超時空要塞マクロス」に登場したバルキリーVF-1の原案になった』とまで書かれているところでしょう。これは前2作とは違い、実在の米海軍を舞台になどしていない、遠未来宇宙ですわな。しかもF-14そのものですらない。英語版wikipediaでも実在兵器のエントリにここまで紹介されているわけですから、日本語版wikipediaで日本を代表する戦闘機である零戦のエントリが頑張らなくてどうするんですか。「Popular culture」「登場する作品」項目を記述するのは、日本に限らないwikipediaの文化とでも言うべきものでは。合意がないから書いちゃダメだと主張する方は、wikipedia文化発祥の地である英語版のほうで、あらゆるエントリから「Popular culture」を削除せよ、と主張して合意を取り付けてみてはどうでしょう。英語版にせよ日本語版にせよ、ここのエントリ以外で「このエントリのものが登場する作品」をリンクしてはいけない、という主張は見たことがありません。非常に稀な主張だと思います。なお「ゼロの使い魔」の舞台はパラレルワールドとはいえ、特殊な条件で地球と空間がつながるという設定になっており。主人公が発見して搭乗することになる機体は、太平洋戦争中に出撃した零戦の1機が、飛行中にその条件発生に巻き込まれて搭乗者ごと「ゼロの使い魔」世界に吸い込まれて戻れなくなり、「ゼロの使い魔」世界に不時着。搭乗者は土地の集落に迎えられて家族を作り天寿をまっとう、機体は不時着後すぐに劣化を防ぐ固定化の魔法をかけられて大切に保管されていた(主人公が搭乗する際に固定化の魔法は解除された)というソレナリ設定はつけられています。史実にこだわる方には受け入れがたい設定かもしれませんが。--218.224.132.5 2008年8月1日 (金) 14:21 (UTC)
IP変わりましたが122.26.255.164と同一人物です。返信遅れました。
上にお書きになったのは「他の記事には書かれているから、ここにも書くべきだ」という主張かと思いますが、その「から」に論理的必然性はありませんよね。それでは説明になっていないです。他の記事に書かれているという判断が正しい保証はないからです。(念のためいっておきますが、この私の主張は「その判断が間違っている」という主張とは異なる主張です。ですので、「あらゆるエントリから「Popular culture」を削除せよ、と主張して合意を取り付けてみてはどうでしょう。」は的外れな反駁です。わかりにくいかもしれませんが)
以上は少しわかりにくい言い方をしているかもしれませんので、わかりやすいように、もっとはっきりと、質問の形でも書いておきます。あなたは、他の記事にpopular cultureの節があるのはなぜだと思いますか?-118.8.159.163 2008年8月3日 (日) 11:44 (UTC)
私もIPアドレス変わってるかもしれませんが~。英語版記事に「popular culture」の節があるのは、誰がどの記事ではじめたか知らないけれどもいつのまにか書かれる記事が増えていき、スタンダードとなったという自然な流れなのではないかと。現時点においては、暗黙の了解というか、明文化されていない慣習というか、そういうものとして定着しているでしょう。同様のことが、日本語版においても定着しているでしょう。それは、「他の記事には書かれている」という事実が証明しています。これが正しい証明の保証がないとおっしゃるなら、べつにそれはあなた個人のお考えとしてかまいませんから、このエントリに「登場する作品」を掲載する邪魔をしないでいただければそれで結構です。私はべつに「ゼロの使い魔」に限ってリンクしろと主張しているわけではないです。既に挙げたタイトルのほか、「連合艦隊 ~なんとか~」だったかな……真珠湾から坊の岬まで簡単になぞった映画にはよく出てきてたと思うし、ほかにも邦画で帝国海軍を題材にしたものには零戦が登場してることが多いかと思います。そういったものをきちんとフォローすることが、百科事典として零戦の記事を書く際には必要だろうと考えるだけのことです。--222.150.74.98 2008年8月3日 (日) 15:16 (UTC)
なるほどなるほど。わかりました。どうやら、別にあなたにも特別記載しなければいけない理由もなければ、私にも特別記載を止めさせる理由もない、ということのようですね。でしたら、私は意地悪をするつもりでやっているわけではありませんので、記載を邪魔はしません。ですが、あなたの議論の進め方はまったく議論になっていないということだけは肝に銘じて置いてください。もし私の記載すべきでないという主張がもっと強かった場合、説得は絶対にかないません。つまり、編集合戦にもなりかねなかった、ということです。今回は私が折れます。--118.8.159.163 2008年8月4日 (月) 02:26 (UTC)
「他が書いているから~~」と言うのは全く理由になっていませんね。そもそも、ゼロの使い魔の方から零戦にリンクを張れば、目的(って何だ?)は果たせるはず。 何故にわざわざ零戦の項にそんなもののリンクを張るのか?、全く必然性がないと思います(実際に零戦で戦い、散っていった人達への冒涜ともいえる)。 余りに荒れるようなら、「...作品」の節そのものを削除してしまっても良いかもしれませんね。--219.98.6.176 2008年8月4日 (月) 16:34 (UTC)
ここは、「『wikipedia』の中にある、零戦の記事」なんですが。どうも「『零戦』に関するwiki」と取り違えてる方が多くないですか? 単なるwikiであれば、そのwikiの管理人や編集者の間で好きな編集方針を決めればいいですが。wikipediaはwikipediaとしての歴史と文化と慣習がある、ソーシャルでありコミュニティでもあるんです。何を記事にしようとも、wikipedia全体の平均的な慣習に沿った編集方針を踏襲しなければいけません。零戦の記事を書く人が、そこでだけ勝手な屁理屈を振り回してはダメなのです。兵器・武器・その他の航空機や自動車や船舶etc.の記事において、その記事が取り上げたものが登場するフィクション作品を列記するのは英語版に始まり日本語版にも受け継がれたwikipediaの慣習です。それは、普通の社会性を身につけた大人がwikipediaを利用していれば理解できるものです。なんでも文章で明記された手引きや合意がないとできないというのでは、それは文化的な大人とはいえません。指示待ちロボットです。明文化されていなくても、見渡せば自然に分かるはずの文化や慣習は理解して行動につなげられるのが大人でしょう。いわば「理由になってない」のではなく、「理由になっていることを私は理解する能力がない」ということになるのでしょう。wikipediaの文化・慣習に従って零戦が登場する作品リンクを列挙した部分に対し、特別の合意もなく文化・慣習に反してコメントアウトや削除を行うのは荒らし行為でしょう。219.98.6.176さんは「荒らします」宣言をしているのでしょうかね。ゼロの使い魔をまったく知らない人に、零戦が登場するフィクション作品の一例としてゼロの使い魔を示してあげるという目的を達成するためには、本記事の中にゼロの使い魔へのリンクを記載することが必須です。もちろんゼロの使い魔に限定された話ではなく、ほかの零戦が登場する映画や漫画いろいろも把握できている限り列記しましょう。--60.34.77.140 2008年8月5日 (火) 09:19 (UTC)
参考までに、同じく太平洋戦争を戦った帝国海軍の兵器の一つ戦艦大和には、大和型戦艦に関連する作品の一覧というエントリが用意されています。1.3フィクションから、1.3.3アニメと1.3.4漫画・アニメの項目をご覧ください。『宇宙戦艦ヤマト』をはじめ『ドラえもん』第14巻「ラジコン大海戦」などというものまで取り上げられています。これらを記事にしたことが、大和で戦い散っていった人達への冒涜になりえるんですか? 零式艦上戦闘機の記事本体中に登場作品を列挙すると記事が冗長・散漫になるというのであれば(既にかなり冗長になっているかとも思いますが)、零式艦上戦闘機に関連する作品の一覧なり新たにエントリを起こして、記事を分割するという手法をとればよいのではないでしょうか。--60.34.77.140 2008年8月5日 (火) 09:38 (UTC)
んーと。一度は黙ったのですが、やっぱりこの人わかってねーな、と思ったので再度出てきました。念のためいっておきますが、私は既にフィクションの記載に対しては同意しました。記載を邪魔したいのではなく、今後あなたが他の議論の場でこういう風に困らないためのアドバイスです。
あなたがおっしゃってるのは、結局は「空気を読め」ということに集約されるのかと思いますが、そして私も日本で社会生活を送るためには確かに空気を読むことは必須だと思うのですが、残念ながらwikipediaはアメリカ製でして、「空気を読みながら編集しましょう」ということにはなってないわけですね。代わりに、合意に至るまで頑張って議論しろ、となっているわけです。無論、議論を経ない除去をする荒らしは論外です。そんなのは当たり前です。しかし、議論を吹っかけてきただけの相手を「議論を経ない荒らし」と勝手に認定するのは、結局議論を忌避している点では荒らしと同じなんですね。同レベルに堕してはいけません。きちんと説明すれば、ひょっとすると聞く耳を持ってくれるかもしれません。
2008年8月3日 (日) 11:44 (UTC)の質問で私が聞きたかったのは、「なぜpopular cultureを書くことが慣習化したか」なんですよ。それを「popular cultureを書くことが慣習化しているからです」とあなたは答えたのですよ。それでは議論になりません。--118.8.159.163 2008年8月6日 (水) 12:12 (UTC)
追記。あ、いくらなんでも死者への冒涜とかいうアホまるだしな理屈は無視でいいと思います。百科事典とは何か、ということがまずそもそもわかっていないわけですからね。--118.8.159.163 2008年8月6日 (水) 12:16 (UTC)
慣習化している事実は観測できてるわけですから、それでそうですねと納得するのが普通でしょう。いまさら議論するような必要性や中身のある議題ではないのです。英語版で慣習化している以上、そこまでになにがしか議論があり、合意があって、慣習化したのかもしれませんね。でもそれは、既に慣習として固まっている今さら蒸し返す必要はどこにもありません。どういう議論や合意があったのか知りたい方は、どうぞご自分で納得いくまで調査されてください。他人に調査を要求すべきものではないです。アメリカだからといって、なんでもかんでも合意を得るまで議論を尽くすということはないです(そういう場面が多数あるにせよ。すべてではない)。インターネットで使用されているさまざまなプロトコルなどにおいても、誰かが開発して「こんなんどうよー」って発表したものが、正式な議論や合意を得ることなく「よさそうだねー」ってまわりで採用されていって、いつのまにかデファクトスタンダードになってきた。そうなってから、後付でドキュメンテーションがされる。そんなこと日常茶飯事です。--222.151.46.74 2008年8月6日 (水) 14:46 (UTC)
そりゃあなたの言ってることはその通りなんですけど、でも、現実に目の前に納得してない人がいるときにどうするか、という、対応策の方法論としては、無理やり「納得しろ!!」と強要するより、きちんとした論理的な説明をしたほうが、総合的には楽ですよ、という話です。過去の議論を掘り出して示すことは義務ではないにせよ、調べてきて「こういう議論があるんだよ。それでも文句あるのか?」といってやればそれでおしまいじゃないですか。水掛け論を繰り返すよりそのほうが手っ取り早いです。私が「何か議論があったのですか?」と聞いたのは、「過去の議論がないなら納得しないよ」といったのではなく、むしろ逆で、「過去に何か既に議論があるんなら私は無条件で自分の主張を引っ込めます」という譲歩だったのですが、乗ってくださらないので長くなったんですよ。
あと、念のためですが、アメリカ云々は物のたとえであり、本論ではありません。Wikipediaの慣習では議論することが推奨されている、ということの説明の枕として「アメリカ」という単語を置いただけです。--118.8.159.163 2008年8月7日 (木) 23:13 (UTC)
リンク掲載反対に1票入れます。ここの記述では、史実でさえ、煩雑である、簡略でない、長すぎる等との理由で記述が削除・割愛されているものがあります。それら割愛されているものに比べて、このフィクション作品へのリンク掲載ってあまりにもどうでもいいことだと思います。大体、数年後には誰の記憶にも残っていないライトノベル作品へのリンクを貼ってどうするんですか?まぁ数年後に消せばいいだけの話なんですけどね。そんなものへのリンクを貼るんであればもっと優先して記述すべきことやリンクを貼るものがあるでしょ。上の議論では既に狭量扱いされていますが、ここの記述を参照する人の99%が零戦について知りたい訳で『零戦の登場する、一過性のフィクション作品』を知りたい訳じゃないんです。popular cultureの記述といいますが、どんだけpopularなんですか?この作品は? 以上、乱文失礼。--220.220.121.253 2008年8月12日 (火) 08:14 (UTC)
史実を百科事典として掲載したいなら、別ページに分割すればいいと思うのですが。「零式艦上戦闘機にまつわる史実」等のタイトルで。それができるのがwikipediaなんですから、「こっちができてないから、そっちはやっちゃダメ」という後ろ向きな主張はwikipedia文化じゃないです。「こっちを実現する」方向でみずから行動すべきです。数年後、ゼロの使い魔は続刊刊行中でいまだ高い人気を保ってると思いますねぇ。続き物ですから。しかもこれだけアニメが放映されてはポシャってる日本で、第2期・第3期と繰り返しアニメ化されているほどに、商業的に成功している。なお、零戦が、実写ではなくアニメでその飛行や空中戦が映像化されているものはかなり稀なはずです。コックピットの写実性や機動のリアリティまでは検証していませんが、今現在容易に視聴可能な零戦の飛行動画のひとつとして、この記事に掲載する価値は非常に大きいものですね。--222.150.73.248 2008年8月17日 (日) 04:24 (UTC)
えっ!?ここが「零式艦上戦闘機にまつわる史実」を記述するページじゃないんですか?分割するなら「零式艦上戦闘機の登場するフィクション作品」を作るのが本道じゃないですか?まぁこの作品が人気があるのは判りました。ただ『空飛ぶ蛇くん』を武装として搭載している状況からして写実性やリアリティといったものを追求すべき作品じゃないと思います。従って「今現在容易に視聴可能な零戦の飛行動画のひとつとして、この記事に掲載する価値は非常に大きいものですね。」というのはどうかなぁと感じます。--218.47.29.249 2008年8月17日 (日) 15:46 (UTC)

登場作品の掲載に反対。零戦の開発史や開発に影響した事柄などを掲載することが零戦の理解を深めることであり、零戦の影響を受けた事柄を掲載したところで零戦の理解を深めることにはならない。--Fox-Two 2008年8月18日 (月) 13:13 (UTC)

震電のように登場作品一覧を別に付けたらどうですか? 零戦の登場する作品なら山ほどあるでしょうし、別にしてその中で区分けすればいいのでは。 --PC9821Na15 2008年8月19日 (火) 16:30 (UTC)

初めまして。冒頭に「ゼロの使い魔と言う作品について、記載・削除が続いています。」との記入がありますが、 そもそも「ゼロの使い魔」の作品に限っての記載だけ特筆するのであれば、「零戦に関連する作品の一覧」のエントリを作成し、 その中に「ゼロの使い魔」の項目を掲載すれば、問題は解決すると思います。確かに、パラレルワールドとはいえ零戦が出てくるのであれば、何らかの関連性を示す必要があるのではと私は考えます。他にも、零戦が登場する作品はアニメ・漫画に限って言えば、松本零士氏著書のザ・コクピットのシリーズにも登場しますし、新谷かおる氏著書のファントム無頼など、他にも多数有ると思います。紫電改などは紫電改のタカなどの作品があります。 初めに、A6M4 様が「ゼロの使い魔」の作品を「虚無という魔法(ゼロ)を使う魔法使いが召還した現代人を使い魔にする」「零戦など関係ない内容の様~」と定義され、後日、零戦との関連性が構築されているので、私の主観的な考えですが、「零戦に関連する作品の一覧」の中で「ゼロの使い魔」を含む、他の作品と同一且つ公平に記載するのが、道理かと思います。「ゼロの使い魔」の作品だけを記載してしまった為、この様な遺恨が生まれてしまったのではないでしょうか?

--Sekinei 2008年8月31日 (日) 07:45 (UTC)

この議論初期の経緯はどうあれ。現在は「零戦燃ゆ」や「トラ!トラ!トラ!」なども登場映像作品として記載されているわけで、ここに「ゼロの使い魔」を1つ追加することはなんら問題ないんじゃないでしょうかね。 結局反対してる人って、「ゼロの使い魔」を小説読んでもなければアニメ見てもなく、勝手な想像で反対してるだけですよね。この作品での零戦登場・飛行シーンを自分の目で見たことあれば、絶対書くはずのない理由で反対してるんですから。 「ゼロの使い魔」は、零戦に影響を受けたというような関係の薄い作品ではなく、まさに零戦そのものが登場して飛行・格闘戦を行った希少なテレビアニメです。「零戦燃ゆ」や「トラ!トラ!トラ!」と並べることが不適当だと主張する人は、本当にそうかどうかまず実際にアニメの該当エピソードを見たうえで主張してください。見もせずに反対反対は恥ずかしいです。 --222.150.72.218 2008年9月21日 (日) 14:42 (UTC)

222.150.72.218さんがおっしゃる、「ゼロの使い魔」の件ですが、(反対してる人って、「ゼロの使い魔」を小説読んでもなければアニメ見てもなく、勝手な想像で反対してるだけですよね。)それは、222.150.72.218さんの「独自研究」的な考えかと思います。私は ゼロの使い魔を拝見した事は有りませんので、反対も賛成も致しませんが、恥ずかしいと思った事は全く有りません。又、希少なテレビアニメかどうかは判断できません。「Wikipedia:大言壮語をしない」「零戦」に対する「ゼロの使い魔」の内容が皆様方の感想やその内容と関連性を窺うと、「Wikipedia:ウィキプロジェクト アニメ/過剰な内容の整理」の内容に抵触する気がいたしますが、皆様いかがな物でしょうか?--Sekinei 2008年9月22日 (月) 08:02 (UTC)

興味が無いものをべつに見る必要はないし、たかがアニメの一つを見なかったからといってそれで零戦を論じてもべつにかまわないと思いますが。実際にアニメを見た人が「wikipediaのこの記事に登場作品として載せるべき」と感じてそう主張していることに対し、見もせずにアニメだから架空だからと記事への掲載を反対するのはおかしいでしょうと、見てないなら中立以外の立場はとれないでしょ反対するならまず見ないとおかしいでしょうと。で、「見て、載せるべきではないと感じた」という意見はここまでまったく出てきていないのが事実。  「ウィキプロジェクト アニメ/過剰な内容の整理」の内容に抵触する気がいたしますが いつから零戦の記事がアニメカテゴリに含まれることになったんですか?  戦艦大和の記事が、別エントリまで作ってフィクションに関しても広く深く網羅して百科事典として非常に役立つものとなっているのと比較して、同じ大日本帝国海軍の兵器なのに零戦の項目は寂しいことこの上ないと思います。百科事典として、大和までではないにしても、もっと内容の充実をはかりましょうよ。 --219.165.178.71 2008年10月18日 (土) 03:51 (UTC)

これまでにF-14 (戦闘機)F-15 (戦闘機)といった記事でも、登場する作品(そのときはゲームでしたが)に関して議論がなされ、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 航空/フォーマットでは作品で主題・主役級に絞るべきという提案も出ましたが、現在は登場する作品の一覧に分割することで、航空機の記事で抱えるべきではない問題のリスクを回避するという手法が主流になったという経緯があります。
219.165.178.71さんのおっしゃる、「百科事典として」という言葉に着目してWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを確認してみたのですが、どうも"ウィキペディアは単なる知識ベースではありません"の"4. データベースではありません"に引っかかるのではないでしょうか。つまり、上の議論に出ているアニメ作品が零戦の"説明に不可欠"な事柄だとは感じられません。これは同時に現在ある登場する作品の一覧で、「○○が○○で登場する」といった具合のことしか書かれていないものはウィキペディアに不要であり、いかに問題を回避するために分割しても根本的解決にはなっていないということで、今回もまた分割することになっても一覧は放置されるだけで発展が望めない記事になるだけになるのではないかと懸念いたします。
Wikipedia:一覧系記事の作成ガイドラインも、まだ草案段階なので判断が難しいところです。--sabulyn 2008年10月30日 (木) 18:45 (UTC)

半年以上経過してますがちょっと一言。"4. データベースではありません"を字義通り使うと、成果を数値だけで書かれると戦績も削除なんですけど……。"4. データベースではありません"ってのはそういう意味ではなく、データの先にあるものまで書けと言うことだと考えるのがよいと思います。スペックデータは理解に不可欠ですが、それは単にこの機体だけを見るのではなく、同世代や後継世代・前世代と比較したときの差異の有無をえるとっかかりになったり、この記事の説明を理解する手助けになったりします。戦績は単なる結果の数値ではなく、実戦においてどのような機体であったかを知る手助けになり、戦績の中身を細かく見ていくことで当時の戦闘や技術、用いられた戦争に対する知識を得る道筋となるでしょう。同様に作品の数々は、この機体に対して行われた文化的業績の数々を知ることから、別の知識の世界への道筋を付けることになりますし、Wikipedia:一覧系記事の作成ガイドラインにあるゲームの一覧のような効果をもたらすことも期待できるでしょう。解説書の類が充実すれば、文献資料を得ることも期待できます。そのような側面は、戦闘機としての実績や技術面だけを追いかけたのでは、決して手に入ることのない知識なのです。私はあまり詳しくない方面も多いので、きちんと書いてある内容についてはありがたく読ませてもらっています。
ただ、この手の問題なんですが、一番困るのは作品名だけ書いて投げっぱなし、次いで背景にちらっと出てくるだけのようなものを書く。この種のものがあまりに多いと、分割で回避したところであまり有意な一覧にはならないのです。私は今回の起点となった作品は知りませんが、作品について書くときはその種のいい加減な書き方ではなく、どのような描写がされたかとか、実は一見同じだが中は違うとか、はたまたバルキリーのような影響を受けて作者が創造した架空の存在なのかって所をきっちり書いて欲しいと思います。--open-box 2009年4月8日 (水) 17:32 (UTC)

(要出展)の記述方法に付いて

出展が解らない項目について、正確な記述を求めるために『要出展』のタグを貼ることは非常に大切だと思いますが、項目に点線のアンダーラインを引いて強調し、その後に『要出展』タグを貼る記述の意味は何なんでしょうか?解らない項目を強調することで、他の記述者に対して資料記述の要望を出しているのか?それとも初期記述者に対して侮辱的な行為をするためなのか?意味が解りません。この様な編集をされた方、説明を求めます。--119.10.167.15 2008年8月10日 (日) 17:52 (UTC)

それはTemplate:要出典範囲というテンプレートによるものです。個別の記事のノートではなく、Template‐ノート:要出典範囲で問題提起されることをおすすめします。--118.8.159.163 2008年8月11日 (月) 02:40 (UTC)

了解致しました。情報提供有難うございます。表現の是非についてはTemplate‐ノート:要出典範囲で議論する事と致します。--119.10.167.15 2008年8月12日 (火) 12:47 (UTC)

結局、Template‐ノート:要出典範囲に問題提起されなかったので、誤爆と判断し、復旧しました。(ご当人に直して欲しかった。)--218.221.222.167 2008年8月15日 (金) 02:24 (UTC)

出典について

「設計者と運用者以外の指摘は出典としては使ってはいけない」、「フランス人撃墜王がゼロ戦についての技術的な知見を持っているわけはない」とのご指摘がありました。私は著者の国籍に関わらず、著者が責任を持って書いた文章で尚且つ内容として工学的に妥当性のある指摘ならば採用してもかまわないと思いますが、皆様のご見解はいかがでしょうか?若しくは欧米人著作者の日本機に対する評価と研究は全面的に排斥するべきでしょうか?--125.200.30.80 2008年10月14日 (火) 08:52 (UTC)

「設計者と運用者以外の指摘は出典としては使ってはいけない」なんてことはないです。設計者が述べたことであっても検証可能性がないなら出典とは出来ません。設計者に直接会って話を聞いたというのは出典には出来ません。検証可能で、編集者による監査を経ているものであれば出典とすることが出来ます。ただ、全てが出典として可能ではなく、世間一般に信頼性のないとされている情報源は出典とは出来ません。--220.210.9.172 2008年10月14日 (火) 09:45 (UTC)
フランス人撃墜王が日本の戦闘機について語ることに違和感は感じますが、「フランス人だから」排除する必要はないでしょう。「技術的な知見を持っているわけはない」と断定する方に余程違和感を感じます。マニア的なパイロットなら同時代の各国戦闘機について研究したかも知れないし、もしそうなら現代人が想像で書いたものよりずっと有益です。要は出典があれば良いのではないでしょうか。--プリズム11 2008年10月14日 (火) 18:19 (UTC)

私がクロステルマンの「空戦」日本語版を読んだところ、一般向けの書き方ではありますが、零式戦闘機の解説章は非常に的確に特徴を捉えていると思います。

彼が挙げた零式戦闘機の機構的な特徴は

  • 前部胴体と翼、操縦席、エンジン架の一体化構造と軽合金の採用によりフレームの強度を保ちつつ大幅な軽量化に成功。これは日本独自の技術である。
  • 翼面荷重が100kg程度と低い。
  • フランス系技術を日本で改良を重ねた14気筒栄エンジンを使用。このエンジンは前期型が1020馬力、後期型が1300馬力で、過給機と特殊な気化器により背面飛行状態でも安定して稼働する。
  • 武装は100連発の軽量20mm機関砲と600連発7.7mm機関銃2門ずつ。オプション武装として対重爆用の60kg爆弾を翼に装着可能。250kg爆弾2発も積むだけならできるが、投下用設備の欠失とマイナスGでの飛行が不可能になることから、カミカゼでの体当たり攻撃にしか使えない。
  • 計器類はアメリカのライセンス品を使用。配置が良いため操作性は良好である。ただし燃料計と油圧系の信頼性不足は欠点。
  • 初めて落下式燃料タンクを装備。
  • 艦上戦闘機であるので着艦フックや翼の防水機構を有している。
  • 防弾機構を軽量化のため省いているので攻撃を受けると炎上しやすい。

性能的な特徴は

  • 42年型で時速530km/hと当時としては高速機の部類に入る。
  • 上昇性能が良く、高度3000mまでの上昇ではP47とP38の44年型をも完全に上回る。
  • 急角度の運動が可能。
  • 500kmもの行動半径を有する。
  • 軽量であるため、急降下からの突進戦法は重量のある連合軍機の方に分がある。

三菱の名古屋工場の製造数を過大に見積もっている部分は間違いですが、朝鮮戦争当時に書かれたものとしては良作だと思います。本人がペンタゴンが(朝鮮戦争当時に)英訳・公開した日本側の資料の殆んどを読破した、と言っているだけはあるかも知れません。確かにマニアックな人ですね・・・。--123.225.250.11 2008年10月15日 (水) 09:25 (UTC)

なるほど、完全にマニアですね。何も考えずに飛ばしていた日本人パイロットの発言より余程信頼性がありますし、何より各国の機材を見た上で日本戦闘機を見ているわけで視野が広いですよね。撃墜王かつ著作家として実績があるのですから採用するのに何の問題もないと思いますので、出典を付けて是非記事に取り入れて頂きたい。--プリズム11 2008年10月15日 (水) 12:23 (UTC)

かなりのマニアかもしれませんが、彼は実際に零戦に乗った訳でもなく対峙した訳でもないですからね。極言すれば全て伝聞情報、一次資料的に扱うのは難がありますね。--125.203.125.145 2008年10月15日 (水) 16:54 (UTC)

「戦闘のことだけ考えて実際に乗った人」「戦闘のことだけ考えて対峙した人」よりは、「同時代の戦闘機にマニア的観点を持って乗って実績を挙げ、文筆家としても実績を挙げ、マニア的観点を持って資料を丹念に調べた人」の方が零戦の客観的な姿を描き出せると思いますよ。「実際に乗ってみてどうだったか」「実際に対峙してみてどうだったか」を書いているならその部分については「一次資料的に扱」わなければ良いだけです。--プリズム11 2008年10月15日 (水) 22:46 (UTC)

戦闘気乗りとしての観点はあるかもしれませんが、上に挙げられた特徴を読む限りあくまでもマニアだなという感じがします。充分な検証を行わず、伝聞情報のみを元に著作を構成しているとしたら、間違いである可能性がありますし、もし検証可能である情報であるのならば、検証資料をそのまま出した方が信頼性が高いです。つまりマニアが調べた正しいことを記述するよりは、正しいことを示す資料を掲載した方が有益です。--125.203.138.69 2008年10月16日 (木) 14:12 (UTC)

その検証資料はすぐに見つかるのですか?
無論事実に関する事柄について一次資料が見つかるのならそれが一番ですが、それが見つかるまで著作家が本にした範囲のことを掲載するのは有益です。ほとんど無理なことが全くの不可能ではないからといって有益な情報を削る理由にはなりません。それと、長期に渡っている議論に参加する場合はログインして下さい。誰と話しているのか分かりません。--プリズム11 2008年10月16日 (木) 14:32 (UTC)


クロステルマン氏の「空戦」の記述と信頼性について、、、

・記述を裏付ける出典が示されていないなら、単なる伝聞の可能性を排除できない。
・出典が示されているのなら、その出典(上記の例ではアメリカ国防総省のreport)の方をreferenceとすべき。

というわけで、125.203.138.69氏の主張に賛成。 (尚、クロステルマン氏の著作の「読み物」としての価値に、けちをつけるつもりはありません。)

プリズム11氏の最後の一文には感心しませんな。ルールに従う限り、万人に解放されているのがWikipediaです。ログインユーザーなればこそ、冷静に。 --219.98.72.18 2008年10月16日 (木) 15:25 (UTC)

Wikipediaじゃなくったって誰が誰だか分からなくならないように議論する前に名乗るのは必要なことだし普通のことだと思いますね。無論ログインは誰にでも出来ますので「ログインして下さい」てのはWikipediaの開放的思想と矛盾しないし、長期にわたる議論にログインしないのは議論の相手のことを考えないという意味でWikipediaの理想と合致しません。今の成文ルールを絶対とせずやってみて不都合な部分は変えて行くのもWikipediaの「ルール」ですから、今それがルールに要求されていないとしたら今後要求されるようになって行くでしょうね。長くなった議論の中でログインが必要だと思わない方は△11は相手にしません。どの方がどういう主張なのかも分からないままでは議論なんか成立しませんから。--プリズム11 2008年10月16日 (木) 18:48 (UTC)

記述するのに使用した方法を主に論じていらっしゃるようですが、この場合、指摘内容が正しいかどうかが一番の問題では?正しい指摘内容が多いということは、伝聞や資料の引用が主だとしても、正しい情報を識別する能力と情報の裏を取る能力が高いという証拠ですから、著述家・評論家として信頼できる重要な要素だと思いますよ。例えば、武装に関する指摘は構造図を見れば確認を取れますし、性能的な特徴もスピットファイアなりBf109なりのカタログスペックと比べてみれば大体の是非は素人でも判断できます。指摘内容の検討もせず、「どうせ伝聞だから引用するに値しない」という態度は「どうせ中国人パイロットの話の伝聞と残骸を見たてきただけの男の情報など検討に値しない」と中国駐在武官からの零式艦上戦闘機の情報を黙殺した米国国防省と同じ態度ではないでしょうか? 逆に直接戦ったり運用したりした人間でも、先入観や比較対象の情報の欠如が元で広い視点で見れば変な指摘をしている場合があります。例えば零式艦上戦闘機の離着陸時の安全性が高かったため、世界的に見れば普通程度かそれ以上の離着陸性能の雷電を「離着陸困難」と判定している例が一例です。そのような意味では同時代の外国機に精通したトップパイロットによる指摘は印象的な部分の強調という意味では有益なのでは?

追記

先に挙げられていた特徴の中では「前部胴体と翼、操縦席、エンジン架の一体化構造」が指摘として有益であると思います。この構造は九七式戦闘機以降の日本の単発戦闘機では標準的な構造ですが、外国の機体と比べると珍しく、「特筆に値する」と判断されています。構造の情報自体は零式艦上戦闘機とスピットファイアその他の同時代の戦闘機の構造を比べれば検証できます。また「この点は特筆に値する」という筆者の評価そのものも、引用される価値のある一つの情報であると思います。
私見ではありますが、このような著作の最大の意義は「複数の資料を比べることにより結論、評価を出す」ことであると思います。例に挙げた構造にしても、どちらかの構造が常識となっている人間の著作には「こんなこと常識だから書く必要がない」と判断されてしまっていても、両方の資料を検証した人間ならば注目に値することもあるという面は否定できません。このような結論や指摘は一次資料を持ってくれば、誰にでも是非の確認を取ることはできますが、著作で責任を持って指摘した人間の発想力や検証力が損なわれるものでは無いと思います。--118.0.2.240 2008年10月16日 (木) 21:08 (UTC)

--123.216.220.55 2008年10月16日 (木) 18:20 (UTC)

具体的に引用資料として有用だと思える記述を挙げていただけますか。--220.220.121.6 2008年10月16日 (木) 18:59 (UTC)

--219.98.77.163 2009年1月18日 (日) 14:56 (UTC)

優秀機との記述について

大戦機の優秀機と記述するについてですが、その是非は主観的判断にすぎないとの指摘がありました。しかしながら、今日に至るまで、国内、海外の多くのメディアに優秀な戦闘機として紹介されている事実からすると一般に優秀機として認知されていると判断できるので元に戻しました。--220.220.121.6 2008年10月16日 (木) 18:55 (UTC)

「零戦が優秀機である」という見解については散々言われて各種著作物にも書かれていることで、到底主観的判断とは言えないと思います。それを主観的判断というのなら、Wikipedia丸ごと白紙化が必要でしょう。--プリズム11 2008年10月16日 (木) 19:01 (UTC)
その意見には賛成です。現実に零戦との戦闘で精鋭を含む米英軍の戦闘機及びパイロットが大勢撃墜、大破に追い込まれています。戦闘能力的にも、出現当時の第一線機の大半と優勢に渡り合ったことは事実ですし、他国に先駆けて海上の長時間巡航による艦船の上空援護、及び爆撃機の護衛に成功しています。それまで局地防空重視の概念を打ち破った名機としての価値は航空機史上では無視できるものでは無いと思います。--118.0.2.240 2008年10月16日 (木) 21:16 (UTC)
大戦初期に活躍した事実は公知ですが、一方では、例えば、”機体は弱いし、武装はしょぼいし、撃たれるとすぐ燃えるし、B29に追いつけないしでダメダメだった”という類の評価もありますよね。「概要」としては一方に偏らない中立的な観点の記述が望ましいと思います。(”名機”というのも一寸どうかな?”名機”か”迷機”か、もめそうなので。) 下のほうの本文に”大戦初期の優秀戦闘機と言われる”と記述してあるので、それでよいではないですか。--219.98.148.114 2008年10月17日 (金) 17:12 (UTC)
当たり前のことを申し上げて失礼なようですが、道具の評価はその時期や運用法によって大きく変わって来ます。特に戦争中は兵器の進歩が早かった時期で、大戦末期の評価を以て大戦初期の兵器を論ずるのは無理です。そういう認識では「優秀な兵器であった」という記述が成立しないことになってしまいますよ。それと、定義であろうが本文であろうが中立的な観点は必要なんで、中立的な観点から見て優秀機でないなら当然本文の記述も削除すべきです。--プリズム11 2008年10月18日 (土) 00:38 (UTC)
本文の方の”大戦初期の優秀戦闘機”との記述ですが、大戦「初期」に卓越した戦闘力を発揮して連合国の戦闘機を圧倒した事は事実だし、その後、戦闘力を失ってゆく過程も記述されているので、本文全体としての中立性は保たれていると思います。--219.98.76.160 2008年10月18日 (土) 01:32 (UTC)
中立的な観点は客観的な視点でどういう評価がなされているかということです。大戦初期の段階で高速、高火力、高機動、長航続力を誇ったのは本機であるのは周知の事実であり、実際、活躍もしました。また、弱防御など幾つかの弱点を有し、末期においては、本機が性能不足に陥ったのも事実です。それらを踏まえた上で多くの著作物では大戦期の優秀機として扱われています。これが客観的な視点です。”迷機”との判断はどこからきているのか教えていただけますか?--125.203.127.202 2008年10月18日 (土) 05:11 (UTC)

さて、同様に優秀機とされているものの中に、P-51や、Bf109、スピットファイアがありますが、P-51をみるとその初期型は高性能機とは言い難く、優秀機となったのはエンジンをマーリンに換装した後期型で本格的に活躍しだすのは戦争後期に限られ、被弾に弱いとも云われている機体です。また、Bf109はドイツ空軍の主力戦闘機として全期間を活躍するものの、ライバル機を圧倒した程の性能を誇った訳でもなく、また、航続力の短さや、脚の弱さに因る事故の多発といった短所を抱えています。スピットファイアはBOBにおける救国戦闘機として来襲するドイツ軍機を迎撃、その後も順調に高性能化が図られたものの、やはり航続力の不足から戦争後期の侵攻戦では大きな活躍はできませんでした。こうしてみると優秀機としての資格に大戦全期間を通しての活躍が必須かというとそうでもなく、また、瑕疵を抱えていないことがそうかというとそうでもありません。共通点としては、どの機体も特筆すべき活躍を行っているということだと思います。そのように考えると、大戦後期には性能不足となった零戦ですが、前期での活躍には特筆すべき点があり、十分、優秀機としての資格を有するもの考えられます。『大戦機の優秀機』なのですから、後期の性能不足のみをクローズアップし、その前期の実績をないがしろにした見解は的を得ていません。--125.203.127.202 2008年10月18日 (土) 09:34 (UTC)

あの...”優秀機””名機”と明示しない事が”名機”と言う位置づけを否定する事にはなりませんよね?。 「”名機”か”迷機”か、もめそう」という意見は「”迷機”と判断」している事になるのですか?。 大戦初期の活躍に力点を置いた評価(これに異論を述べている人は誰もいない)だけではなく後期の戦闘力損失に着目した評価も存在するという指摘をすると、それは「後期の性能不足のみをクローズアップし、その前期の実績をないがしろにした見解」になってしまうのでしょうか?。 百科事典なのだから、もっとニュートラルに書きましょうよ。 私も零戦は名機だと思っていますが、わざわざ百科事典の項目の頭で定義しなくても良いではないかと思います。Bf109スピットファイアの項目には、そういう記述は無いですね。--219.98.76.160 2008年10月18日 (土) 10:39 (UTC)
そのような大きな特徴は文頭に書くべきと考えます。百科事典、事典というのはそういうものではないですか?Bf109、スピットファイアの項目に記述に無いからといって記述を差し控える理由が判りません。--125.203.127.202 2008年10月18日 (土) 12:34 (UTC)
「優秀機」という表現は、”特徴”ではなく”評価”です。 なので、百科事典の文頭に定義として明示することには馴染まないと考えます。評価基準や相手/運用/時期により、評価は色々ですから。--219.98.76.160 2008年10月19日 (日) 17:00 (UTC)
多くのメディアで「優秀機」や「名機」と謳われているのであれば、検証可能性も考慮して執筆なさってはいかがでしょうか。「優秀機」「名機」といった単語だけに着目するのではなく、そういった書籍で何を根拠にそう位置づけているのか探せばまとまるのではないかと思います。--Fox-Two 2008年10月18日 (土) 12:45 (UTC)

Miya.mです。4年ぶりに来ました。零式艦上戦闘機は世界中の名機を網羅した『名機100 酣燈社 平成12年』でもスピットや109と並んで名機として扱われています。Wikipedia:検証可能性に従って引用元を添付して「名機である」というのはWikipediaとして正しい記述と考えます。(私が加筆した4年前はもっとルーズでしたが・・・)Miya.m 2008年10月18日 (土) 16:44 (UTC)

「名機」と言う言葉は非常にあいまいで、十人十色の”名機”の定義が存在すると思います。そこが難しい所ですかね。。。明示的に”名機”とは書かず、零戦は”日本を代表する戦闘機”という表現でよいのではないかと思いますが、どうでしょう?--219.98.76.160 2008年10月19日 (日) 17:12 (UTC)
零戦が優秀機と呼べるならば…大戦に参加した戦闘機の内、致命的な欠陥がなくて標準的な総合性能を持ち、それなりに活躍したものは全部「優秀機」と言わないと不公平です。したがって、「零戦は優秀機」という定義を記述するならば、同様にF4FにF6FにもBf109、Fw190、スピットファイア、モスキート、P-51、全ての記事に全部「本機は優秀機である」と定義する必要があるでしょうね。
確かに多くの雑誌なのでは「零戦は優秀機」「素晴らしい戦闘機」「日本の誇り」と謳われてますが、これはハッキリいって軍事オタクのウリナラマンセー的なオナニーに過ぎません。自分の好きな兵器や自国の兵器は、ついつい贔屓目してしまうのが人情というものですが、やはり百科事典では「優秀機」などという尊大な表現は控えるべきです。
どうしても優秀機と表記したいなら、「低速時の格闘性能と長大な航続力に注目すれば優秀機と呼べる戦闘機である」と書くべきでしょう。また、「優秀機」であるはずの零戦を撃ち破ったF6FとF4Uも同様に「優秀機である零戦を数多く撃墜した超優秀機である」と定義する羽目になるでしょう。--219.106.194.167 2008年10月20日 (月) 16:46 (UTC)
私も、「名機である」「代表する戦闘機である」などと断定形で記述するのはちょっと難しいような気がします。しかし、「零戦は名機」とする信頼できる情報源が複数あるのならば、それらの名を具体的に出典として付した上で、「名機であるとの評価も少なくない」などと記述するのは可能だと思います。--123.224.169.131 2008年10月21日 (火) 09:52 (UTC)
「名機である」と断定形ではかけないとしつつ「名機であるとの評価も少なくない」と記述は可能...というのは、矛盾している様に思えますが真意はどちらなのでしょうか?(後者の場合は「言葉を濁さない」に抵触すると思います。) また、「零戦は名機」「名機・零戦」等と記述した書物は沢山ありますが、名機とは何で、何故零戦は名機か、明確に記述してある例にお目にかかったことがありません。そもそも「名機」とは何なのでしょうか。その定義を明確にできないと、文頭に「零戦は名機」とは明示できないと思います。--219.111.188.75 2008年10月25日 (土) 12:07 (UTC)
いえ、私は矛盾したことはまったく言っていないつもりです。「零戦が名機である」という記述をするためには、確かにあなたのおっしゃるとおり、名機とはなんなのか、なぜ名機なのか、という議論が必要でしょう。しかし、「零戦が名機である、と評価する者がいる」というのは疑いようのない事実ですから、そのことを出典つきで書くことは可能ですし、そのように書く際に、その評価が妥当であるかを議論する必要は、基本的にはないと考えます。「少なくない」が言葉を濁しているように見えるのならば、「(だれだれ)や(だれだれ)などによる「名機である」との評価がある」などでも構わないでしょう(少しくどいですが)。繰り返しますが、私は「名機であるという評価がある」という記述ならば可能である、といっているのです。「名機である」と書くことは不可能だという見解はあなたと一致します。--123.224.169.131 2008年10月25日 (土) 12:24 (UTC)
了解しました。貴方の主張の読み込みが足りなかった様です。すみません。ただ、「名機であるとの評価も少なくない」「名機であるという評価がある」という記述をするなら、それは零戦に限らず、他の殆どの機体について当てはまってしまいますよね。なので「名機であるとの評価も少なくない」という記述もしないほうが良いと思います。--219.111.188.75 2008年10月25日 (土) 14:13 (UTC)
他の殆どの機体について当てはまろうが、当てはまるまいがそんなことは関係ないことですよ。もしそうであれば他の機体で名機と呼ばれているところに貴方が信頼のおける検証可能な資料を引用して記述すればいいんじゃないでしょうか。wikipediaにないルールを主張されても正直困惑します。--60.47.38.117 2008年10月25日 (土) 23:46 (UTC)
ふーん、「書くべきでない」という意見は「wikipediaにないルールを主張」と言うことにされてしまうのですか?ここでは(笑...。 検証可能性とは、どこぞの文献に「零戦は名機」と書いてあれば何でもいいってもんではなく、信頼の置ける媒体であることが必要です。信頼の置ける媒体とは、査読、もしくはそれに相当する手続きがとられ、その記述の信頼度が充分に検証されていると認められる物です。残念ながら、「名機・零戦」「零戦は名機」と書いてある幾多の媒体で、その記述の裏づけがきちんと取られているものを知りません。たんに「名機と言えば零戦でしょ」「零戦は名機にきまってるでしょ」「零戦が名機にあらずして何が名機なのか?」みたいな乗りで書かれた文章ばかりですよね。「名機とは何ぞや?」という定義さえはっきりしていないんですから。百科事典の文頭に、そんな文献群を参照して「零戦は名機といわれている」とかは”書くべきでない”ということ。あなたのために分かりやすく一言で要約すると、大言壮語すべきでないということです。--218.221.166.78 2008年10月26日 (日) 14:17 (UTC)

Miya.mです。「残念ながら、「名機・零戦」「零戦は名機」と書いてある幾多の媒体で、その記述の裏づけがきちんと取られているものを知りません。」について反論。私が引用した「名機100」は複数執筆でして、木村秀政佐貫亦男、日本航空宇宙学界副会長を務めた鳥養鶴雄ら、航空界の錚々たる方々が『名機』を選定された結果です。十分検証可能性に足ると考えますがいかがでしょうか?Miya.m 2008年10月26日 (日) 14:35 (UTC)

2008年10月26日 (日) 14:17 (UTC)の書き込みは、「空戦記や武勇伝の類ばかりを引用して名機だなんて書かないでね」と言うことが本旨であって、何が何でも名機と書べきでない等と主張しているつもりはありません。まともな文献で裏付けられたものであれば記述が可能でしょう。Miya.m様よりご指摘の木村先生他の著作であれば、まともなものであろう事は想像できますが、私自身はその文献を目にしたことがありませんので、記述の修正はMiya.m様にお願いしてよろしいでしょうか。「『名機100 酣燈社 平成12年』(木村秀政et al.)によれば、零戦は〇〇という理由で名機とされている」..という感じでしょうか。--218.221.166.78 2008年10月26日 (日) 16:37 (UTC)
誰も「「空戦記や武勇伝の類ばかりを引用して名機だなんて書」くとは主張していません。思い込みで「大言壮語」呼ばわりは止めてください。本件の引用元として適当か判りませんが、「空戦記や武勇伝の類」や、「軍事オタクのウリナラマンセー的なオナニー」でなくとも、零戦を優秀機として紹介しているMartine Caiden著「Zero Fighter」などもあります。(当時リデル・ハートが軍事コンサルタントを務めていた出版社から刊行、日米双方にインタビューし、英国の航空史家の文献(「Famous Fighters of Seconde World War」William Green)などを参考に著される。多数国に翻訳されたベストセラー。)あとですね、既に出典が明示されているのに、確たる根拠(検証作業などによる客観的裏付け)なく、記述に反対しておいて、改めて検証可能性について問われると「何が何でも名機と書べきでない等と主張しているつもりはありません。まともな文献で裏付けられたものであれば記述が可能でしょう。」。更に「記述の修正はMiya.m様にお願いしてよろしいでしょうか。「『名機100 酣燈社 平成12年』(木村秀政et al.)によれば、零戦は〇〇という理由で名機とされている」..という感じでしょうか。」と、議論の収束を待たず自分勝手に人に執筆依頼。そのくせ(出典も読んでないのに)文章の起案・・・。もう少し自重した方がよくありませんか?※念の為、断っておきますが、Miya.mさんの執筆(されるとしたらですが)に反対しているのではありません。--60.34.8.184 2008年10月26日 (日) 20:48 (UTC)
上の「出典について」のノートで「フランス人撃墜王が書いた書物に技術的知見があるわけがない」、「一次資料以外は使うべきではない」、「運用も対決もしていない人間が纏めた特徴など書くべきではない」との主張が行われています。この上「空戦記や武勇伝の類ばかりを引用して…」となると「運用や対決した人間の記述」のかなりの部分が無効となってしまいますね。こうなるとこの零式艦上戦闘機の項目は一次資料を自由に読める立場の人間以外の執筆は禁止ということになるかもしれません。--122.16.70.145 2008年10月28日 (火) 14:24 (UTC)
空戦記や武勇伝などの書籍でも立派な検証対象なので、この記事から削除する必要はないと思いますよ。要は中立的な観点などと照らし合わせつつ、間違っている箇所があれば、一次資料や三次資料をもってそれを否定する見解も執筆すれば良いってことでしょう。
ところで、現状でコメントアウトされていますから、出典と理由付けで修正できる方がするという方向で議論は終了ということでしょうか。--Fox-Two 2008年10月28日 (火) 15:39 (UTC)
賛成です。--220.108.221.112 2008年10月29日 (水) 14:37 (UTC)

『信頼度ある出典を示すことで”零戦は名機”と書くことができる』というのが、上記の結論(合意)ですよね。 しかし、”優秀機”と記述する事については、否定的なニュアンスのまま、合意が取れていないと思います。優秀機とは言えない事実も多々ある以上、”名機”の様に単に出典明示では決着がつかないので、合意に至るハードルは相当に高いと思われます。(中立性を考慮すれば、”優秀機”と”優秀機とはいえない”の両方を記述すべき。)

現在の本文には、出典の明示も中立性の配慮もなく、”優秀機”との記述が復活されて固定化されましたが、今までの議論を尊重するとすれば、合意が形成されるまで、該当部分のコメントアウト、または、要出典範囲付加が適当かと思います。--219.98.77.163 2009年1月18日 (日) 14:56 (UTC)

124.84.115.103氏の編集について

Wikipedia:編集方針に違反

編集履歴から分かるように、124.84.115.103氏は、自己が行った編集の記述に極端に執着し、適正な理由も無く、他者の編集を排除/revertする行為を繰り返し行っています。これは、Wikipedia:編集方針に反する行為の反復実行と認められますので、該当IPのブロックを要請します。--219.98.77.163 2009年1月17日 (土) 05:21 (UTC)
警告したにもかかわらず繰り返しおこなっておられるようなので、Wikipedia:投稿ブロック依頼 2009年1月にてブロック依頼に出しました。--A6M4 2009年1月17日 (土) 13:21 (UTC)
半保護依頼かけたほうが有効だと思われますが如何でしょう?--GF 2009年1月17日 (土) 14:26 (UTC)

回答する。他人に無駄な批判をするより、百科事典として成立可能とすべく、妥当な妥協点を模索すべきである。工夫が足りないのではないか?219.98.77.163(女か?)の、荒らし行為に対し、リバートした。--124.84.115.103 2009年1月17日 (土) 17:13 (UTC)

Wikipedia:編集方針に加え、中立的な観点大言壮語をしない検証可能性出典を明記する)、独自研究ウィキペディアは何ではないかウィキペディアは演説をする場所ではありません)も、ご確認ください。--219.98.77.163 2009年1月18日 (日) 15:01 (UTC)
124.84.115.103氏がそんなに自分の記述を採用して欲しいと言うのであれば、その記述の根拠を明示すべき。根拠も示さず、これまで構築してきた文章を独りよがりの記述に変える以上、根拠、出典が必要。色々な人々が積み上げてきた編集の上に今の記事があるわけであるから、それに反するがごとき記述をし、それが周りに受け入れられないとなると他人を荒らし呼ばわりし、妥当な妥協点とか言い始める始末。工夫が足りないのは貴方ですよ。他人の記述の除去、revする際は理由を明記するのが普通礼儀ってものです。まず礼節をもって自分の記述のどこに正当性があるのか、何故他人の記述を削除、revしたのか根拠を示してはっきりとさせること。まずはそこからです。今までの貴方の記述を見る限り、「貴方は何様ですか?」と言いたくなります。--GF 2009年1月18日 (日) 15:33 (UTC)

回答します。女性と思われる方の荒らし行為は事実であり、反省されたい。当方の記述の根拠は、本ノート、および本文の内容である。今後もよろしく--Clausewitz von 2009年1月19日 (月) 01:55 (UTC)

いや、それはwikiとして根拠と認められないですから。記述には検証可能性出典を明記する)が一応必須です。出典を求められた際はこれを回答しないと独自研究とみなされ削除対象になります。当該リンク先のガイドラインを良くお読みください。更にそれを繰り返し行うと例えIPユーザーであってもブロック対象になりますのでご注意ください。後、女性云々言っていますが、実社会でもそうであるようにその発言は女性蔑視と受け取られかねませんので注意してください。--GF 2009年1月19日 (月) 11:50 (UTC)

確かに理由の明記なしに一人よがりにrevertするという行為は看過されるべきものではありません。revert合戦の場合、どちらが正しいかは記述内容によって判断されるべきではないでしょうか。今回の場合、概要記述の部分ですので、要件としては煩雑すぎずに要領よく特徴を、特に正しく記述することが望まれます。この観点からして挿入部分の記述を検証する必要があるでしょう。今回の挿入箇所の文章ですが、『しかし、後継機とされる烈風の開発が間に合わず、連合国側の編隊空戦の徹底や新型機(F6F等)の大量投入、日本側のベテラン搭乗員の損失とも相まって、大戦中期以降は急速に戦闘力を喪失し、大戦末期には神風特攻にも投入された。』となっています。この挿入部分の記述者への質問ですが、1.『後継機とされる烈風の開発が間に合わず』とありますが、これは零戦自体とは直接関係のある事象でしょうか。2.『大戦中期以降は急速に戦闘力を喪失し』とありますが、理由として挙げられている米軍の編隊空戦の導入、F6Fの投入時期、ベテラン搭乗員の喪失の時期はそれぞれ時期が異なります。編隊空戦の導入は1942年のソロモン航空戦の折から、F6Fの大量導入は1943年から、ベテラン搭乗員は1944年のマリアナ沖までは減少しつつも一定の数を保っていたはずです。三つの条件が揃うのは1944年となり大戦後期となります。以上を踏まえると大戦中期以降は急速に戦闘力を喪失しとの記述は正しいのでしょうか、明確な出典元を希望します。3.概要記述部分のこの文章部分だけ改行をし別段落として記述しているのはなぜでしょうか。以上、よろしくお願いします。--125.203.132.25 2009年1月19日 (月) 17:06 (UTC)

いや、(Clausewitz von氏へ) とりあえず219.98.77.163氏やA6M4氏のrvは方針に沿ったrvと認められると思います。「優秀機」という記述について上のノートで要出典のタグは出典提示後に解除するという合意が出来ているため、これを守らないまま削除してしまった125.203.132.25Clausewitz von 氏の編集は明らかな合意違反です。次に、自分が疑問に持つからといきなり記述を削除してしまうのはやりすぎでしょう。コメントアウトの後にノートで上記の質問をすれば編集合戦には確実にならなかったと思われます。
>確かに理由の明記なしに一人よがりにrevertするという行為は看過されるべきものではありません。revert合戦の場合、どちらが正しいかは記述内容によって判断されるべきではないでしょうか。と仰っていますが、残念ながらそれはwikiの方針の無理解といわざるを得ません。今回の最初のrvについてはノートの合意が根拠にあったことがあげられますので独り善がりとはいえません。また、Wikipedia:編集合戦では編集合戦は履歴が無駄に増え、当事者間の行動がエスカレートするだけで何ら利益はありません。ですから編集合戦になる前に 3. または 4. の段階でノートページなどを使用して当事者間で対話を行うようにしてください。と明記してあります。貴方の見解はこれに反しています。またWikipedia:腕ずくで解決しようとしないにおいてもウィキペディアの活動において、何か主張したいことがあったとしても、何か問題を解決しようとしたとしても、それを理由に破壊的な行動を引き起こしてはいけません。たとえその行動の目的が、正しかったとしてもです。また、破壊的な行動とまでは言えないまでも、衝動的、非協力的、あるいは一人よがりな方法は、善意と協力、合意を基調とするウィキペディアにおいては、多くの場合誤りです。あるいは相手の傲慢で一方的な行動に対して何か意見や問題点があったとしても、誠実な行動で対応する。相手に仕返しで対応しない。それが多くの場合最適な方法です。と明記してあります。</del>残念ながら貴方の編集は拙速であったと言わざるを得ません。ノートを読み理解した上で編集をしていれば、今回の編集合戦から保護に至る出来事は起きなかったといっていいでしょう。他人を独り善がりと批判する前に、まず編集方針をちゃんと理解した上で編集を行ってください。使い方を知らないで道具を扱うことが危険なのは何も刃物に限ったことではありませんので。「他人に厳しく自分に甘く」ではwikiでは生き抜いていけないということも老婆心ながら付け加えさせていただきます。--GF 2009年1月20日 (火) 09:02 (UTC)相手誤認によるコメントミスの為取消線追加--GF 2009年1月20日 (火) 14:44 (UTC)
上のお願いを書いた者です。きちんと書いておかなかったのも悪いのですが、私は編集もrevertも行っておりません。その点、誤解なきよう。--58.93.45.176 2009年1月20日 (火) 14:18 (UTC)
(上のコメントを書いた方へ)それは失礼しました。ただ、とりあえず貴方の言い分に関しては方針に反していますので、方針については理解されますよう。>確かに理由の明記なしに一人よがりにrevertするという行為は看過されるべきものではありません。revert合戦の場合、どちらが正しいかは記述内容によって判断されるべきではないでしょうか。と仰っていますが、残念ながらそれはwikiの方針の無理解といわざるを得ません。今回の最初のrvについてはノートの合意が根拠にあったことがあげられますので独り善がりとはいえません。他人を独り善がりと批判する前に、まず編集方針をちゃんと理解した上でこれから編集を行ってください。尚、議論に参加する際はログインをした状態でお願いします。可変IPの方だと今回のように誤認を生じかねず、議論をする相手にとって非常にやりにくくなりますので。--GF 2009年1月20日 (火) 14:44 (UTC)
revertの件については了解です。ただ私は現状の記述にも問題があると思っています。私の言い分全てがwikiの方針に反していますか?--219.164.203.237 2009年1月20日 (火) 15:15 (UTC)
(インデント戻し)現状の記述に問題がある場合でも、周囲との合意を図りつつ記述訂正をしてください。それも全てwikiの方針として示されています。その辺りの方法に関しても、方針をよく読み記述なさってください。私から言えることはそれだけです。--GF 2009年1月20日 (火) 22:38 (UTC)

上記の方々の主張、了解。ありがとうございました。--Clausewitz von 2009年1月22日 (木) 02:26 (UTC)

戦争名称

あなたは戦争名称についてrvを繰り返していますが「太平洋戦争=大東亜戦争」ではないこと、脚注が多すぎてかえって見辛くなっていることなどを踏まえて編集してください。また「アジア太平洋戦線」という呼称は当時存在せず連合国側は「太平洋戦域(戦線)」と呼称していました。どうしても脚注化したいのなら「当時の呼称は大東亜戦争」などとするのが妥当かと考えております。--大元帥 2009年8月16日 (日) 14:02 (UTC)

「太平洋」も「大東亜」も削除して「第二次世界大戦」に統一する事には反対ではありませんが、「大東亜」は過去の編集合戦の経緯もあって脚注化されていますので、脚注としても「大東亜」を削除してしまっては、8月を中心に定期的に発生する「大東亜」厨が納得しないでしょう。なので、零戦に関して本質的でない部分における編集合戦の拡大を予防するためには、現状回復が妥当と考えます。--219.98.6.5 2009年8月16日 (日) 15:00 (UTC)
ところで、新規利用者:大元帥氏は ≡ カイテル氏 ですか?(複数IDはルール違反では?) ミッドウェー海戦の項目でも、「太平洋戦争」⇒「太平洋戦争(大東亜戦争)」へ書き換えされていますが、上記の「太平洋戦争=大東亜戦争ではない」という貴方の御説と矛盾する編集行動ではありませんか?--219.98.6.5 2009年8月16日 (日) 15:00 (UTC)

以上、219.98.6.5の利用者ページから移設しました。--219.98.6.5 2009年8月16日 (日) 15:10 (UTC)

まずいくつか反論を。カイテル氏とは別人であり関係はありませんミッドウェーに関しては括弧付けにしても文脈上問題はないと判断したまでです。実際大東亜戦争の大きな転換期でありますし。間違っちゃいないでしょう。脚注化するなら「当時の呼称は大東亜戦争」とするのが妥当かと思います。--大元帥 2009年8月16日 (日) 15:54 (UTC)
この「大東亜」「太平洋」の書き換えは過去頻繁に起こっており、2008年8月2日 (土) 16:22の編集で脚注として終息したものです。問題が再燃したのは明らかにカイテル氏による編集が原因でしょう。ノート:軍歌#意味不明な差し戻しについてでも述べていますが。大東亜戦争というのは、冒頭に書いてあるようにその当時日本で言われた名称に対する説明であり、特別必要でない限り太平洋戦争にリンクすると言うのが今までの暗黙の了解となっています。零戦は有名な機体ですから大東亜にリンクしていてもあまり問題は無いかもしれませんが、あくまで脚注にとどめるべきではないかと思います。--A6M4 2009年8月17日 (月) 12:45 (UTC)
脚注化するのでしたら"当時の呼称は「大東亜戦争」”とするのがいいかと--大元帥 2009年8月17日 (月) 13:37 (UTC)
一旦、2009年8月14日 (金) 12:22の版に戻すのが適切だと思います。零式艦上戦闘機の項目において、これ以上「大東亜」の脚注をこねくり回すことが有益とは思えません。--219.98.6.5 2009年8月17日 (月) 14:14 (UTC)

Wikipediaは史実を原則とします。「大東亜戦争」とは昭和16年12月12日に閣議で決定した日本の正式戦争名称です(支那事変を包含)。これを脚注とする意味が理解できません。日本の歴史上で合法的に確定している言葉を後世の人間の判断で変更するのは史実記述の原則に反します。日本の戦闘機の説明には日本の戦争呼称を使い、脚注として日中戦争、太平洋戦争とすべきです。歴史記述の大原則です。戦後の感覚で何かに配慮して外国の戦争呼称を使うとすれば史実を語る資格はありません。私は「大東亜」厨という言葉を発見して驚愕しました。今まで、どのような観点で議論されたのか知りませんが、これで大凡の推察は出来ました。 支那事変の呼称は、大東亜戦争名の決定時点で消滅しており、「日中戦争[1]の半ばから」という表現は日本史に存在しない架空の記述となります。 「大東亜戦争[1]の半ばから終戦まで」とし、脚注[1]で 「対米英戦(太平洋戦争)開始直後の昭和16年12月12日、閣議にて従来の支那事変(日中戦争)を包含するその後の戦争名称とされた」とすべきだと思います。利定--利定 2009年8月22日 (土) 19:20 (UTC)

ご意見ありがとう御座います。私も利定氏の意見に賛成です。脚注化するとまったく意味が通じなくなりますのでそのような表記が理想的でしょう。--大元帥 2009年8月23日 (日) 07:15 (UTC)
史実として、日本はあの戦争に負けたのですよ。完膚なきまでにぼろぼろに負けて、無条件降伏して、連合国の占領を受け入れたのですよ。「大東亜」の呼称はGHQの占領政策により1945年時点で無効化されています。日本政府はサンフランシスコ講和条約において請求権を放棄し、また占領政策を受け入れました。以後、日本政府の公式文書は、一貫して「太平洋戦争」に統一されています。学習指導要領も「太平洋戦争」です。これが史実です。故に、基本は「太平洋戦争」で、「大東亜」は当時の軍事政府の呼称という位置づけになるので、脚注化は妥当でしょう。また本来、Wikipediaは現代の世界的な視点で書かれるべきなので、原則に則れば「第二次世界大戦(の太平洋戦線)」に統一されるべきでしょう。--219.98.75.79 2009年8月23日 (日) 13:42 (UTC)
また、この様な議論はここではなく、大東亜戦争のノートで行われるべきかと思います。戦闘機型式の項目に「大東亜」論争を持ち込むから、「大東亜厨」呼ばわりされてしまうのでは?(戦争の名称を論ずるべき項目ではないのですよ。空気読みませんか)。--219.98.75.79 2009年8月23日 (日) 13:42 (UTC)
「大東亜」の議論はともかくとして「日本は無条件降伏し占領政策を受け入れた」とするのはリベラルの常套文句だが日本政府が無条件降伏かどうかについては議論があります。無条件なのは日本軍です。(無条件降伏参照)あなたが大東亜戦争の語を嫌悪するのは別にかまいませんが歴史認識においてはもう少し常識的な知識を身につけてください。それともあなたはウィキペディアにおいて戦後占領政策を全て受け入れろとおっしゃるのですか?じゃあ「南京大虐殺」も20~30万人死んだ事にしますか?「大東亜戦争」の項目を削除しますか?「太平洋戦争」の項目には「太平洋戦争史」を載せますか?「アメリカの戦争犯罪」のカテゴリーを削除しますか?学習指導要領に沿って毎年ウィキペディアの記述を変えますか?それとですね、「ここは零戦に関する項目だから戦争名称はどうでもいいのだ。」というあほらしい意見止めてもらえます?零戦には詳しいようですが歴史認識においてもう少し勉強なすってください。その程度の知識で(おまけにログインもせず)「これが史実です」などと言われても説得力のかけらもありません。--大元帥 2009年8月23日 (日) 14:27 (UTC)
それとですね、毎回IPかえるの止めてもらえます?せめてログインしてください。--大元帥 2009年8月23日 (日) 14:30 (UTC)
大元帥氏(大層なログイン名ですな。不敬では?笑)が反論をされるのは何故でしょう? 南京だ何だと、あまり議論を飛躍させない方が宜しいかと。私も、あなたが歴史認識において常識的な知識を身につけているとは思えないのですが(阿呆とまでは申しませんが)、まさか敗戦の事実さえも認めたくないわけじゃないですよね?。なお私は、大東亜戦争の語を嫌悪しているわけではなくて(嫌悪していたら脚注さえも許容外でしょう。)、わざわざココに執拗に「大東亜」書き換えに来ることがウザイと思っているだけです。いずれにしても、一旦、現状(というか、カイテル氏の編集前)戻しが妥当かと。なおログインしてまで書き込むなら、少しはまともに零戦の記事にも寄与してはいかがでしょうか。(「大東亜」は、もうおなかいっぱい。)--219.98.75.79 2009年8月23日 (日) 16:23 (UTC)

219.98.75.79氏の異常な反応に驚きました。昭和27年4月11日、講和条約の成立に伴って政府は法律第八一号を公布して勅令第五四二号(大東亜戦争、八紘一宇呼称の禁止)を廃止した。この法律によって占領軍の命令はその効力を失い、占領時代の各種の制限は消滅した。その後日本の法律の改廃がないので、占領軍の禁止命令が一時的的に存在したが大東亜戦争の名称は存続しているというのが法解釈の常識です。219.98.75.79氏の解釈は完全に間違っています。戦後中国(中共)の圧力に屈し、文部次官通達(法律ではない)でマスコミ、教育界に「日中戦争」呼称の推奨を通達して言論統制を行ったものが単に流通しているに過ぎない。日本独立後、米国は大東亜戦呼称に一切干渉していない。あなたの世界的通念とは中国とアメリカだけ? 英国と豪州他の国々は別の戦争呼称で呼んでます。それと「大東亜厨」との決めつけやヒステリックな反応はあなたのバイアスが掛かった偏見をそのまま曝け出していますよ。「ぼろぼろに負けた軍事政府」と喚き立てるあなたが日本の零戦を語る心理が理解出来ません。機種の説明に戦争名が副次との決めつけはあなたの主観に過ぎません。機種はその時代と密接不可分です。イデオロギーを持ち込むのは止めてもらえませんか。激高した回答は戴けません。----利定 2009年8月23日 (日) 16:37 (UTC)

ここは戦争の名称を議論するところではありませんよ。まさに「大東亜戦争のノートで行われるべき」この通りと思います。--プリズム11 2009年8月23日 (日) 21:30 (UTC)

プリズム11氏は219.98.75.79氏と同様に何か勘違いされていませんか? ここに「戦争名称」の看板が立ち、本文で戦争名を使っている以上、他に振って逃げる話ではありません。話の根底が理解されていないから219.98.75.79氏のようなボタンの掛け違えになるのです。私がここで言いたいことは「零戦本文に史実の戦争名を使うかどうか」です。イデオロギー論の「大東亜戦争のノート」で論議する話ではありません。私は数日前に零戦本文を初めて読み、直ちに三点の疑問がありました。その最初の一つの疑問から本項を読み極めて奇異な感じを受けました。零戦という機材の説明にイデオロギーを介在させる、或は特定のイデオロギーの人が記述する内容に危惧を感じて書き込んだ次第です。本文、又はノートを読んだ人が必ずしも「大東亜戦争」を改めて調べるとは限りません。本文に書かれた文章及び字句でイメージを定着させます。その為に本文の文章・字句は何であれ総て同等の重みを持つものと私は考えています。本論に関係ないから適当で良いとする軽い言葉なら、寧ろ使わない方が良いでしょう。まして戦後イデオロギー論争の渦中にあって確定もしていない戦争呼称(後述)を強引に持ち込むのは論外と言えます。私が「大東亜戦争」とすべきと言ったのは歴史で唯一確定(事実は何人も否定できない)している名称であり、戦争の性格・戦域表現が適当で、それが十二試艦戦要求仕様を生み出す素地だからです。零戦誕生に係わる戦争名に最もふさわしいと思うからです。戦争呼称の「為にする議論」をしているわけではありません。又、その意味からも日本語版に世界的戦争呼称を使う必用もありません。 219.98.75.79氏の反論に見解を述べます。彼は、「大東亜戦争」と記述すべきという見解に対して戦後の「歴史認識の常識」というイデオロギー論を突然振りかざしました。これは彼が、「史実の記述」と、「戦争の是非=歴史認識」という異なる次元の話を完全に混同した結果です。史実の記述と歴史認識は何の関連もありません。219.98.75.79氏の主張は支離滅裂で独善の極みです。独立後、国会答弁の政府見解も『「太平洋戦争」という用語は政府として定義して用いる用語ではない』とし、前後の文章で適宜に判断するとボカしています。政府の公式文書が「太平洋戦争」で統一との彼の主張は故意か勉強不足かの全くの間違いです。 新聞社も「太平洋戦争」(朝日・毎日)、「大東亜戦争」(産経)、「昭和戦争」(読売)と各社がバラバラです。 その現実が天皇陛下の「先の大戦」・「今次大戦」表現に集約されています。天皇の発言は政府見解=議会見解=国民見解です。それが議会民主主義の原則だからです。戦後の戦争呼称は何も決まっていないのです。その為に教科書はGHQの無効となった「太平洋戦争」を愚かな文科省の惰性と、左傾日教組のイデオロギーで使っているに過ぎないのです。歴史認識の常識を問われるべきは、間違いだらけの解釈を得意げに主張している219.98.75.79氏です。「太平洋戦争」、「日中戦争」は特定イデオロギーの人達では常識かもしれませんが、日本国民の合意、常識ではありません。世界的視野など大それた事を言う以前の問題です。変な固定観念から人の見解を色眼鏡で断定し、論旨すら理解できなくて感情で一方的に人を見下す狭小稚拙な態度の219.98.75.79氏を危惧します。話しても無意味な事が判りましたので、今後の戦争呼称の応答は致しません。こういう器の人が零戦を論じることを残念に思います。本項を閲覧される皆様の良心で是非のご判断を下さい。----利定 2009年8月24日 (月) 21:37 (UTC)

(苦笑)イデオロギーを持ち込んでいるのはあなたも同様ですよ。それと、「零式艦上戦闘機」の項目でこの議論をすべきということは、一式戦闘機妙高 (重巡洋艦)二式軽戦車、、、辺りの多数に渡る項目でもそれぞれ独立して議論すべきですよね。んなめちゃくちゃな主張をされていることにも気がつかれないんですかね。--プリズム11 2009年8月24日 (月) 22:14 (UTC)

論旨が理解できない人(何としても曲解したい人?)がいるようですから更に分かり易く説明しましょう。 「歴史の言葉の重みと意味」。昔、中国は日本を「矮」、「萎」、「倭」などの蔑称で呼びました。 「邪馬台国」、「狗奴国」・・・などは動物並みの扱いです。女王の名も「卑弥呼」と呼びました。卑しく蔑んだ呼称です。これを後世の人の価値観やイデオロギーで歴史に刻まれた言葉を変更しますか? そんな事をしたら、偏執狂・異常者として多分世界の笑いものになるでしょう。若し、史実の言葉を変えたら歴史は大混乱を起こします。当時の状況が全く判らなくなるからです。その愚かさが未だ理解できませんか。歴史上の言葉とはそういう重いものです。良くも悪くも当時の「意味を持つ言葉」をそのまま使うところに歴史の意味があるのです。史実の言葉を使うのがイデオロギーとは・・・・気は確かですか? 文章の読解力は大丈夫でしょうか。零戦の項の話をしているのに何故他の兵器の話が出るのでしょう。議論のスリ替えは笑われますよ。それともご乱心 ? 本質の議論とは関係ない「反対の為の反対」を無理やり繰り返すと更に恥じを晒しますよ。 --利定 2009年8月24日 (月) 23:48 (UTC)

何としても項目違いの議論をしたいようですねぇ。「本質」なんて、ここは零式艦上戦闘機の記事なんで、ここであの戦争をどう呼ぶべきかを議論してもしょうがないということだけでしょ。--プリズム11 2009年8月25日 (火) 11:07 (UTC)
過去に関連した議論として、「Wikipedia:井戸端/subj/「太平洋戦争」「大東亜戦争」の表記」というのがあります。こちらの方も参照してください。--Mkhcan487(talk.contributions) 2009年8月26日 (水) 14:14 (UTC)
(コメント)横から失礼します。とりあえず、一度差し戻してWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 軍事史(PJ太平洋戦争とも思いましたが、準備中でしたのでこっちに)にサブページをつくり、更にWikipedia:コメント依頼をかけて、そこで議論した方が良くないですか?ここは零戦という戦闘機の記事のために設けられたノートであって、他の記事にも飛び火しそうな呼称問題を言い合う場所ではありません。少しヒートアップしすぎて攻撃的になっていますので落ち着いてください。--アルトクール 2009年8月26日 (水) 16:42 (UTC)

三菱零式艦上戦闘機及びその部品等の掲載目録を作成

三菱零式艦上戦闘機及びその部品等の掲載目録を作成しました。参考にしてください。~~~~インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作者以上の署名の無いコメントは、202.95.174.72会話/Whois)さんが[2009年9月22日 (火) 06:10 (UTC)]に投稿したものです。

上記のアドレス

アドレス記入を忘れていました。 http://ksa.axisz.jp/0009ReisenList.htm ~~~~制作者以上の署名の無いコメントは、202.95.174.72会話/Whois)さんが[2009年9月22日 (火) 06:14 (UTC)]に投稿したものです。

上記のサイトには、Copyright (C) : Kuniaki Saekiの記載があり、Wikipedia:著作権に違反するため、転載しないでください。--sabuell 2010年1月8日 (金) 19:38 (UTC)

「ファイム」?

"Planes of Fame"は「プレーンズオブフェイム」でしょうが、ふつー。以上の署名の無いコメントは、125.0.241.101会話/Whois)さんが[2009年10月10日 (土) 16:15 (UTC)]に投稿したものです。

画像投稿者です。仰る通り、「プレーンズオブフェイム」の間違いです。訂正をお願いします。--Sekinei 2010年1月16日 (土) 17:07 (UTC)

零式艦上戦闘機#保存機・レプリカ機のギャラリーの部分ですね。保護ページの編集に依頼しておきます。--アルトクール 2010年1月16日 (土) 18:10 (UTC)
(報告)Wikipedia:管理者伝言板/保護ページ編集への依頼に基づき、誤記と指摘された箇所を改めました。--Kurihaya 2010年1月18日 (月) 05:06 (UTC)
確認しました。ありがとうございます。--アルトクール 2010年1月22日 (金) 00:31 (UTC)

確認させていただきました。有難うございます。--Sekinei 2010年1月25日 (月) 07:15 (UTC)

Otheruses

Template:Redirect

上記項目追加希望--123.48.93.146 2009年11月8日 (日) 09:29 (UTC)

該当項目ができてから曖昧さ回避を入れましょう。--アルトクール 2010年1月16日 (土) 18:05 (UTC)

カテゴリの除去

Wikipedia:削除依頼/日本の組織別航空機カテゴリで依頼中のカテゴリ:大日本帝国海軍航空機を記事から除去してください。よろしくお願いします。--sabuell 2010年4月3日 (土) 19:20 (UTC)

解決済み。Marine-Blueさんに除去していただきました。ありがとうございました。--sabuell 2010年4月7日 (水) 17:05 (UTC)
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