トキ

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Template:Redirect プライバシー・ポリシー Wikipedioについて 免責事項 Template:生物分類表 トキ朱鷺学名GiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/ )とは、コウノトリ目トキ科。19世紀迄は東アジアに広く分布しており珍しくない鳥であったが、20世紀前半には激減した。野生では中国陝西省に約500羽が生息しているほか、2008年から2009年にかけて日本佐渡島において人工的に繁殖された30羽が放鳥された。飼育下では2009年9月現在、中国に約600羽、日本に112羽、韓国に2羽がおり人工繁殖が進められている。

学名GiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/(ニッポニア・ニッポン)であり、しばしば「日本を象徴する鳥」などと呼ばれるが、国鳥ではない(日本の国鳥はキジ)。新潟県の「県の鳥」、佐渡市輪島市の「市の鳥」である。

目次

形態

体長は約76センチメートル、翼開長は約130センチメートル。朱色の皮膚が露出している顔、トキ亜科特有の下方に湾曲したくちばし(黒色。ただし先端は赤い)、後頭部にあるやや長めの冠羽が特徴である。全身は白っぽいが、春から夏にかけての繁殖期には首すじから黒い分泌物が出て、これを体に塗り付けるため頭から背のあたりが灰黒色になる。水浴びなどの後にその擦り付けを行うため、水浴び直後は特に濃く、ほとんど黒に近い。翼の下面は朱色がかった濃いピンク色をしており、日本ではこれを「とき色」(朱鷺色)という。脚も頭と同様に朱色で、虹彩は橙色。幼鳥は全身灰色で、頭部が黄色である。

サギ類が飛翔時に首を折り曲げるのに対し、トキは首を伸ばしたまま飛ぶ。また、クロトキなどとは異なり、飛翔時に脚の先が尾羽から出ない。

雌雄ともにほぼ同形であるが、以下のような特徴から判別できるとされる。ただしこれは飼育係が経験的に用いているものであって、学術的に研究されたものではない。また、野生個体や交尾行動にない個体についても適用できるか不明である。

体格 オスはやや大きく、体重1800 - 2000グラム。メスは体重1450 - 1600グラム。
性格 オスは食欲が強く食べる量も多い。また、攻撃的である。メスは食べる量が少なく、おとなしく、人を恐れる。
頭部 頭部と面部(皮膚が露出している赤い部分)が、オスは若干大きく、メスは若干小さい。
くちばし オスは比較的太く、長さは18センチメートルほど。メスは比較的細く、長さ16センチメートルほど。

分布

画像:Location of Hanzhong Prefecture within Shaanxi (China).png
中国陝西省漢中市の位置。このうち主な生息地は東北部の3県だが、行動範囲は市の広い範囲に及ぶ。

かつては日本の北海道南部から九州沖縄まで、ロシア極東(アムール川ウスリー川流域)、朝鮮半島台湾中国(北は吉林省、南は海南島<ref name="hainan">海南島での目撃報告はロバート・スウィンホーの一例(1871年)のみ。周辺での観察例も一切なく、それを除けば、過去の生息域の南端は福建省台湾と考えられ、環境省作成のパンフレットに掲載されている過去の分布図でもそのように記されている。しかし、後世の論文等ではスィンホーの報告を支持し、誤認ではないとするものも多い。</ref>、西は甘粛省まで)と東アジアの広い範囲にわたって生息しており、18世紀・19世紀前半まではごくありふれた鳥であった。日本では東北地方や日本海側に多く、太平洋側や九州ではあまり見られなかったようである。

しかし、いずれの国でも乱獲や開発によって19世紀から20世紀にかけて激減し、朝鮮半島では1978年板門店、ロシアでは1981年のウスリー川を最後に観察されておらず、日本でも2003年に最後の日本産トキ「キン」が死亡したことにより、生き残っているのは中国産の子孫のみとなった。

現在中国に生息している、またかつて日本に生息していたトキは留鳥(ただし、日本海側や北日本から、冬は太平洋側へと移動する漂鳥もいた)であるが、ロシアや中国北部、朝鮮半島など寒冷地に生息していたトキは渡りを行っていた。また、日本にいた個体も一部は渡りを行っていた可能性が指摘されている<ref>asahi.com トキと人びと--放鳥へ(3) 雄雌判別・DNA分析 山本義弘教授</ref>。

現在のトキの生息地 現在トキが飼育されている施設

生態

thumb|240px|佐渡島で放鳥されたトキ。朱鷺色に透ける翼や、飛行時に首を伸ばすこと、脚が尾羽より飛び出ないことなどが特徴。背中にはGPS発信機が見える。

食性・鳴き声など

トキ亜科の他種と同じくクチバシの触覚が発達しており、それを湿地田圃などの泥中にさしこみ、ドジョウサワガニカエル昆虫などを捕食する。稀にだが、植物質のものを口にすることもある<ref name="shashin">高野伸二『カラー写真による日本産鳥類図鑑』1981年、東海大学出版会、ISBN 9784486006480</ref>。鳴き声は「ターア」「グァー」「カッ カッ」などカラスに似た濁った声で、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』によると、群れて鳴くと非常に喧しかったようである。この鼻声のような鳴き声については、秋田県にある民話が伝わっている(後述)。サギは首を曲げて飛ぶが、トキの場合は、コウノトリやツルと同様に首を伸ばしたまま飛ぶ。羽ばたき方はサギよりもやや小刻みで<ref name="shashin" />、直線的に飛行する<ref name="shashin" />。

トキを特異的に宿主としているダニトキウモウダニがおり、日本におけるトキの野生絶滅とともに、環境省版レッドリストにて野生絶滅と評価された<ref name="mite">絶滅危惧種検索 トキウモウダニ</ref>。このダニも宿主同様1属1種であり、のレベルで独立した種であるという説もある。なお、このダニは吸血性ではなく羽毛くずを餌とするようである<ref name="mite" />。

繁殖

通常は数羽から十数羽程度の群を作って行動するが、繁殖期にはつがいか単独で行動する。しかし近年の中国での野生個体の観察<ref>かつては、巣からの距離が50~100メートル程度の範囲を縄張りとして、親鳥は強い縄張り意識を持っていたが、最近では巣と巣の間が10メートルほどのところも見られる。(出典:丁長青『トキの研究』。文献の詳細は下記の参考文献の欄を参照)</ref>や、過去の研究資料<ref>以前は1本のクヌギの木に30ものつがいが営巣していたこともあった。(出典:丁長青『トキの研究』。文献の詳細は下記の参考文献の欄を参照)</ref><ref>個体群が大きかった頃は小規模なコロニーで繁殖していた。(Matheu & Hoyo, 1992)(出典:中村登流・中村雅彦『原色日本野鳥生態図鑑 水鳥編』保育社、1995年、ISBN 4586302062)</ref>から、「本来トキは集団で繁殖する習性を持っていたが、個体数の減少や環境の変化により集団繁殖が困難になった。最近の中国ではその本来の習性が回復している」と考えられるようになった。日本ではマツコナラなど、中国(陝西省)ではクヌギバビショウなどの木に、直径60センチメートルほどの巣を作り、4月上旬頃に3個から4個の淡青緑色の卵を産む。抱卵は雌雄交替で期間は約1ヶ月。繁殖期のトキは非常に神経質で、巣に人間や天敵が近付くとすぐに営巣を放棄してしまうが、一方で幼鳥の頃に親鳥とはぐれるなどした個体はよく人に慣れ、『キン』などは素手で捕獲されたほどである。

独特な羽色の変化

画像:Toki keimoukinpu.jpg
『啓蒙禽譜』(作者不詳、1830 - 1840年代頃)より。非繁殖期の白い姿とは別に、繁殖期の姿を「脊黒トキ」の名で描いている。

トキは繁殖期の前、1月下旬頃から頸側部から粉末状の物質を分泌し、これを水浴びの後などに体に擦りつけ、自ら「繁殖羽」の黒色に着色する。着色は2月下旬から3月中旬頃に完了するが、こすりつける行動は8月に入る頃まで続けられる。それをやめると、羽の色も次第に元の白色に戻る。このようなトキの羽色の変色方法は極めて珍しく、これまでに確認されていた羽色変化(換羽、磨耗、退色、脂肪分による着色など)のいずれとも異なる。この原理が解明されるのは20世紀も後半に入ってからのことであり、詳細については未だに分かっていないことも多い。

トキの羽色には白色のものと灰色のものがあること自体は、古くから知られていた。江戸時代後期の『啓蒙禽譜』では、「トキ」の横に「脊黒トキ」の名で繁殖期の背面が黒い姿を描いている。1835年テミンクによって学名が付されたが、その後1872年にデビットによって中国で見られた灰色のトキが別種の "GiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/" と命名されている。デビットはその5年後の1877年に、M・E・オウスタレとの共著の中で、オウスタレの見解に従って「灰色型」のトキは変種であるとし、"GiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/" と改めたが、いずれにせよ19世紀後半から20世紀半ばまでは「白色型」と「灰色型」が存在するという見方が主流であった。1920年にはハータートにより、中国秦嶺朝鮮半島日本のトキが「白色型」で、ロシアウスリー地方のトキが「灰色型」との学説が提唱され、ラ・タウチェ黒田長礼水野馨山階芳麿なども同様の報告を出した。トキの羽色が変色するという説は、佐藤春雄が1957年に発表した仮説、内田康夫1970年の研究などが発表されるに至って、ようやく学会から認められるようになった。実は1891年にM・ベレゾフスキーによって繁殖羽の変色であるという説が既に発表されていたが、それまでは注目されることもなかったようである。

保全状態評価

国際的な指定
日本
中国
韓国

分類

トキはコウノトリ目トキ科トキ亜科トキ属に分類されており、一種のみでトキ属GiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/ を構成する。過去には繁殖期の個体を別種・変種とみなされたこともあったが、現在では亜種などはなく、日本・中国・朝鮮半島・ロシアのいずれのトキも完全に同一の種と考えられている。

学名

画像:Ibis nippon fauna japonica.jpg
テミンクシュレーゲルの『日本動物誌』に描かれているトキ。下に薄く "IBIS NIPPON" と記されている。

学名「ニッポニア・ニッポン」 "GiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/ " の属名と種小名は共にローマ字表記の「日本」に由来するが、最初からそのように命名されたわけではない。シーボルト1828年オランダへ送った標本により、テミンク1835年 "GiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/ " と命名し、シュレーゲルも論文執筆の際にはそれを用いた。しかし1852年ライヒェンバッハが "GiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/" と全く新しい学名を命名した。

現在の学名 "GiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/ " は両者の属名と種小名を合成したもので、1871年グレイによって初めて用いられた。1922年には日本鳥学会の『日本鳥類目録』で採用されたこともあり、現在ではこの学名が一般に用いられるようになった。

各地域における状況

日本

画像:Toki kachoufu.jpg
森立之『華鳥譜』(1861年)に描かれているトキ(服部雪斎画)

近代以前

トキは日本では古くから知られていた。奈良時代の文献には「ツキ」「ツク」などの名で現れており、『日本書紀』『万葉集』では漢字で「桃花鳥」と記されている。平安時代に入ると「鴾」や「鵇」の字が当てられるようになり、この頃は「タウ」「ツキ」と呼ばれていた。「トキ」という名前が出てくるのは江戸時代だが、「ツキ」「タウノトリ」などとも呼ばれていたようである。

トキの肉は古くから食用とされ、『本朝食鑑』(1695年)にも美味と記されている。しかし「味はうまいのだが腥(なまぐさ)い」とあり、決して日常的に食されていたのではなく、冷え症の薬や、産後の滋養としてのものであったとされる。「トキ汁」として、豆腐あるいはネギゴボウサトイモと一緒に鍋で煮るなどされていたようである。しかし、生臭い上に、肉に含まれる色素が汁に溶出して赤くなり、また赤い脂が表面に浮くため、灯りのもとでは気味が悪くてとても食べられなかったため「闇夜汁」と呼ばれた。また、羽は須賀利御太刀伊勢神宮神宮式年遷宮のたびに調整する神宝の一つ。柄の装飾としてトキの羽を2枚使用)などの工芸品や、羽箒楊弓の矢羽根、布団カツオ漁の疑似餌などに用いられていた。

なお、トキは田畑を踏み荒らす害鳥であった。仏教の影響で肉食が禁じられ鳥獣類が保護されていた江戸時代においても、あまりにトキが多く困っていたため、お上にトキ駆除の申請を出した地域もあったほどである。

日本産トキの絶滅

かつてトキは日本国内に広く分布したが、肉や羽根を取る目的で乱獲されたため、1925年1926年ごろには絶滅したとされていた<ref>1926年には『新潟県天産誌』に「濫獲の為めダイサギ等と共に其跡を絶てり」と記され、翌1927年には佐渡支庁がトキ発見を懸賞で呼びかけた。</ref>。その後、昭和に入って1930年から32年にかけて佐渡島で目撃例が報告され、1932年5月には加茂村(→両津市、現佐渡市の和木集落で、翌昭和8年(1933年)には新穂村(現佐渡市の新穂山で営巣が確認されたことから、1934年天然記念物に指定された。当時はまだ佐渡島全域に生息しており、生息数は100羽前後と推定されていた。 Template:Wikisource 終戦後は、1950年を最後に隠岐に生息していたトキの消息は途絶え、佐渡での生息数も24羽<ref>新潟県林務課による調査(1952年2月発表)</ref>と激減していたことから、1952年3月に特別天然記念物に指定され、1954年には佐渡で、1956年・57年には石川県で禁猟区が設定された。しかし、禁猟区には指定されたものの生息地周辺での開発などは制限されなかった。また、民間の佐渡朱鷺愛護会や愛好家の手でも小規模な保護活動が行われるようになったが、1958年には11羽(佐渡に6羽、能登に5羽)にまで減少した。1960年、東京で開かれた第12回国際鳥類保護会議において国際保護鳥に指定され、会議を記念してトキをあしらった記念切手も発行された。1971年には、能登半島で捕獲された『能里(ノリ)』が死亡し、佐渡島以外では絶滅した。トキの減少の一因として農薬(による身体の汚染・餌の減少)が取り上げられることが多いが、日本で化学農薬が使用されるようになったのは1950年代以降<ref>『改定・日本の絶滅のおそれのある野生生物 -レッドデータブック- 2 鳥類』でも、トキの減少原因における農薬の影響について「日本に残されたトキにとっては、20世紀後半になってから」としている。</ref>であり、その頃にはすでに20羽ほどにまで個体数を減らしていた。

画像:Ibis KIN.JPG
最後の日本産トキ、キンの剥製

1965年、幼鳥2羽(『カズ』と『フク』)を保護したことから人工飼育が試みられるが翌年、カズが死亡。解剖の結果、体内から有機水銀が大量に検出されたため、安全な餌を供給できる保護センターの建設が進められる。1967年トキ保護センター開設。フクと、1967年に保護された『ヒロ』『フミ』の計3羽がセンターに移された。翌1968年『トキ子』(のちに『キン』と命名される)を保護。1970年には能登の最後の1羽『能里(ノリ)』を保護し、トキ保護センターに移送する。キンがメス、能里がオスだったことや盛んに巣作りを行っていたことから、繁殖に期待が持たれたが、1971年に能里が死亡。人工飼育下のトキはキン1羽となった。(フク、ヒロおよびフミは1968年に死亡)

1968年NHKがトキの営巣地である黒滝山上空にヘリコプターを飛ばし空撮を行ったが、1969年にトキが黒滝山の営巣地を放棄し人里近い両津市へ移動したのは、そのためだという指摘がある<ref>小林照幸『朱鷺の遺言』(中央公論社、1998年、ISBN 9784120027802)には、NHKが1969年2月22日に放送した番組中でトキの空撮映像(秋の映像であったことから、撮影は1968年かそれ以前と考えられる)を使用し、その年から黒滝山の営巣地が放棄されたこと、佐藤春雄ら佐渡トキ愛護会のメンバーは空撮が原因だと考えていたと述べられている。</ref>。番組の放送があるまで空撮があったことに気付いていた者はいなかったが、空撮は通年にわたって行われた(はずだ)と批判する声もある。しかし、番組の責任者によるとヘリコプターを飛ばしたのは一度だけで、それも営巣期を避け、空撮以外の取材も慎重に行ったという<ref>春山陽一『朱鷺物語』朝日新聞社、1985年、ISBN 4022554398</ref>。

1981年1月11日から1月23日にかけて、佐渡島に残された最後の野生のトキ5羽すべてが捕獲され、佐渡トキ保護センターにおいて、人工飼育下に移された。(センターで付けられた足輪の色から『アカ』『シロ』『ミドリ』『キイロ』『アオ』と命名される)その後、繁殖の試みが続けられたが全て失敗し、2003年10月10日朝、最後の日本産トキ(キン)の死亡が確認され、日本産のトキは絶滅した。ただし、生物学的にはまったく同一種である中国産のトキを用いて人工繁殖を行っているため、日本におけるトキの扱いは「絶滅」ではなく「野生絶滅」のままである。

捕獲されたトキの一覧
名前 性別 捕獲年月・場所 備考
カズ メス 1965年7月(新穂村 幼鳥。翌年、腹腔部の大出血により死亡。
フク オス 1965年10月(佐和田町 幼鳥。腹腔部の大出血により1968年死亡。
フミ 1967年6月(新穂村) 捕獲時はひな。腹腔部の大出血により翌1968年死亡。出血の原因は寄生虫と判明。
ヒロ 捕獲時はひな。翌1968年死亡。
キン メス 1968年3月(真野町 捕獲時は幼鳥。「ノリ」「ミドリ」「ホアホア」とのペアリング・交配はいずれも失敗。
日本産の最後のトキとなった。2003年10月10日死亡。
ノリ オス 1970年1月(穴水町 能里。本州最後のトキ。オス。翌年死亡。
メス 1981年1月(両津市
アカ メス 年内に死亡。
シロ メス ミドリとのペアリングに成功するが、産卵時に卵が詰まり1983年死亡。
アオ メス 捕獲時には既に脚を痛めていた。1986年死亡。
ミドリ オス 最後に捕獲された5羽のうち唯一のオス。シロとの交配に失敗。
北京動物園に貸し出されるが「ヤオヤオ」との交配は失敗し帰国。
日本に送られてきたフォンフォンとの交配も失敗。1995年死亡。

中国産トキの人工繁殖

日本にいるトキの個体数の推移
(飼育下のもののほか放鳥されたものも含む)
中国か
ら受入
年間
誕生数
年間
死亡数
中国へ
移送
年末の
総計
1993年 - - - - 2羽
1994年 2羽 - 1羽 - 3羽
1995年 - - 1羽 1羽 1羽
1996年 - - - - 1羽
1997年 - - - - 1羽
1998年 - - - - 1羽
1999年 2羽 1羽 0羽 - 4羽
2000年 1羽 2羽 0羽 - 7羽
2001年 - 13羽 2羽 - 18羽
2002年 - 14羽 5羽 2羽 25羽
2003年 - 19羽 2羽 3羽 39羽
2004年 - 22羽 3羽 - 58羽
2005年 - 22羽 0羽 - 80羽
2006年 - 23羽 6羽 - 97羽
2007年 2羽 18羽 9羽 13羽 95羽
2008年 - 31羽 5羽 - 121羽
2009年 - 46羽 5羽 - (162羽)
  • 2009年6月現在。162羽のうち9羽は試験放鳥。
  • 年間死亡数には孵化後まもなく死亡したものも含む。

1998年中国国家主席であった江沢民が中国産トキ(ただし、前述のように日本産とまったく同一種である)のつがいを日本に贈呈することを表明し、翌1999年1月30日に「友友」(ヨウヨウ、オス)と「洋洋」(ヤンヤン、メス)が日本に到着した。2羽は新潟県新穂村(現佐渡市の佐渡トキ保護センターで飼育されることとなり、人工繁殖が順調に進められている。将来的には日本における野生化を目ざしている。日本産トキの人工繁殖が試みられていた頃には中国産のトキを借りていたこともあったが、贈呈されたのは初めてである。なお、この時点では日本産トキの「キン」が存命であったが、非常に高齢のため繁殖は不可能とみられていた。

同年(1999年5月21日には、友友と洋洋の子(オス)が誕生し「優優」(ユウユウ)と名付けられた。これが日本初・佐渡トキ保護センター初の人工繁殖例である。優優の誕生は、日本中で大きな話題となった。

2000年には優優のペアリングの相手として、さらに中国から「美美」(メイメイ、メス)が贈られた。「友友と洋洋」「優優と美美」、さらにその子孫のペアで人工繁殖が行われている。現在では1年に約20羽のヒナが健康に育っており、また2004年には自然繁殖にも成功した。2008年12月の飼育数は佐渡トキ保護センターが108羽、多摩動物公園が4羽となっている。1999年2000年生まれの個体には漢字2字の、2001年生まれにはひらがな3文字の名前がつけられているが、2002年以降に生まれた個体はすべて番号のみで管理されている。

将来的にはトキを日本に復活させることを目標としており、2007年6月末から「順化ケージ」での野生復帰訓練が始められ、2008年9月25日に放鳥を開始した。 なお、放鳥を1ヵ月後に控えた2008年8月22日には、取材に訪れたテレビ局の人間に驚いた1羽が壁に衝突し、その2週間後に死亡するという事故が起きている<ref>トキ:飼育中の幼鳥1羽、衰弱死 /新潟 - 毎日jp(毎日新聞)</ref>。

また、鳥インフルエンザなどの感染症が発生した場合に一度にすべてが死亡することを避けるため、環境省によりトキの分散飼育が計画され、これに対して新潟県長岡市島根県出雲市石川県が受け入れ先として立候補、それぞれトキ亜科の近隣種を導入して飼育・繁殖を行っている。それに先駆け、2007年12月に4羽(2つがい)が多摩動物公園に移送され非公開の下で分散飼育が開始された。

地元住民の多くはトキの野生復帰に肯定的であるが、反対派や「どちらとも言えない」としている住民も少なからずいる<ref>大竹伸郎、小佐渡東部月布施地区における棚田の実態調査2006年(調査対象はわずか13世帯だが、そのうち4分の1が反対しており、「どちらとも言えない」と回答した者を含めると半数を上回る)</ref>。理由として、高齢化が進む農村においては農作業に必要な除草剤・殺虫剤の使用が制限されること、稲が踏まれて荒らされることなどが挙げられており、これは反対派だけでなく賛成派からも懸念されている<ref>木南莉莉環境保全を軸とした持続可能な里山・棚田維持管理システムの構築 -社会環境分析グループの中間報告-(データは、佐渡地域振興局農林水産部による「トキの野生復帰に関する農家アンケート」)</ref>。

2008年9月25日、佐渡市小佐渡山地の西麓地域にて10羽を試験放鳥、1981年の全鳥捕獲以来、実に27年ぶりに日本の空にトキが舞った。10羽にはそれぞれ個体識別番号が付されており (01, 03, 04, 06, 07, 09, 10, 11, 13, 15)、翼のアニマルマーカー(羽の一部に色をつけたもの)や、脚のカラーリング、金属脚環などで個体を識別できるようになっている<ref>放鳥したトキの識別方法 - 佐渡トキファンクラブ</ref>。うち6羽にはGPS発信器も付けられている。10羽のうち個体識別番号No.15は死亡した。放鳥後、数羽(特にメス)が佐渡島から離れ、新潟県の本土、長野県、山形県、宮城県、富山県などにも飛来している。

2009年9月29日より、メスをやや多めにして<ref>次のトキ放鳥は9月下旬に20羽程度を - YOMIURI ONLINE(読売新聞) 2009年7月4日付</ref>第2次放鳥が開始され、10月3日までに20羽が大空へ飛び立った。1羽ずつを小箱に入れて放鳥した為にパニックを起こし散り散りになった前年の反省を踏まえ、今回は放鳥場所に設置された仮設ケージで約1ヶ月間に20羽を飼育し、放鳥時はケージを開放してトキが自然に出て行くのを待つ「ソフトリリース方式」が採られた。

なお、複数の個体が佐渡島を離れ生息していることについて、佐渡市長髙野宏一郎は「佐渡島に野性のトキを復活させるという当初の目的から外れており、好ましいことではない」と不快感を表明している。

2010年1月8日には、すでに繁殖経験のあるつがいの2羽と、これからつがいとなることの期待される2羽の合計4羽がいしかわ動物園に移送され、多摩動物公園に続いて国内2番目の分散飼育が始まった。飼育している様子を見ることは出来ないが、モニタでの映像のみ一般客に公開される。同年4月25日には最初のヒナが誕生した。

中国

かつては中国においてもトキは非常に広い範囲(北は吉林省、南は海南島<ref name="hainan" />、西は甘粛省まで)に生息していたが、20世紀前半に個体数が激減し、1964年甘粛省康県岸門口での目撃報告を最後に見られなくなったため、中国科学院動物研究所が「絶滅」の最終確認として生息数調査を行ったところ、1981年5月に陝西省洋県の姚家溝と金家河で野生のトキ7羽を発見した。その後数十年かけて人工繁殖を行うとともに生息地の保護を行った結果、中国のトキは2008年8月現在で1100羽<ref>中国通信社:中国、トキ保護の国際交流を強化、過去の分布回復めざす</ref>まで数を増やしている。最初の10年ほどは個体数は横ばい程度であったが、1989年北京動物園のトキ飼養繁殖センターが世界初の人工繁殖に成功し、その後は急速に個体数を回復している。北京動物園が確立したトキの人工繁殖技術は、中国国家発明賞の二等賞を受賞した。トキの繁殖地は洋県西郷県城固県の3県に跨り、行動範囲はさらに南鄭県佛坪県勉県略陽県石泉県漢中市漢台区にも及ぶ。人工飼育の拠点としては北京動物園のほか、陝西トキ救護飼養センター(洋県)と楼観台野生動物救護センター(周至県)がある。

中国での保護活動が成功した背景として、開発の手があまり入っていなかったことや、1990年に37,549ヘクタールにわたる陝西省トキ自然保護区が制定されるなどの政府主体の強力な保護活動が行われ、早期に生息環境が整備されたことが挙げられる。洋県では化学肥料農薬の使用や森林の伐採が禁じられ、また開発も大幅に制限されており、これにより洋県で年間2000万元(約3億円)の減収となっている。しかしトキの生息域内にはひどく貧しい地域が多く、電気も通っていない集落もあるような状態であったため、生息地の保護と同時に現地住民への援助・負担の軽減も幅広く行われ、また地元住民からトキ保護職員を採用するなどの制度も設けられている。このように、政府と住民が協力してトキを保護していく関係を形成することに成功したことも、中国におけるトキの個体数回復の大きな要因である。

2003年に陝西省人民政府は、当時は省級<ref>中国の自然保護区は国家級、省級、県級・市級と、国家あるいは各行政組織でそれぞれ指定・管理されている。</ref>であったトキ自然保護区を国家級自然保護区へ昇格させるよう中央政府国務院に申請し、2005年に「漢中朱鷺国家級自然保護区」として国家級に昇格した。

中国は2003年から国鳥制定に向けて準備を行っており、タンチョウが人気1位、トキが2位となっているが、いずれも学名が「日本の…」といった意味のものであるため、国鳥には相応しくないという意見が出ている。

朝鮮半島

かつては朝鮮半島にも多数のトキが生息したとされ、20世紀初頭には数千羽を超える大群が観察されたこともある。また山階芳麿によると、1936年の時点ではソウル動物園でも飼育されていたが、他の鳥と一緒にされ、来園者からもほとんど注目されていなかったという。捕獲記録は今泉吉貞による1937年咸鏡南道咸興のものが最後で、その後は1965年平安南道師川)、1966年板門店)、1978年(板門店)と3例の観察記録があるのみ。朝鮮半島では絶滅したものと考えられている。

2008年8月25日、中国胡錦濤国家主席韓国にトキを1つがい寄贈することを表明し<ref>レコードチャイナ韓国にトキ1つがい贈呈へ―中国</ref>、同年10月中旬に空路で移送された<ref>中華日報中国のトキ、輸送チャーター機で韓国へ</ref>。これに備えて慶尚南道昌寧郡に牛浦トキ復元センターが建設された。贈られたのは洋洲(オス)と竜亭(メス)で、2009年にはこのつがいの卵から4羽のひなが孵化したが<ref>【写真】牛浦沼地のトキ、こんなに大きくなったよ! - 中央日報 2009年6月25付</ref>、そのうち2羽は既に死亡している<ref>牛浦沼のトキ、突風に驚き死亡 - 中央日報 2009年7月16付</ref>。人工繁殖が順調に進めば、2018年に近くの牛浦沼に放鳥する予定。

朝鮮半島におけるトキの研究例はほとんど知られていない。

ロシア

ロシアではアムール川ウスリー川流域やハンカ湖イマン湖シンカイ湖ウラジオストク周辺などで見られたが、19世紀後半から個体数が減少しはじめ、1949年ハバロフスク1962年・ハンカ湖、1963年ハサ湖の観察記録を最後に姿が見られなくなった。

伝承や作品の中のトキ

秋田県大館市には以下のような話が伝わっている。

諸国を回っていた左甚五郎という男がおり、大館の地に神社を建てることになった。その途中、腹が減ったので地元の農民に握り飯を乞うたものの、「お前のような下手糞な大工にはやれねぇ」と断られてしまったため、怒って杉のくず材で鳥を模り、それに田畑を荒らさせた。その鳥がトキであるが、彼は怒りのために鼻を開けるのを忘れてしまい、そのため鳴き声が鼻声になってしまった。

秋田県では他にもダオ(トキのこと)を用いる慣用句が多数伝えられている。また新潟県に伝わる鳥追歌では、スズメサギと並んでトキが「一番憎き鳥」として挙げられている。

数は多くないが詩歌などに詠われることもあり、かつてはトキが一般的で人間の生活の近くにいた様子が伺える。鳥類学者で、俳人でもあった中西悟堂も、トキを題材とした短歌を詠んでいる。

近年のトキを題材にした作品として、小説では、芥川賞候補・三島賞候補となった阿部和重「ニッポニアニッポン」(2001年)や、篠田節子の「神鳥(イビス)」(1993年)がある。「ニッポニアニッポン」はトキの殺害を計画する少年を描いたもので、「神鳥(イビス)」は獰猛なトキが人間を襲い食らうホラー小説である(なお、実際のトキは決して攻撃的ではなく、人間を恐れすぐ逃げる)。音楽作品では吉松隆の管弦楽曲「朱鷺によせる哀歌」(1980年)や鈴木輝昭女声合唱ピアノのための組曲「朱鷺」(1995年)などが挙げられる。

日本以外では、日本の統治下にあった朝鮮半島において、独立を願って「トキ」と題した童謡が制作された<ref>中央日報 「絶滅のトキ、中国から譲り受けて繁殖させたい」</ref>。

その他

東京で開催された第12回国際鳥類保護会議(トキが国際保護鳥に指定)を記念して、1960年にトキを描いた記念切手が発行された。その後1981年には自然公園50年として、1999年と2009年には新潟県のふるさと切手として、それぞれトキの切手が発行されている。また2000年以降ははがきにもトキが描かれている。

トキが佐渡の自然の中で繁殖・生育するには化学肥料・農薬を減らしトキの餌となるドジョウをはじめとする多様な生物が共存できる水田が欠かせないと考えられる。このことからエコファーマーの認定を受けた生産者によって作られる佐渡産コシヒカリを「朱鷺と暮らす郷」と命名し売り上げの一部をトキ保護募金に寄付する仕組みを作った。

2009年9月29日第2回放鳥記念に開催された「朱鷺と翔ける島づくりフォーラム」において歌手加藤登紀子が「佐渡トキ環境保護大使」に任命される。名前に「とき」がつき、国内産最後のトキ「キン」を観るため以前佐渡を訪れたことがあり、国連環境計画親善大使として環境保全活動に従事していることから白羽の矢が立った。任期は3年間。

関連項目

鳥類
  • クロトキ - 同じトキ亜科の鳥。日本にもごくまれに飛来する
  • コウノトリ - 同じコウノトリ目の鳥。日本では一度野生絶滅したのち、兵庫県豊岡市において人工繁殖・野生復帰が順調に進められている。
名前などがトキに由来するもの

脚注

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参考文献

  • 編・環境省自然環境局野生生物課 『改定・日本の絶滅のおそれのある野生生物 -レッドデータブック- 2 鳥類』自然環境研究センター、2002年、ISBN 9784915959745
  • 小宮輝之・清水洋子 『図書館版 新世界絶滅危機動物図鑑3 鳥類I』学習研究社、2003年、ISBN 9784054017955
  • 丁長青(編著)、蘇雲山・市田則孝(訳)、山岸哲(監修)『トキの研究』新樹社、2007年、ISBN 9784787585660
  • 近辻宏帰(総監修)、山階芳麿中西悟堂、内田康夫、佐藤春雄、村本義雄、中川志郎、竹下信雄、安田健 『トキ 永遠なる飛翔 野生絶滅から生態・人工増殖までのすべて』ニュートンプレス、2002年、ISBN 9784315516531
  • 荒俣宏 『世界大博物図鑑 第4巻 鳥類』平凡社、1987年、ISBN 9784582518245
  • 荒俣宏 『世界大博物図鑑 別巻1 絶滅・希少鳥類』平凡社、1993年、ISBN 9784582518269

外部リンク

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