テイエムオペラオー

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Template:競走馬 テイエムオペラオー(英語表記: TM Opera O、香港表記: 好歌劇1996年 - )は日本競走馬種牡馬。2010年現在獲得賞金の世界記録を保持している。1999年JRA賞最優秀4歳牡馬、2000年年度代表馬およびJRA賞最優秀5歳以上牡馬(部門名はいずれも当時)。顕彰馬。現在はテイエム牧場門別支場の隣の日高軽種馬農業協同組合門別種馬場で種牡馬として供用されている。

目次

デビュー前

当馬の血統は、姉にCBC賞2着のチャンネルフォーがおり、その他の兄弟の勝ちあがり率も高かったものの、父であるオペラハウスが日本でまだ良績を残していなかったサドラーズウェルズ系種牡馬ということもあり、それほど良血と呼べる血統ではなかった。また、馬体もバランスは取れていたものの、これといった特徴があるものではなかったために、牧場にいるときの同馬の評価はそれほど高いものではなかった。しかし、後にオーナーとなる竹園は牧場で同馬を見たときに「光り輝いて見えた」というぐらい惚れ込み、購入する事を決めた。 当時、日本軽種馬協会の種牡馬であるオペラハウスの産駒の牡馬はセリ市に出す義務があったので、竹園は1997年の10月に静内で行われたセリ市で同馬を購入した。後にGIレースを7勝し、18億円余りの賞金を稼ぎ出す事になる同馬だが、このセリ市では竹園に競りかけてくるものは誰も出ず、竹園はスタート価格の1000万円で購入することができた。

戦績

1998年・1999年

デビューから皐月賞制覇、ダービー出走まで

1998年8月15日に京都競馬場で行われた3歳新馬戦(芝1600m)でデビュー、1番人気に推されたが6馬身差の2着に敗れ、その後骨折により休養に入り、休養明けとなる2走目の4歳未勝利戦(ダート1400m)は4着に敗れたものの、通算3走目となる2月6日市場取引馬抽せん馬限定の4歳未勝利戦(ダート1800m)では5馬身差で圧勝し、未勝利を脱した。

その後、芝に戻って500万下条件のゆきやなぎ賞を勝利、GIIIの毎日杯では4馬身差の圧勝を演じ、3連勝で初重賞制覇を果たす。クラシックの第一次登録がなかったため、追加登録料200万円を支払って皐月賞に出走登録することとなった。

皐月賞では、良血馬アドマイヤベガや重賞2連勝中のナリタトップロードなどが出走することもあって単勝11.1倍の5番人気に甘んじたが、最後の直線で強烈な追い込みを見せ見事勝利。初めて追加登録料を支払ってクラシックに出走し勝利を収めた馬となった。また、鞍上の和田竜二騎手や生産者の杵臼牧場にとっても、初のGI制覇となった。なお、ナリタトップロードは3着、アドマイヤベガは体調不良が祟って6着であった。

2冠を目指して出走した東京優駿(日本ダービー)では、ナリタトップロードとアドマイヤベガに僅差で続く3番人気に推され、3強の一角とされた。レースでは早めに抜け出したところをナリタトップロードに競り負け、さらに後方から追い込んできた武豊騎乗のアドマイヤベガに二頭まとめて差されて3着に敗れた。なお、この当時21歳の和田には史上最年少でのダービー制覇がかかっていた。

勝ちきれないレース

夏場を休養にあてて臨んだ秋初戦は菊花賞トライアルではなく古馬が相手となるGIIの京都大賞典であった。メジロブライトと接戦こそ演じたものの、1番人気ながら後方待機のまま凡走したスペシャルウィークを警戒しすぎたことが災いし、ツルマルツヨシの3着に終わった。続く菊花賞では2番人気に推されたが、前走と同様に、凡走した1番人気のアドマイヤベガを警戒しすぎたことにより仕掛けが遅れ、直線で後方から猛追するもナリタトップロードを交わしきれずに2着に敗れた。その後はステイヤーズステークスへ駒を進め単勝1.1倍の圧倒的1番人気に支持されるもペインテドブラックに強襲されクビ差の2着に敗れてしまう。

この後、強行軍が続き、一旦は回避を表明した有馬記念にも出走。この年の有馬記念には古馬中長距離路線の2強といわれたグランプリ3連覇を目指すグラスワンダーと京都大賞典後に復調してGI2連勝中のスペシャルウィークが出走しており、テイエムオペラオー自身がステイヤーズステークスから中2週での出走であったこともあり、5番人気という皐月賞以来の低評価を受けた。レースではツルマルツヨシの奇襲戦法に巻き込まれながらも最後の直線で一旦は先頭に盛り返し、グラスワンダーとスペシャルウィークの2強対決という下馬評を覆してタイム差なしの3着に入線。この年のJRA賞最優秀4歳牡馬にはテイエムオペラオーが選出された。

2000年

春の重賞連勝

2000年は、前年の有馬記念で本格化の兆しを見せていたテイエムオペラオーにとって飛躍の年となる。

緒戦の京都記念で久々の勝利を得ると、それを皮切りに阪神大賞典天皇賞(春)を連勝。一躍古馬戦線の主役に踊り出る。なお、阪神大賞典と天皇賞で2着のラスカルスズカと3着のナリタトップロードは菊花賞でも接戦を繰り広げたライバルであった(アドマイヤベガは菊花賞後に脚部不安のため休養に入っており、その後引退)。杉本清も「やっぱり3頭の争いになった! もう言葉は要らないか!(中略)3強の頂点は俺だ! 高らかに歌うは『盾の歌』! テイエムオペラオーです!」と実況した。

同期との勝負付けを済ました形で宝塚記念へと駒を進め、グラスワンダーとの二強対決が注目されたが、グラスワンダーはレース中に骨折して6着に敗れ、テイエムオペラオーはそのグラスワンダーを警戒して仕掛けが遅れるも最内枠発走から大外を捲り切るというレースぶりで優勝した。このレースでグラスワンダーに代わり登場したライバルが同世代の外国産馬メイショウドトウである。メイショウドトウは当時はまだ金鯱賞を制したばかりの伏兵であったが、クビ差の2着に健闘している。

古馬中長距離GIにすべて勝利

秋は京都大賞典から復帰。極端なスローペースで上がりの競馬になるも、59kgを背負いながら鞭を使わず3F33.3の豪脚を繰り出し懸命に食い下がるナリタトップロード以下を完封、天皇賞(秋)へ駒を進めた。

ここでは外枠の不利もさることながら、同レースは1番人気が12連敗中というジンクスがあり、有力馬が凡走していただけに、「何が起こるかわからないのが秋の天皇賞」という雰囲気が漂っていた<ref>コラム最強ヒストリーより 現に、メジロマックイーンの1位入線・18位降着や、サイレンススズカの競走中止・予後不良などが起きており、「魔物が棲む」とまで言われていた</ref>。また、他にも当時の和田竜二騎手が東京競馬場での勝利経験が無かったことなど不安材料などもあった。そのため、春以降2倍を切っていた単勝オッズが2.4倍となった。しかし、レースではスタート後の1コーナーで内に切れ込み加害馬となりながらも直線鮮やかに抜け出し勝利した。これにより、12年ぶりの秋の天皇賞1番人気の勝利であり、史上初の中央4競馬場GI制覇達成した。

画像:Fantastic Light 20001126R1.jpg
2000年 ジャパンカップ

次走ジャパンカップでも1番人気に推されたが、単勝オッズは打って変って当時の支持率レコードとなる1.5倍。1つ下の世代を代表する4頭(2冠馬エアシャカール、日本ダービー馬アグネスフライト、NHKマイルカップ馬イーグルカフェ、オークス馬シルクプリマドンナ)<ref>イーグルカフェのみ前走の天皇賞にて競走している。それ以外の3頭とは初競走。なおこの4頭は13~16着に大敗し、最下位争いを演じる羽目になったため、最弱クラシック世代と酷評されることがある</ref>との対決も注目された。スローペースで進むレース展開で周囲を塞がれ、瞬発力勝負の不利な展開に置かれるも、最後にはファンタスティックライトを寄せ付けず、メイショウドトウの猛追も退けて勝利し、デットーリ騎手が入線後ハイタッチを求めて歩み寄るという珍しいシーンが見られた。

続く有馬記念では、他馬のマークに遭い、ホットシークレットが出遅れたこともあって進路を塞がれてしまい、直線に入っても後方11番手に置かれたままであった。フジテレビで実況をしていた堺アナウンサーも「テイエムは来ないのか!?」と実況するほど絶望的な状況だったが、坂を下り終えた辺りで馬群がばらけると、馬群の中団後方からそれを割くように末脚を繰り出し、ゴール前でメイショウドトウをハナ差捉えて勝利を辛くも収めた。なお、この苦戦を間近で観戦していた竹園オーナーは「馬も騎手も、涙が出るくらい可哀想でした」とコメントしている。

なお、有馬記念当日の朝に、他馬が暴れているのを見て興奮したテイエムオペラオーが顔面を壁に強打してしまい、顔面が腫れ鼻血を出していたため、岩元師は出走させるか否かの難しい判断を迫られたという<ref>日本中央競馬会『優駿』2009年7月号 126頁。</ref>。

これにより重賞8連勝、GI5連勝を達成し、年間無敗で2000年を終えた。天皇賞に以前の優勝馬が出走できる制度(勝ち抜け制度の廃止)になって以降、古馬中長距離路線のGI競走5戦(天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)を完全制覇したのはテイエムオペラオーのみである。また、この年からスタートした秋季GI3競走(天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)を同一年で完全制覇した馬への特別報奨金1億円(当時。現在は内国産馬2億円、外国産馬1億円)も獲得し、JRA賞ではテンポイントシンボリルドルフ以来3頭目となる満票で年度代表馬及び最優秀4歳以上牡馬に選ばれた。

2001年

天皇賞連覇とライバルの雪辱

通例なら十分種牡馬入りする可能性の高い好成績だが、翌2001年も現役で走ることになった。各方面からは、「国内には敵う馬がいなくなったのだから、テイエムオペラオーの海外遠征を見てみたい」という声もあったが、陣営は国内専念のローテーションを選択した。

主戦の和田が1月に落馬し鎖骨を骨折した為産経大阪杯での始動となった。だが、レース前の追い切りは悪く、不安材料はあったが、ファンはそれでも勝てると単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持した。しかし、後藤浩輝騎手騎乗のアドマイヤボスの執拗なマークに遭って直線では伸びを欠きトーホウドリームの4着に敗れ、昨年からの連勝がいきなりストップしてしまう。しかし、次走の天皇賞(春)では4コーナーから鞭が入りながらも勝利を収め、メジロマックイーン以来となる春の天皇賞連覇を達成した。勝ち抜け制度撤廃後、天皇賞を春→秋→春と3連勝したのはテイエムオペラオーのみである。また、GI7勝はシンボリルドルフ以来であった。さらに、次走ではそれを超えるのGI8勝にも期待がかかることとなった。

そのGI8勝の新記録が懸かった宝塚記念では単勝支持率1.5倍と圧倒的な人気を集めた。続く2番人気はメイショウドトウであった。レースでは、今まで僅差で惜敗してきたメイショウドトウが思い切って早めに先頭に立ち押し切る作戦をとる。一方のテイエムオペラオーは4コーナーで馬群に包まれ一瞬立ち上がってしまうという不利があり、直線で外からメイショウドトウを猛追するも2着。ついにGI競走でも敗退し連勝は6でストップする。一方のメイショウドトウは悲願であったGI制覇を成し遂げた。このレースでの岡部、昨年の有馬記念の武など、当時のトップジョッキーからの執拗なマークは一部で様々な憶測を呼んだ。

秋の不振と引退

秋シーズン初戦の京都大賞典は3歳時より鎬を削ったナリタトップロードとの対決に観衆は沸いた。レースでは後藤浩輝騎手騎乗のステイゴールドが最後の直線走路で内から外に斜行してテイエムオペラオーに馬体をぶつけ、これに挟まれる形となったナリタトップロードが落馬・競走中止という事故に発展する。これにより1位入着のステイゴールドは失格となり、繰り上げでテイエムオペラオーが1着となった。<ref>後藤は前述の産経大阪杯でアドマイヤボスに騎乗していたこともあり、結果的に、2度もテイエムオペラオーに妨害を行ったことから、竹園の逆鱗に触れたとされる。</ref>レース後、テイエムオペラオーに騎乗した和田は、今までならば完勝していたであろうメンバーに手こずったことについて、年齢のせいか反応がズブくなっているようだと語った。これは、敗戦した大阪杯以来、勝った天皇賞・春も含めズブくなってきているのは傍目にも見受けられた。

天皇賞4連覇の偉業に挑んだ天皇賞(秋)では前走の経験を活かして早めにメイショウドトウを捉えたものの、大外から伸びてきた1つ年下の伏兵アグネスデジタル<ref>アグネスデジタルは外国産馬であり、当時2頭に限られた天皇賞の外国産馬出走枠によりこのレースに出走(もう1頭はメイショウドトウ)したことにより、3歳の人気馬クロフネが除外となっていたため、不条理な非難の声を浴びながらも出走している。</ref>に直線で差し切られて2着。また本レースにて1年半にも及ぶテイエムオペラオー世代による中距離~長距離GIの上位独占にも終止符が打たれた。

前走2着に敗れながらも続くジャパンカップでも断然の1番人気に支持された。レースでは、直線入口で逃げ粘るウイズアンティシペイションに馬なりのまま並びかけると最後の200mでは早めに抜け出したが、ゴール直前でこの年のダービー馬ジャングルポケットに差し切られて2着に敗れた。前走同様に早く抜け出し過ぎたために目標にされ交わされるという内容で、上位2頭が叩き合いの末に後続馬を突き放してはいたものの、これまで紙一重の僅差を見切って勝ち続けてきたテイエムオペラオーの競馬としては例外的な負け方であった。このレースでは常に着順が一つ違いであったメイショウドトウは5着に敗れている。

引退レースとなった有馬記念でも1番人気に支持され、初めてメイショウドトウと同じ枠に入った。しかしレースでは過去最低着順となる5着に惨敗し、4着に終わったメイショウドトウにも及ばなかった。このレースを最後に競走生活を終えた。シーズン開始当初、すでにGI8勝に王手をかけておりシンボリルドルフ超えも確実視されていた同馬だったが、その快挙が成し遂げられることはなかった。

2002年1月13日に、京都競馬場でライバル・メイショウドトウと合同の引退式が行なわれ、種牡馬となる。その後、2004年4月26日、JRA顕彰馬に選出され、殿堂入りが決まり、また、同年6月にはJRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」として「テイエムオペラオーメモリアル」が宝塚記念施行日の阪神競馬場の準メイン競走として施行された。

競走成績

年月日競馬場競走名オッズ
(人気)
着順距離(馬場)タイム
上り3F
騎手1着(2着)馬
1998. 8. 15 京都 3歳新馬 1.5(1人) 2着 芝1600m(良) 1:36.7(36.9) 和田竜二 クラシックステージ
1999. 1. 16 京都 4歳未勝利 3.9(2人) 4着 ダ1400m(良) 1:28.0(37.2) 和田竜二 ゼンノホーインボー
2. 6 京都 4歳未勝利 1.8(1人) 1着 ダ1800m(良) 1:55.6(38.3) 和田竜二 (ヒミノコマンダー)
2. 27 阪神 ゆきやなぎ賞 4.8(2人) 1着 芝2000m(稍) 2:05.3(36.6) 和田竜二 (アンクルスルー)
3. 28 阪神 毎日杯 GIII 7.3(3人) 1着 芝2000m(良) 2:04.1(36.7) 和田竜二 (タガノブライアン)
4. 18 中山 皐月賞 GI 11.1(5人) 1着 芝2000m(良) 2:00.7(35.2) 和田竜二 オースミブライト
6. 6 東京 東京優駿 GI 4.2(3人) 3着 芝2400m(良) 2:25.6(35.3) 和田竜二 アドマイヤベガ
10. 10 京都 京都大賞典 GII 5.5(3人) 3着 芝2400m(良) 2:24.4(34.3) 和田竜二 ツルマルツヨシ
11. 7 京都 菊花賞 GI 3.5(2人) 2着 芝3000m(良) 3:07.7(33.8) 和田竜二 ナリタトップロード
12. 4 中山 ステイヤーズS GII 1.1(1人) 2着 芝3600m(良) 3:46.2(35.8) 和田竜二 ペインテドブラック
12. 26 中山 有馬記念 GI 12.0(5人) 3着 芝2500m(良) 2:37.2(34.9) 和田竜二 グラスワンダー
2000. 2. 20 京都 京都記念 GII 1.9(1人) 1着 芝2200m(良) 2:13.8(34.4) 和田竜二 (ナリタトップロード)
3. 19 阪神 阪神大賞典 GII 2.0(1人) 1着 芝3000m(稍) 3:09.4(35.3) 和田竜二 ラスカルスズカ
4. 30 京都 天皇賞(春) GI 1.7(1人) 1着 芝3200m(良) 3:17.6(34.4) 和田竜二 (ラスカルスズカ)
6. 25 阪神 宝塚記念 GI 1.9(1人) 1着 芝2200m(良) 2:13.8(35.7) 和田竜二 メイショウドトウ
10. 8 京都 京都大賞典 GII 1.8(1人) 1着 芝2400m(良) 2:26.0(33.3) 和田竜二 (ナリタトップロード)
10. 29 東京 天皇賞(秋) GI 2.4(1人) 1着 芝2000m(重) 1:59.9(35.3) 和田竜二 (メイショウドトウ)
11. 26 東京 ジャパンC GI 1.5(1人) 1着 芝2400m(良) 2:26.1(35.2) 和田竜二 (メイショウドトウ)
12. 24 中山 有馬記念 GI 1.7(1人) 1着 芝2500m(良) 2:34.1(36.4) 和田竜二 (メイショウドトウ)
2001. 4. 1 阪神 大阪杯 GII 1.3(1人) 4着 芝2000m(良) 1:58.7(35.6) 和田竜二 トーホウドリーム
4. 29 京都 天皇賞(春) GI 2.0(1人) 1着 芝3200m(良) 3:16.2(35.5) 和田竜二 (メイショウドトウ)
6. 24 阪神 宝塚記念 GI 1.5(1人) 2着 芝2200m(良) 2:11.9(35.0) 和田竜二 メイショウドトウ
10. 7 京都 京都大賞典 GII 1.4(1人) 1着 芝2400m(良) 2:25.0(34.1) 和田竜二 スエヒロコマンダー
10. 28 東京 天皇賞(秋) GI 2.1(1人) 2着 芝2000m(重) 2:02.2(35.8) 和田竜二 アグネスデジタル
11. 25 東京 ジャパンC GI 2.8(1人) 2着 芝2400m(良) 2:23.8(35.1) 和田竜二 ジャングルポケット
12. 23 中山 有馬記念 GI 1.8(1人) 5着 芝2500m(良) 2:33.3(34.3) 和田竜二 マンハッタンカフェ

記録

  • 歴代最高賞金獲得: 18億3518万9000円(世界最高収得賞金額)
  • GI最多連対: 11連対
  • GI最多連勝: 6連勝
  • GI最多連続連対: 9連続連対
  • GI年間最多勝利: 5勝
  • 重賞最多連勝: 8連勝(タイ記録)
  • 重賞年間最多勝利: 8勝
  • 天皇賞最多勝: 3勝

評価・特徴

身体面に関する特徴・評価

JRAの研究施設である競走馬総合研究所ではテイエムオペラオーを対象とした研究結果が発表された<ref>テイエムオペラオーの強さの秘密JRA競走馬総合研究所</ref>。この研究で、テイエムオペラオーを平均的なサラブレッドや3歳GIホースと比較した結果、非常に心拍数が低く、大きく強い心臓を持っていたことが分かった。研究所ではこのデータを基に「テイエムオペラオーは傑出した持久力を持った競走馬であることが科学的に証明された」とコメントしている。

レーススタイルに関する特徴・評価

近年の高速馬場化やレース体系の短距離化の進む日本競馬界においてはあまり好まれない欧州型の血統である。一流馬としての高い瞬発力やスピードも兼ね備えていたものの、豊富なスタミナと長く使える脚、パワーによって実現される、競り合った時の勝負強さや道悪に対する強さが身上である。また、先行差しの戦法を用いるなど比較的幅の広い位置取り選択してレースをしていた為、テイエムオペラオーの脚質を自在と判断する者も多く、器用な馬でもあった。

野平祐二は、テイエムオペラオーの特徴は故障を心配するほどに「いつも真面目に走っている」点にあるとし、「あれだけレースに行ってしっかり走るという馬はほとんど出てこない」、「リボーミルリーフと比較しても負けない」と評した<ref>『臨時増刊号 Gallop2000』(産業経済新聞社)p10-17</ref>。

成績面の特徴

  • クラシック三冠は達成しなかったものの、古馬の芝中長距離路線(天皇賞春・宝塚記念・天皇賞秋・ジャパンカップ・有馬記念)を年間無敗で完全制覇しているのは、JRA史上テイエムオペラオーのただ一頭のみである。
  • 中央競馬のGIレースを7勝しており、これはシンボリルドルフ、ディープインパクトウオッカらと並ぶ最多勝利記録である<ref>交流重賞のGIレースを含めるとヴァーミリアンがこれらを上回る9勝を挙げている。</ref>。
  • 掲示板を外したことが一度もなく、GIレースで複勝圏を外したのは2001年の有馬記念のみであり、古馬になってから(2000年、2001年)のGIレースで連対を外したのも2001年の有馬記念のみで、長期間に渡り安定した成績を収めた。
  • 2回先着を許したのは、同期のライバルであるナリタトップロードとメイショウドトウのみである。なお、3回以上先着した馬は存在しない。
  • ジャパンカップで2年連続連対したのは、テイエムオペラオーとエアグルーヴのみである(エアグルーヴは2着2回)。
  • 中央競馬における主場4場(東京競馬場中山競馬場京都競馬場阪神競馬場)全てでのGI勝利(グレード制施行後では史上唯一、施行以前の宝塚記念をGIとして考えても他に達成したのはシンザンのみ。ディープインパクトは2006年の宝塚記念に優勝したが、これは阪神競馬場の改装による京都競馬場での代替開催である)。

人気

河村清明はテイエムオペラオーが2000年に8戦8勝の成績を挙げた際、『本来であれば、『どこまで勝ち続けるのか』といった期待がファンに醸成されるはずなのに、そういった気配は感じられ(なかった)」と分析し、「テイエムオペラオーには人気がなかった」と評している。その理由について河村は、メイショウドトウ、ナリタトップロードらと繰り広げた「毎度毎度お決まりのような」「激しさの足りない」「どれもが似たような印象」のレース内容に「ファンはため息さえ禁じ得ない様子だった」とし、そのためテイエムオペラオーについて「本当に強いのかと、ファンは信じることができなかったのだ」と述べている<ref>河村清明『JRAディープ・インサイド』(イースト・プレス) p.326-327</ref>。吉田均も、テイエムオペラオーが勝ったレースの2着馬が「つねにメイショウドトウ、ほかでもナリタトップロードとかラスカルスズカしかいない」ことでテイエムオペラオーが地味な、スター性のない馬になってしまっていると述べている<ref>『臨時増刊号 Gallop2000』(産業経済新聞社)p12</ref>。野平祐二はテイエムオペラオーがスターホースの割に地味で派手さがないのは毛色のせいだと述べている<ref>『臨時増刊号 Gallop2000』(産業経済新聞社)p12</ref>。

種牡馬成績

種牡馬となる際に、シンジケートを組んで社台スタリオンステーション入りする交渉が行われたが、不調に終わり「生産者に公平に血を提供したい」という竹園の希望により竹園が個人所有する形で種牡馬入りした。2002年メイショウドトウと同じくイーストスタッドに繋養され、翌年からは日高軽種馬農業協同組合に繋養されている。

愛馬を種牡馬として成功させようという竹園の熱い情熱で、テイエムオーシャンの交配相手を2008年まですべて当馬としていたなど、竹園が所有する繁殖牝馬には積極的に種付けさせている。しかし、日本では成功例が少ないサドラーズウェルズ系の種牡馬ということもあり、繁殖牝馬の質・頭数共にあまり恵まれていない状況である。

産駒は2005年からデビューしたが、デビュー直後からしばらくは勝率や勝ち上がり率が非常に悪く、苦戦を強いられた。古馬になる産駒が増えてからは成績が上向き、2007年メイショウトッパー(半兄にメイショウボーラー)が準オープンの北九州短距離ステークスを制して初の中央競馬古馬オープン馬となった。一方で、父のオペラハウスと同様に障害戦で活躍馬を出しており、竹園の自家生産馬であるテイエムトッパズレ京都ジャンプステークスを制して中央競馬での初重賞制覇を達成、テイエムエース東京ハイジャンプを勝った。平地のオープンクラスのレースは、ダイナミックグロウが阿蘇ステークスで初勝利を挙げた。地方競馬でも、バグパイプウィンドが金盃を制するなど、活躍をみせている。

産駒の特徴としては仕上がりに時間がかかり、4歳以降に本格化する傾向が挙げられる。また、テイエムオペラオー自身は芝の中長距離で活躍した馬であるが、産駒は、短距離、ダート、障害といった父とは違う条件を得意とする馬も多い。特に障害戦ではテイエムエーステイエムトッパズレなど本馬の父オペラハウス同様活躍馬を送り出している。

なお、オーナーである竹園が鹿児島県垂水市で牧場(テイエム牧場)を経営していることから産駒には九州産馬も多く(種付けは北海道で行っている)、初めて中央競馬の重賞を制したテイエムトッパズレも九州産馬であった。また、テイエムトッパズレが勝利した九州産馬限定新馬戦では、2着と3着にもテイエムオペラオー産駒が入線し、話題となった。

主な産駒

エピソード

  • 北海道市場の1997年の10月市場で1000万円で売買されたが、最終的には実にこの183倍以上もの賞金を稼ぐことになる。
  • 一流馬にはリーディング上位の騎手を騎乗させるという傾向の強い現代競馬だが、テイエムオペラオーに出会うまでGIを勝ったことのない岩元厩舎に所属していた当時若手騎手だった和田が、引退までの全レースの手綱を取り続けた。菊花賞の敗北に激怒した竹園正繼オーナーが岩元調教師に鞍上変更を迫った時でも、岩元師は和田を降ろすことをせず、「どうしてもと言うなら、転厩していただくしかありません」と説得した。テイエムオペラオーの引退式で和田は「オペラオーにはたくさんの物を貰ったが、あの馬には何も返せなかった。これからは一流の騎手になって、オペラオーに認められるようになりたい」と話し、更なる上昇を愛馬に誓った。
  • ジンクスに強い馬であった。2000年天皇賞(秋)での勝利によって、1988年オグリキャップ以来続いていた同レースでの1番人気の連敗記録を12で止め、また、2000年ジャパンカップでの勝利によって、1986年サクラユタカオー以来続いていた同レースでの1番人気の連敗記録を14で止めた。岡部幸雄は「本当に強い馬にはジンクスなんて関係ない。」とレース後に語った。
  • 2000年の宝塚記念から2001年の宝塚記念まで、芝中長距離路線のGIレースでテイエムオペラオーとメイショウドトウのワンツーが6度連続で続き、2001年の天皇賞(秋)と有馬記念でもテイエムオペラオーとメイショウドトウが隣同士の着順に入線している。この中では、2001年の宝塚記念と有馬記念でメイショウドトウが先着している。
  • テイエムオペラオーと同世代(99年クラシック世代)の馬たちで2000年と2001年の天皇賞(春)で2年連続ワンツースリーを決めた。
  • 誕生日は同じくGIを7勝したシンボリルドルフと同日である。

血統

血統背景

父はオペラハウス、母父はブラッシンググルーム(自身は短距離馬であるものの、産駒にはスタミナタイプの馬が多い。)と、一見スタミナ色の濃い血統に見える。しかし、母方の近親にはコジーンがいる上、母ワンスウェドの産駒には距離適性の幅が狭い短距離型が多く、姉のチャンネルフォー(1992年CBC賞2着他)は4勝全てを1400m以下で挙げている。そのような背景を持つワンスウェドにオペラハウスを交配する事により、スタミナ補強を図った血統である。

血統表

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主な近親

脚注

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関連リンク

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個人用ツール