ダリオ・アルジェント

出典: Wikipedio


thumb|180px|2007年、ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭より ダリオ・アルジェントDario Argento, 1940年9月7日 - )は、数多くのホラー映画を手がけている映画監督である。イタリアローマ生まれ。

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略歴

祖父は映画配給業者、父は映画プロデューサー、母親はカメラマンという環境で育ち、幼少時から映画に親しんできたため、映画に関わる生業に就くのは必然だったともいえる。 ダリオは、まず映画評論家からスタートした。映画評を新聞や雑誌に寄稿、ローマの日刊紙「パエーゼ・セーラ」の映画批評を担当した。

その後、1967年ベルナルド・ベルトルッチと共同でセルジオ・レオーネ監督の『ウエスタン』の原案を書く。それを皮切りに、マカロニ・ウェスタン、アクション作品など、様々なジャンルの脚本をこなし、娯楽映画の脚本家として名をなすことになる。脚本家の時代を経て、1969年にサイコスリラー『歓びの毒牙』で映画監督デビューを飾り、興行的成功をおさめる。以来、一貫して同様のジャンルの作品を監督し、当時はイタリアのヒッチコックとも呼ばれた。

アルジェントとしては珍しい歴史ドラマ『ビッグ・ファイブ・デイ』を撮ったあと、1975年の『サスペリア2』でシッチェス国際恐怖映画祭のグランプリを受賞。1977年の『サスペリア』で超自然的なテーマの作品にも進出、続く『インフェルノ』の2作で独自の世界を構築する。「サスペリア」の成功を経て、プロデューサーとしての活動も開始。ジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』の制作費を集め、ヨーロッパでの配給権を得た。

『シャドー』では本格的な推理劇、ヒロインにジェニファー・コネリーを起用した『フェノミナ』では華麗なホラー、『オペラ座/血の喝采』ではオペラを題材に、重厚な映像を創造した。ジョージ・A・ロメロと再び組んだ『マスターズ・オブ・ホラー/悪夢の狂宴』ではエドガー・アラン・ポーの『黒猫』を大胆に脚色、アメリカで撮った『トラウマ/鮮血の叫び』では娘のアーシア・アルジェントをヒロインに起用した。引き続きアーシア主演の『スタンダール・シンドローム』と『オペラ座の怪人』でも新しい分野にチャレンジ。『スリープレス』では初期の作風である推理ものへの回帰を試みている。

作品としては推理劇形式のものが多いが、細かいトリックや筋立てより鮮やかな色彩、ショック描写に重きをおく。日本で彼の名を一躍高めた『サスペリア』は同年代の『エクソシスト』や『オーメン』ら70年代オカルトホラーのなかでも独特のジャンルを築き根強いファンが多い。

またホラー映画としては、演じる女優を恐ろしい中にも美しく描写することでも定評がある。

1994年、第2回モントリオール国際ファンタスティック映画祭で生涯業績賞を受賞。1999年のシッチェス・カタロニア国際映画祭では名誉賞を受けている。

監督作品リスト

thumb|right|2006年、於トリノ映画祭

製作作品リスト

参考文献

矢澤利弘『ダリオ・アルジェント 恐怖の幾何学』(ABC出版、2007年3月、ISBN 978-4-900387-98-0

外部リンク

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