セントラル・リーグ
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プライバシー・ポリシー Wikipedioについて 免責事項 Template:スポーツリーグ セントラル・リーグ(CENTRAL LEAGUE)は、日本のプロ野球リーグのひとつ。
正式名称は日本プロ野球組織 セントラル・リーグ運営部。セ・リーグと呼称される。
目次 |
沿革
1949年、新チーム加盟の是非をめぐり日本野球連盟が分裂し、加盟反対派の読売ジャイアンツ(巨人)、中日ドラゴンズ、松竹ロビンスを中心に、大阪タイガース(現・阪神タイガース)、新球団の大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)、広島カープ(現・広島東洋カープ)、西日本パイレーツを加えた計7球団でセントラル野球連盟が発足。袂を別った賛成派は、3つの新チームと共に太平洋野球連盟ことパシフィック・リーグ(パ・リーグ)を結成した。
翌1950年1月には国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)も加盟し、8球団に。1951年シーズン開始直前、西日本パイレーツがパ・リーグの西鉄クリッパース(現・埼玉西武ライオンズ)と合併し脱退。さらに、1952年シーズン終了後には大洋ホエールズが松竹ロビンスを吸収(大洋松竹ロビンス)し、6球団に。以降、親会社ならびにチーム名の変更こそあるものの、チーム数そのものの増減はない。
2009年1月1日の改定日本プロフェッショナル野球協約発効に伴い、連盟事務局と直下の審判部・記録部はコミッショナー事務局、パシフィック・リーグ事務局と統合され、コミッショナー直属の『セントラル・リーグ運営部』『審判部』『記録部』となり、リーグ会長職は廃止された<ref>セ、パ両事務局が廃局 サンケイスポーツ 2008年12月27日閲覧</ref>。
パ・リーグと違い、ウェブサイトは運営部のみで、リーグのそれは存在しない。
加盟球団
球団名 | 優勝回数 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 |
---|---|---|---|---|---|---|
読売ジャイアンツ | 33 | 7959 | 4452 | 3259 | 248 | .577 |
中日ドラゴンズ | 7 | 7961 | 4069 | 3637 | 255 | .528 |
阪神タイガース | 5 | 7971 | 3897 | 3834 | 240 | .504 |
広島東洋カープ | 6 | 7958 | 3649 | 4004 | 305 | .477 |
東京ヤクルトスワローズ | 6 | 7958 | 3593 | 4107 | 258 | .467 |
横浜ベイスターズ | 2 | 7959 | 3452 | 4256 | 251 | .448 |
1950年から2009年まで。2009年現在の加盟球団のみ。
加盟球団とその変遷
(注)太字は現在の加盟球団。1リーグ時代の名称は省略
現存する加盟球団
- 読売ジャイアンツ(1947-)
- 大阪タイガース(1947-60)-阪神タイガース(1961-)
- 中日ドラゴンズ(1947-50)-名古屋ドラゴンズ(1951-53)-中日ドラゴンズ(1954-)
- 大洋ホエールズ(1950-52)-大洋松竹ロビンス(1953-54)-大洋ホエールズ(1955-77)-横浜大洋ホエールズ(1978-92)-横浜ベイスターズ(1993-)
- 広島カープ(1950-67)-広島東洋カープ(1968-)
- 国鉄スワローズ(1950-1965途中)-サンケイスワローズ(1965途中-1965閉幕)-サンケイアトムズ(1966-68)-アトムズ(1969)-ヤクルトアトムズ(1970-73)-ヤクルトスワローズ(1974-2005)-東京ヤクルトスワローズ(2006-)
過去に存在した加盟球団
- 西日本パイレーツ(1950)→西鉄ライオンズ(西鉄クリッパースと合併しパシフィック・リーグへ移動脱退)
- 松竹ロビンス(1950-52)→大洋松竹ロビンス(大洋ホエールズと合併)
球団名 | 優勝回数 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 |
---|---|---|---|---|---|---|
松竹ロビンス※1 | 1 | 372 | 185 | 176 | 11 | .512 |
西日本パイレーツ※2 | 0 | 136 | 50 | 83 | 3 | .376 |
※1 1950年から1952年まで
※2 1950年限り
試合方式
総当り回数
- 1950-1952年 20回
- 1953-1962年 26回 130試合
- 1963-1965年 28回 140試合
- 1966-1996年 26回 130試合
- 1997-2000年 27回(*1) 135試合
- 2001-2004年 28回 140試合
- 2005-2006年 22回 + 対パ・リーグ6チーム6回(交流試合) 146試合
- 2007年- 24回 + 対パ・リーグ6チーム4回(交流試合) 144試合
- ※1952年のフランチャイズ(ホームタウン)制度が採用後はホーム・アンド・アウェー方式で、原則それぞれ半分ずつの試合を行う。
- (*1)1997年-2000年は総当りが奇数回となるため、対戦カードのどちらか一方がホームゲームを1試合多い14試合を行う形だった。
上記が規定上の対戦回数であるが、諸事情により公式戦を一部中止した年度がある。
- 1950年 日本シリーズの日程関係のため一部試合を中止。
- 1951年 広島カープが存続問題から第一節(3月29日-4月6日)の参加を見送り。この期間の対広島戦中止。また、同年10月20日より予定されていた日米野球の日程関係のため同月9日でペナントレースを打ち切り。
- 1953年 10月17日より開催のアメリカメジャーリーグ遠征チームとの交流試合のため、一部の試合を残してペナントレースを打ち切り。
- 2004年 プロ野球ストライキの関係で一部の試合を中止。
- 引き分け再試合制度実施年:1962年、66-68年、90-2000年
- 引き分けを0.5勝扱いで勝率計算した年:1956-60年
回数・時間制限
年 | 内容 |
---|---|
1950、1951年 | シングルの場合は回数・時間制限なし。(デーゲームの場合日没まで続けた) ダブルヘッダー(以下ダブルと略す)の第1試合は延長戦は原則として12回。但しナイトゲーム(薄暮開催含む)は9回まで |
1952-1954年5月24日まで | シングル、ダブルとも原則として勝敗が決するまで時間・回数無制限だが、ナイトゲームは深夜24時を過ぎて次のイニングに入らない |
1954年5月25日~同年の閉幕まで | デーゲームで開催のシングルの場合は時間・回数制限なし(日没まで。以後1973年まで同じ) ダブル第1試合は延長12回まで(回数制限は1962年まで同じ)、ナイトゲームは22:30まで |
1955-1958年 | ナイトゲームは22:15まで |
1959-1962年 | ナイトゲームは22:30まで(時間制限は1963年も同じ) |
1963年 | ダブル第1試合は延長13回まで |
1964、1965年 | ダブル第1試合は延長12回まで ナイトゲームは22:15まで(時間制限は1967年まで同じ) |
1966、1967年 | ダブル第1試合は延長11回まで |
1968-1970年 | ダブル第1試合は延長12回まで ナイトゲームは22:20まで |
1971年 | ダブル第1試合は延長12回まで ナイトゲームは原則として試合開始時刻から3時間20分を過ぎて次のイニングに入らない。但し19時以降開始の場合は経過時間に関わらず22:20を過ぎて次のイニングに入らない(但し9回を満たさずに時間が来た場合であっても、9回までは必ず試合する 時間制限は1973年まで同じ) |
1972-1973年 | ダブル第1試合は延長11回まで |
1974-1982年 | ダブル第1試合については9回まで(回数制限は1987年まで同じ) その他の試合(ダブル第2試合含む)は試合開始から3時間を過ぎて次のイニングに入らない。但し19時以降は経過時間に関わらず22時を過ぎて次のイニングに入らない(但し9回を満たさずに時間が来た場合であっても、9回までは必ず試合する) |
1983-1987年 | ダブル第1試合以外は開始時刻に関わらず試合開始から3時間20分を過ぎて次のイニングに入らない(但し9回を満たさずに時間が来た場合であっても、9回までは必ず試合する) |
1988、1989年 | 延長戦は12回まで。(但しダブル第1試合については9回までで打ち切り)時間制限なし |
1990-2000年 | 延長15回まで、時間制限なし 引き分けの場合は再試合(降雨コールド時も含む) |
2001年- | 延長12回まで、時間制限なし |
順位の決め方
- 2000年以前は勝率順で決めており、勝率が同率でシーズンが終了した場合のみ、プレーオフで優勝を決めることとなっていた。
- 2001年は例外的に勝ち星の多い順で順位を決定していた。ただし、勝ち星1位と勝率1位のチームが異なった場合は3戦2勝制のプレーオフを行い優勝を決定する。
- 2002年からは再び勝率順に変更された。ただし、勝率3位以内に勝ち星1位のチームが別にいた場合、3戦2勝制のプレーオフで優勝を決定する。この制度は2006年まで続いた。
- 2007年からはクライマックスシリーズの導入により、以下の制度となった。(クライマックスシリーズの結果にかかわらず、レギュラーシーズンの順位がリーグ確定順位となる)
- 1.レギュラーシーズンの勝率
- 2.1が同率の場合、勝利数の多いチームが上位
- 3.2も同じ場合、当該球団間の直接対戦で勝率が高い順
- 4.3も同率の場合、前年度順位の上位
プレーオフ制度についての詳細はプレーオフ制度(日本プロ野球)・セントラル・リーグの項参照。
年度別順位
- 黄色地は日本一
- プレイング・マネージャー(選手兼任監督)がこれまでに3人出ているが(1955年-1957年の藤村富美男(阪神)、1970年-1972年の村山実(阪神)、2006年-2007年の古田敦也(ヤクルト))、パ・リーグと違いリーグ優勝を果たしていない。
- 2位以下のチームの監督名は、1950年を除き、監督が交代した年のみ記載。☆はシーズン途中より就任
※1 1959年の阪神と中日は同率の2位で、この年は引き分け(0.5勝+0.5敗)を勝率に含めていた(引き分けを勝率に含めなかった場合、2位は阪神、3位は中日となっていた)。
※2 2001年の3位は横浜、4位は広島で、この年は勝率ではなく勝利数で順位を決めていた(勝率に関しては3位は広島、4位は横浜となっていた)。
※3 2007年からはクライマックスシリーズが導入され、2007年は2位の中日がクライマックスシリーズで巨人に勝利して日本シリーズに進出。日本シリーズでも日本ハムを破り日本一に輝いた。
クライマックスシリーズ導入後の日本シリーズ出場チーム
歴代リーグ代表者
リーグ会長
- 初代:松島鹿夫(1950年~1952年/元外務事務次官)
- 2代目:鈴木龍二(1952年~1984年)
- 3代目:川島廣守(1984年~1998年/元内閣官房副長官)
- 4代目:高原須美子(1998年~2000年/経済評論家、元経済企画庁長官)
- 5代目:豊蔵一(2000年~2008年/元建設事務次官、元住宅・都市整備公団総裁)【リーグ会長職廃止により退任】
リーグ運営部長
- 初代:大越英雄(2009年~)
関連項目
- セントラル・リーグ個人タイトル獲得者一覧
- パシフィック・リーグ
- 六つの星(連盟の公認テーマソング)
- JCB・MEP賞
- セ・リーグオールスター東西対抗
脚註
外部リンク
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