スロバキア

出典: Wikipedio


Template:基礎情報 国 スロバキア共和国(スロバキアきょうわこく)、通称スロバキアは、中央ヨーロッパ共和制国家。首都はブラチスラヴァ。北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接する。

古代にはサモ王国モラヴィア王国として独立を保った期間もあったが、この地のスラブ人は1000年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあって、ハンガリーにとっても歴史的に重要な地域であり、多くのハンガリー人の出身地、ハンガリー貴族の発祥地でもある(元来スラブ系で、ハンガリー文化に同化した者も多い)。

第一次世界大戦オーストリア・ハンガリー帝国からチェコと合併するかたちで独立し、その後幾らかの変遷を経て、1993年1月1日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至る。

目次

国名

正式名称はスロバキア語で Slovenská Republika。通称 Slovensko(スロヴェンスコ)。

日本語の表記はスロバキア共和国。通称スロバキア

スロバキアの語源はスラヴ (Slav) であり、これはスロベニアと同じである。そのため似たような国名になっている。

歴史

古代

ケルト人が先住民であるが、1世紀ごろゲルマン人が、この地を支配した。5~6世紀ごろにスラブ人が移住して来、9世紀には、大モラヴィア帝国を創り上げた。

大モラヴィア王国

9世紀に現在のスロバキア、モラヴィアボヘミアシレジア地方に大モラヴィア王国が成立。スロバキアでは大モラヴィア王国がスロバキア人による王国であると主張する者もいるが、歴史学的には証明できる事実ではない。又この地域のスラブ人が現在のように簡単にチェコ人スロバキア人などと言うように分類できない面があった。

ハンガリー王国

10世紀になるとマジャル人の侵入を受け、ハンガリー王国が成立すると、この地域は北部ハンガリーと呼ばれ、ハンガリーの一地域として扱われるようになる。ただしハンガリーに比べてスラヴ人の多い地域であった。更にオスマン帝国がハンガリーに侵入するとプラチスラヴァ(ポジョニー)にハンガリー王国の首都が移され、ハンガリーにとっても北部ハンガリーは重要な地域と見なされるようになった。この首都移転は北部ハンガリーの人口バランスを狂わせるもので、増加したマジャル人に対して北部ハンガリーのスラヴ人の反感は高まった。19世紀の中ごろに周辺のスラヴ人が民族主義の流れからクロアチア人(クロアチアのスラヴ人から)、ボヘミア人(ボヘミアのスラヴ人から)と呼び名を変えて行く中で北部ハンガリーでは自らの地域・北部ハンガリー地域のスラブ語に転化したスロバキアと名づけ、自らをスロバキア人、自分達が話す言語をスロバキア語であると主張するようになった。またこの頃、勢力の大きいマジャル人に対して、チェコ人(チェック人)とスロバキア人の連合が主張され始めるようになった。

チェコスロバキア独立

Template:Main オーストリア・ハンガリー二重帝国体制下においてはチェコ、スロバキアは共に連邦国家構想を支持していたが第一次世界大戦の終了と共にオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。1918年、独立運動の指導者トマーシュ・マサリクは、チェコスロバキアは民族自決の対象となる単一のチェコスロバキア人国家として独立を宣言した。更にハンガリーに侵入して北部ハンガリーのほとんどの地域をハンガリーから収奪した。これが現在のスロバキア国家の基本的な領土となっている。しかしこの行動はハンガリー等で領土回復運動が高まるきっかけとなった。

独立スロバキア(1939年-1945年)

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共産党体制下のチェコスロバキア(1945年-1989年)

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民主化から連邦解体へ(1989年-1992年)

スロバキア共和国(1993年-)

[[ファイル:European flag in the wind.jpg|thumb|スロバキアは2004年、EU加盟国となった。]]

政治

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1992年に採択され、翌年1月の独立とともに発効した新憲法は、スロバキアを議会制民主主義国家と規定している。国家元首は任期5年の大統領で、現在イヴァン・ガシュパロヴィッチが務める。当初は議会により選出されていたが、1999年に直接選挙による選出となった。首相は大統領によって任命され、現在ロベルト・フィツォが務めている。立法府であるスロバキア共和国国民議会は任期4年、定数150の一院制

2009年3月21日、任期満了に伴う大統領選挙が行われた。翌日までの開票結果では、現職で与党候補のガシュパロヴィッチが最高得票率 (46.70%) を得たものの過半数に届かず、得票率 38.05% で2位となった野党候補の元労働・家庭・社会問題相イヴェタ・ラディチョヴァーとのあいだで4月4日に決選投票が行われた。開票の結果、ガシュパロヴィッチが得票率 55.53% で、同 44.47% だったラディチョヴァーを破って再選された。

18歳以上の男性に兵役義務があったが、2006年から志願制へと移行した。

地方行政区分

Template:Main thumb|300px|図中の番号は本文の括弧内のものと対応する。

スロバキアは連邦制解消後の1996年に大規模な地方行政区分の再編が行われ、現在は8つの県<ref>佐藤雪野「増補スロバキア・地方行政」 『東欧を知る辞典』p797、平凡社、2001年</ref>(kraj)が設けられている。

第二次世界大戦前のチェコスロバキア時代はkrajより上位のkrajina(州)区分があり、「スロバキア州」(krajina Slovenská)が設けられていた。戦後は6県、のち3県に再編されたあと、ブラチスラヴァ、西部スロバキア、中部スロバキア、東部スロバキアの4県体制が1990年まで続いた。

県の下位には78のokres(郡または区)および138のmesto(市または町)と2883のobec(村)が設けられている。

主要都市

都市人口(2005)
1 ブラチスラヴァ ブラチスラヴァ県 426,091
2 コシツェ コシツェ県 234,596
3 プレショフ プレショフ県 91,650
4 ジリナ ジリナ県 85,477
5 ニトラ ニトラ県 84,800
6 バンスカー・ビストリツァ バンスカー・ビストリツァ県 81,281
7 トルナヴァ トルナヴァ県 68,292
8 マルチン ジリナ県 59,257
9 トレンチーン トレンチーン県 56,750
10 ポプラト プレショフ県 55,158

地理

thumb|250px|スロバキアの地形図。

気候

スロバキアの国土は東西400km、南北200kmという比較的小規模なものである。しかしながら、国土面積に比べて気候は変化に富んでいる。基調となっているのは大陸性気候である。首都ブラチスラヴァの位置する西部はケッペンの気候区分でいう西岸海洋性気候 (Cfb) 、中央部は温暖湿潤気候 (Cfa) 、東部は湿潤大陸性気候 (Dfb) である。ブラチスラヴァの平均気温は-0.7度(1月)、19.1度(7月)。年平均降水量は649mmである。高度が上がるほど雨量が増し、中央北部のタトラ山地では2000mmに達する。

このような気候を受け、国土の1/3が森林であるほか、ステップ性の草原も残っている。

経済

工業国のチェコに比べ、スロバキアは昔から農業国だったが、最近ではフランスPSA・プジョーシトロエン韓国起亜自動車が工場を設立している。2009年1月1日に通貨をスロバキア・コルナからユーロに切り替えた。

鉱業

スロバキアはマグネシウムを中心とした無機鉱物資源に恵まれている。マグネシウムの産出量は2002年時点で世界第7位、シェア4.5%の50万トン。鉄鉱、金鉱も採掘されている。有機鉱物資源は342万トンの亜炭・褐炭が中心である。ただし、原油の産出量は4.6万トンに留まる。

国民

住民

2001年の国勢調査による民族構成は、スロバキア人が85.8%、マジャル人が9.7%、ロマが1.7%、チェック人が0.8%である。この他に、チェック人ではなくモラヴィア人シレジア人としてのメンタリティを持っているもの、ルテニア人ウクライナ人ドイツ人ポーランド人クロアチア人がいるがその総数は凡そ2%である。

現代のスロバキアは比較的スロバキア人均一性が高い国民国家としての性格を有している。ただし現在のような民族構成がほぼ固まったのは第二次世界大戦以降である。スロバキアは歴史的経緯から、マジャール人、ドイツ人ドイツ植民)、ルテニア人(ハンガリー王国に流れ込んだウクライナ人)、ロマ(ジプシー)も多く、入り組んで住んでいた。さらにはユダヤ人コミュニティーも多かった。スロバキアのすべての町村にスロバキア語以外にハンガリー語の名があり、また多くの町がドイツ語の名前を持っているのはこのためである。

マジャル人が多いのは、かつてスロバキアが北部ハンガリーとしてハンガリー王国の領域に完全に組み込まれていたためである。スロバキア人は元来山岳民族であり、特にハンガリー平原に連続する南部平地部の住民はほとんど全てハンガリー系住民であった。又ドイツ人については、その移住の時期・理由(植民、鉱山労働、宗教的迫害など)は様々である。1919年サン=ジェルマン条約オーストリア・ハンガリー帝国が、1920年のトリアノン条約ハンガリー王国の解体が行われ(この解体に反対するものも多かった : →ドナウ連邦構想)、汎スラヴ主義に荷担したスロバキア人はかつての「ハンガリー王国による圧政」への報復として、ハンガリー人・ドイツ人の居住地を大きく抉り取り、チェコと合併した形で独立を果たした。この過程でマジャル人とドイツ人の一部がスロバキアから追い出されている。以降マジャル人に関してはその後も一定数の数を占め、現在でもスロバキアにおいて最も多いマイノリティとなっている。ドイツ人については最終的に第二次大戦後にそのほとんどが強制的に追放された。ユダヤ人については他の中東欧諸国と同じように、第二次大戦を境にしてコミュニティのほぼ全てが消滅した。

言語

言語はスロバキア語公用語である。また、一部でハンガリー語も使われている。

宗教

2004年の調査によるとカトリックが最も多く60.3%を占める。次いで宗教的メンタリティを持たないものが9.7%、プロテスタントが8.4%、ギリシャ・カトリックが4.1%、東方正教会が4.1%等である。

文化

世界遺産

スロバキア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が4件、さらにウクライナにまたがって1件の自然遺産が、ハンガリーにまたがって1件の自然遺産が存在する。詳細はスロバキアの世界遺産を参照。

祝休日

国家祝休日および記念日法(スロバキア共和国国民議会1993年法律第241号)に定める国家の祝日(Štátne sviatky)、国民の休日(Dni pracovného pokoja)は次の通り。

国家の祝日

日付日本語スロバキア語備考
1月1日スロバキア共和国記念日Deň vzniku Slovenskej republikyチェコスロバキア連邦制解消(1993年1月1日)にともなう主権国家スロバキア共和国の誕生を記念。
7月5日聖キュリロスと聖メトディオスの日Sviatok svätého Cyrila a svätého Metodaキュリロスメトディオスキリスト教キリル文字をもたらしたことを記念。
8月29日スロバキア国民蜂起記念日Výročie Slovenského národného povstania1944年8月29日にナチス・ドイツ傀儡政権(スロバキア第一共和国)に対して蜂起したスロバキア国民蜂起(SNP)を記念。
9月1日憲法記念日Deň Ústavy Slovenskej republiky1992年9月1日のスロバキア共和国憲法制定を記念。
11月17日自由と民主主義のための戦いの日Deň boja za slobodu a demokraciu1939年11月17日にナチス・ドイツに抵抗して殺害されたチェコ人学生と、1989年の同日に始まったビロード革命を記念。(旧・国際学生記念日)
過去の国家の祝日
  • チェコスロバキア国家独立記念日(Deň vzniku samostatného česko-slovenského štátu)
10月28日。1918年のチェコスロバキア第一共和国独立を記念。1993年以降、記念日として平日扱いに変更。
  • 和解の日 - 政治的暴力犠牲者追悼の日(Deň zmierenia - Pamiatka obetiam politického násilia)
11月1日。2回の世界大戦における戦死者を追悼。1990年以降、「諸聖人の日」(Sviatok všetkých svätých)として国民の休日に変更。

国民の休日

日付日本語スロバキア語備考
1月6日公現祭(三賢人の日)Zjavenie Pána (Traja králi)
3月 - 4月聖金曜日Veľký piatok復活祭
3月 - 4月イースターマンデーVeľkonočný pondelok復活祭後最初の月曜日
5月1日メーデーSviatok práce
5月8日対ファシズム勝利の日Deň víťazstva nad fašizmom1945年5月8日のナチス・ドイツ傀儡政権(スロバキア第一共和国)降伏を記念。
9月15日聖母マリアの日Sedembolestná Panna Mária
11月1日諸聖人の日Sviatok všetkých svätých社会主義時代は「和解の日」(Deň zmierenia)。
12月24日クリスマス・イヴŠtedrý deň
12月25日第一クリスマス休日prvý sviatok vianočný
12月26日第二クリスマス休日druhý sviatok vianočnýボクシング・デー

記念日

国家祝休日および記念日法に定める記念日(Pamätné dni)は次の通り。平日扱いとなる。

日付日本語スロバキア語備考
3月25日人権のための戦いの日Deň zápasu za ľudské práva1988年にブラチスラヴァ市でカトリック教徒が開いた反体制集会が強制的に排除解散させられた事件を記念。
4月13日不当迫害の日Deň nespravodlivo stíhaných1950年チェコスロバキア共産党によって国内の修道院の大半が強制的に廃止された事件を記念。
5月4日シュテファーニク追悼記念日Výročie úmrtia M. R. Štefánikaチェコスロバキア独立運動の中心となったスロバキア人軍人ミラン・ラスティスラフ・シュテファーニク(1919年事故死)を記念。
6月7日スロバキア民族の覚書記念日Výročie Memoranda národa slovenského1861年にスロバキア人の自治地域を要求してマルチンで宣言された「スロバキア民族の覚書」(Memorandum národa slovenského)を記念。
7月5日在外スロバキア人の日Deň zahraničných Slovákov国家祝日の「聖キュリロスと聖メトディオスの日」に合わせ、国外在住のスロバキア人移民をたたえる。
7月17日スロバキア共和国独立宣言記念日Výročie deklarácie o zvrchovanosti SR1992年にスロバキア国民議会(現・スロバキア共和国国民議会)が行ったスロバキア共和国の国家主権宣言採択を記念。
8月4日マチツァ・スロベンスカーの日Deň Matice Slovenskej1863年マルチンで設立された民族文化団体「マチツァ・スロベンスカー」(Matica slovenská)を記念。
9月9日ホロコーストと人種差別暴力犠牲者の日Deň obetí holokaustu a rasového násilia1941年9月にナチス・ドイツが設置したガランタ郡セレジュ市の強制収容所におけるユダヤ人およびスロバキア人の犠牲者を追悼。
9月19日スロバキア国民議会の日Deň vzniku Slovenskej národnej radyスロバキア民族の独立を目指して1848年に設立された「スロバキア国民議会」(第一議会)を記念。
10月6日デュクラ峠犠牲者の日Deň obetí Dukly1944年にスロバキア解放を目的にスロバキア・ポーランド国境のデュクラ峠でソ連軍が行った対ドイツ戦の犠牲者を追悼。
10月27日チェルノヴァーの悲劇の日Deň černovskej tragédie1907年にチェルノヴァー村(現ルジョムベロク市内)でスロバキア人神父が率いるデモ隊にハンガリー憲兵隊が銃撃し殺害された15人を追悼。
10月28日チェコスロバキア国家独立記念日Deň vzniku samostatného česko-slovenského štátu1918年にプラハで行われたチェコスロバキア国家独立宣言を記念。1992年までは国家の祝日。
10月29日シュトゥール誕生の日Deň narodenia Ľ. Štúra1843年にスロバキア語の文語を作り普及させた言語学者リュドヴィート・シュトゥールの誕生日を記念。
10月31日宗教改革の日Deň reformácie1517年マルティン・ルターがローマ教会の堕落に抗議して95ヶ条の論題を公表したことを記念。
12月30日スロバキア教会管区分離の日Deň vyhlásenia Slovenska za samostatnú cirkevnú provinciu1977年にローマ教皇パウロ6世がスロバキアの教会管区昇格を宣言したことを記念。

参考文献

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脚注

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関連項目

外部リンク

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政府
日本政府
観光

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