スエズ運河

出典: Wikipedio


Template:Infobox 運河スエズ運河(すえずうんが)とは、スエズ地峡(すえずちきょう)に位置し、地中海紅海スエズ湾)を結ぶ運河

目次

地理

全長は163km、幅34m、深さ15m。運河を通航可能な最大のの大きさのことをスエズマックス(21万トン)という。スエズマックスを越える一部のタンカーはスエズを通航することができず、喜望峰周りの選択を余儀なくされる。

北の地中海にポートサイド、中間地点にイスマイリア、南のスエズ湾側にスエズの町があり、交通の拠点となっている。

運河のほぼ中間地点にスエズ運河橋(ムバーラク平和大橋)が架かる。

運営

画像:Bainbridge in Suez.jpg
運河を航行する米国の軍艦

1956年の国有化後、イスマイリアにあるエジプト政府直轄のスエズ運河庁が運営している。世界海上貿易量の約7.5%が使用。

運河を航行する船は、スエズ運河庁の指示で船団を組み、一日数回の便に参加して運河を通過する。所要時間は北行きが約12時間、南行きが約16時間。運河内は基本的に一方通航であるが、グレートビター湖など一部の拡張部においては対面通航が可能である。

スエズ運河の通航料はエジプト政府の主要な外貨収入のひとつであり、2007年には約46億ドルの収益を上げた。2008年の通航船舶は約21千隻。いっぽうで1隻当たり平均25万ドルという高額な通航料やスエズマックスの関係でスエズを避ける船もある。また、ソマリア海賊の跋扈によりスエズの先にあるアデン湾の安全性が低下したため、スエズを通るルートが近年避けられる傾向が出てきている。

歴史

thumb|300px|スエズ運河(1869)

建設

元々、紅海と地中海を結ぶ運河は紀元前2000年頃にはすでにあったとされており、これがスエズ運河の起源とも言える。しかし、その後砂に埋もれていつしか無くなったとされている。ただし、この古代の「スエズ運河」は、ナイル河上流部から紅海に抜ける水路であり、スエズ地峡を開削したものではない。

フランス外交官のフェルディナン・ド・レセップスの指揮によって、1859年4月25日の着工から、10年の歳月をかけて建設され、1869年11月17日に開通した。150万人のエジプト人が動員され、うち12万5000人が主にコレラによって亡くなったと推定されるなど、建設には多大な犠牲が払われた。この運河の開通により、アジアから欧州アメリカ大陸への海運においてアフリカ大陸の喜望峰を周回する必要がなくなった(「照國丸」「靖國丸」などが活躍していた欧州航路(ロンドン線など)もこのスエズ運河を経由していた)。

イギリスへの売却

開通後はフランスとエジプトの共同所有とされたが、対外債務を抱えたエジプトは運河管理会社のイギリスに売り渡すことを余儀なくされ、1882年には運河を保護することを理由にイギリス軍が運河の両岸に駐留しはじめる。このときのイギリス首相はディズレーリで、購入資金を融通したのはロスチャイルド銀行であった。以後、実質的にイギリスがスエズ運河を支配することになる。このときのイギリスの持ち株は48%であった。ちなみにフランスの持ち株は52%であった。

これ以後、イギリス帝国における拠点のひとつとして重視され、19世紀後半から20世紀前半にかけて3C政策という世界政策が推進されるもととなった。これは、ドイツの進める3B政策と対立し、第一次世界大戦の原因のひとつとなった。

1888年には、列強間によって「スエズ運河の自由航行に関する条約」が結ばれた。

国有化と中東戦争

1956年7月26日、アメリカから援助を打ち切られたアスワン・ハイ・ダム建設の資金を得ることを目的として、エジプトナセル大統領によって国有化される。ナセルの民主社会構築政策においてアスワン・ハイ・ダム建設の目的のひとつは、市民への労働機会提供だった。期待していた英米からのダム建設費用援助が得られなかったため、収入源を運河に求めた。

同じ時期、エジプトが必要な武器を西側諸国から調達できないため、チェコスロバキアから調達した。このようなナセルの行動は、英米からは反西側と受け取られた。当時は冷戦初期で、各地で植民地のナショナリズムが高揚しはじめていた。イギリス・フランスは植民地であるアフリカ大陸各国の政治動向に敏感だった。アフリカ植民地支配に強く固執していたフランスは、フランスからの独立をめざすアルジェリアにエジプトが物資供給していたため、英米のナセルに対する圧力に同調した。

エジプトに対して海外資産凍結や食糧援助取消などの報復措置が取られ、同年10月にはまずイスラエルがエジプトに侵攻、第二次中東戦争(スエズ戦争、スエズ動乱とも呼ぶ)が勃発、次いでイギリス、フランスも運河の無料使用を求めて攻撃を開始した。これは実際は英仏がイスラエルとの密約の上で起こした争乱であったが、ソ連アメリカがこれに強い難色を示し、国連がエジプトによる国有化の正当性を認めたこともあり、国際社会から非難を浴びたイスラエルと英仏は撤兵し、戦争は終結に至る。

1967年第三次中東戦争の結果、運河はエジプトとイスラエルの軍事境界線となり、船舶の通航は不能となった。以後、スエズ運河は長い間閉鎖され、再開されたのは第四次中東戦争停戦後の1975年6月のことであった。

逸話

  • スエズ運河を泳いで横断する場合にも通航料がかかる。
  • 実際に泳いで横断した者もいた。
  • 1867年以来、日本に駐在した英国外交官ミットフォード(en:Algernon Freeman-Mitford, 1st Baron Redesdale)は、1870年に帰国のため、シンガポールからマルセイユまで搭乗したフーグリー号が「開通式に披露行事として通った船を除けば、我々の船が、営業開始後の一番目の船」となったと回顧としている<ref>『英国外交官の見た幕末維新』A.B.ミットフォード著、長岡祥三訳、講談社学術文庫1349、1998年、254~255頁。原著、1915年。長岡訳初版、新人物往来社、1985年。</ref>。
  • 五洋建設が閉鎖期間をはさんで浚渫、改修工事を行った。プロジェクトXにも取り上げられている。

脚注

<references/>

外部リンク

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