グスタフ・マーラー
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Template:Infobox Musician Template:ウィキポータルリンク グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860年7月7日 - 1911年5月18日)はウィーンで活躍した作曲家、指揮者。交響曲と歌曲の大家として知られる。
目次 |
生涯
- 1860年(0歳) 7月7日、父ベルンハルト・マーラー(Bernhard Mahler, 1827-1889)と母マリー・ヘルマン(Marie Hermann, 1837-1889)の間の第2子として、オーストリア領ボヘミア・イーグラウ(Iglau、現チェコのイフラヴァ Jihlava)近郊のカリシュト村(Kalischt、現チェコのカリシュチェ Kaliště)に出生。父親ベルンハルトは独力で酒造業を創業し経営する地元ユダヤ人社会の中の実業家であり、私生活においては読書家であった。夫妻の間には14人の子供が産まれているが、当時は乳幼児の死亡率が極めて高く、半数の7名は幼少時に死亡している。長男イージドールも早世しており、グスタフ・マーラーはいわば長男として育てられる。
- 1864年(4歳) 本人の回想によれば、この頃、アコーディオンを巧みに演奏したとされる。
- 1870年(10歳) 10月13日、イーグラウ市での最初のピアノ独奏会を行う。曲目は不明。
- 1875年(15歳) ウィーン楽友協会音楽院(現ウィーン国立音楽大学)にてローベルト・フックスに師事。弟エルンストが13歳で没。
- 1876年(16歳) 及び1877年(17歳)演奏解釈賞と作曲賞を受ける。
- 1877年(17歳) ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受け、2人の間に深い交流が始まる。
- 1878年(18歳) 作曲賞を受け、7月11日、卒業。
- 1883年(23歳) 9月、カッセル王立劇場の副指揮者となる。
- 1884年(24歳) ハンス・フォン・ビューローに弟子入りを希望したが受け入れられなかった。6月、音楽祭でベートーヴェンの《第9交響曲》とフェリックス・メンデルスゾーンの《聖パウロ》を指揮して、指揮者として成功。
- 1885年(25歳) 1月《さすらう若者の歌》を完成。プラハのドイツ劇場の副指揮者。この年は窮乏を極める。
- 1886年(26歳) 8月、ライプツィヒ市立劇場で副指揮者。この年《子供の不思議な角笛》作曲。
- 1888年(28歳) この年《交響曲第1番ニ長調「巨人」》生まれる。10月、ブダペスト王立歌劇場の芸術監督となる。
- 1889年(29歳) 1月、リヒャルト・ワーグナーの《ラインの黄金》と《ワルキューレ》のカットのない初演をして模範的演奏として高い評価を得る。2月に父を失い秋に母を失う。
- 1891年(31歳) 4月、ハンブルク市立劇場の正指揮者となる。
- 1895年(35歳) 2月6日、弟・オットーが21歳で自殺。
- 1896年(36歳) シュタインバッハ(ザルツカンマーグートのアッター湖近く)にて《交響曲第2番ハ短調「復活」》、《交響曲第3番ニ短調》を書く。
- 1897年(37歳) 春、結婚などのためにユダヤ教からローマ・カトリックに改宗。5月、ウィーン宮廷歌劇場指揮者に任命され、10月に芸術監督となる。
- 1898年(38歳) ウィーン・フィルハーモニーの指揮者となる。
- 1899年(39歳) 南オーストリア・ヴェルター湖岸のマイアーニヒ(Maiernigg)に山荘を建て《交響曲第4番ト長調》に着手(翌年に完成)。
- 1901年(41歳) 4月、ウィーンの聴衆や評論家との折り合いが悪化し、ウィーン・フィルの指揮者を辞任(ウィーン宮廷歌劇場=現・ウィーン国立歌劇場の職は継続)。12月、「私の音楽を貴女自身の音楽と考えることはできませんか?」と結婚前のアルマ・シントラーに作曲をやめるように申し出る。彼女はその後作曲の筆を折る。なお、アルマはツェムリンスキーに作曲を習い、14曲の歌曲を残している(UNIVERSAL社が出版)。
- 1902年(42歳) 3月、アルマ・シントラー(23歳)と結婚。2人とも初婚であった。夏にマイアーニヒの山荘で《交響曲第5番嬰ハ短調》を完成。10月、長女マリア・アンナ誕生。
- 1903年(43歳) フランツ・ヨーゼフ1世皇帝から第三等鉄十字勲章を授与される。次女アンナ・ユスティーナ誕生。
- 1904年(44歳) 4月シェーンベルクとツェムリンスキーはウィーンに創造的音楽家協会を設立しマーラーを名誉会長とした。夏にマイアーニヒの山荘で《交響曲第6番イ短調》を書き上げ、第7番の2つの「夜曲」を作曲。
- 1905年(45歳) 夏、マイアーニヒの作曲小屋で《交響曲第7番ホ短調》第1楽章、第3楽章、第5楽章を作曲して完成に至る。
- 1907年(47歳) 長女マリア・アンナ死亡。マーラー自身は心臓病と診断される。12月メトロポリタン・オペラから招かれ渡米。《交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」》完成。
- 1908年(48歳) 5月ウィーンへ戻る。トプラッハ(当時オーストリア領・現在のドロミテ・アルプス北ドッビアーコ)にて《大地の歌》を仕上げる。秋に再度渡米。
- 1909年(49歳) ニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者となる。春、ヨーロッパに帰る。夏にトプラッハで《交響曲第9番ニ長調》に着手し、約2カ月で完成させる。10月、渡米。
- 1910年(50歳) 4月ヨーロッパに帰る。クロード・ドビュッシーやポール・デュカスに会う。8月、自ら精神分析医ジークムント・フロイトの診察を受ける。18歳年下の妻が自分の傍に居る事を、夜中じゅう確認せざるを得ない強迫症状と、もっとも崇高な旋律を作曲している最中に通俗的な音楽が浮かんできて、かき乱されるという神経症状に悩まされていたが、フロイトによりそれが幼児体験によるものであるとの診断を受け、劇的な改善をみた。ここへ来てようやく、アルマへ彼女の作品出版を勧める。9月12日にミュンヘンで交響曲第8番《千人の交響曲》を自らの指揮で初演。自作自演では初の大成功を収める。
- 1911年(51歳) 2月、アメリカで感染性心内膜炎と診断され、病躯をおしてウィーンに戻る。5月18日、51歳の誕生日の6週間前に敗血症のため息を引き取った。臨終の言葉は「モーツァルト・・・(Mozarterl)<ref>オーストリア方言。名前の語尾に「erl」を付けることにより、愛称形になる(モーツァルトゥル)。</ref>」である。ウィーンのグリンツィング墓地に葬られた。
人物・作品
出自に関して、「私はどこに行っても歓迎されない。“オーストリアにおけるボヘミア人”(下記の生涯参照)、“ドイツにおけるオーストリア人”、そして“世界におけるユダヤ人”だから」と述べたと伝えられる。後にユダヤ教を棄教している。
交響曲は大規模なものが多く、声楽パートを伴うものが多いのが特徴である。第1番には、歌曲集『さすらう若人の歌』と『嘆きの歌』、第2番は歌曲集『少年の魔法の角笛』と『嘆きの歌』の素材が使用されている。第3番は『若き日の歌』から、第4番は歌詞が『少年の魔法の角笛』から音楽の素材は第3番から来ている。また、『嘆きの歌』は交響的であるが交響曲の記載がなく、『大地の歌』は大規模な管弦楽伴奏歌曲であるが、作曲者により交響曲と題されていても、出版されたスコアにはその記載がない。
歌曲も、管弦楽伴奏を伴うものが多いことが特徴となっているが、この作曲家においては交響曲と歌曲の境が余りはっきりしないのも特徴の一つである。ちなみに現代作曲家のルチアーノ・ベリオはピアノ伴奏のままの『若き日の歌』のオーケストレーション化を試みている。
多くの作品においては調性的統一よりも、曲の経過と共に調性を変化させて最終的に遠隔調へ至らせる手法(発展的調性または徘徊性調性:5番・7番・9番など)が見られる。また、晩年になるにつれ次第に多調・無調的要素が大きくなっていった。作品の演奏が頻繁に行われるようになったのは、「新ロマン主義」が流行した1970年代からであり、幸か不幸か前衛の停滞が彼の名声に大きく貢献した。
アマチュアリズムが大好きであり、アイヴズの交響曲第三番を褒めちぎったのは、「彼もアマチュアだから」という理由が主なものだったと言われている。
指揮者としては、自身と同じユダヤ系のブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラーらに大きな影響を与えた。特に徹底した音楽性以上の完全主義、緩急自在なテンポ変化、激しい身振りと小節線に囚われない草書的な指揮法はカリカチュア化されるほどの衝撃を当時の人々に与えた。オーケストラ演奏の録音は時代の制約もあり残っていないが、交響曲や歌曲を自ら弾いたピアノロール、および唯一ピアノ曲の録音(ただし信憑性に疑問がある)が残されている。
ニューヨーク・フィルハーモニック在任中、演奏する曲に対しては譜面にかなり手をいれたようで、後にこのオーケストラの指揮者となったトスカニーニは、マーラーの手書き修正が入ったこれら譜面を見て「マーラーの奴、恥を知れ」と罵ったという逸話が残されている。もっとも、シューマンの『交響曲第2番』、『交響曲第3番「ライン」』の演奏では、マーラーによるオーケストレーションの変更を多く採用している。
シェーンベルクとツェムリンスキーを自宅に招いたとき、音楽論を戦わせているうち口論となった。興奮した二人が「もうこんな家に来るものか。」と叫んで出て行けば、マーラーも「二度と来るな!」とやり返すほど険悪な雰囲気となった。だが、数日後にはマーラーは「あのアイゼレとバイゼレ(二人のあだ名)は何してるんだ。」と気にし出し、二人のほうも何食わぬ顔をして家に来て、再び交流が始まった。
マーラーはシェーンベルクの才能を高く評価していた。彼の室内交響曲第1番ホ長調の初演が終ってのブーイングの中でも毅然と拍手をしつづけた。「私は彼(シェーンベルク)の音楽が分からない。しかし私は老いぼれだ。彼が正しいに違いない」という言葉を残している。また、臨終の際、「私の亡きあと、だれがシェーンベルクの面倒を見てくれるんだ。」と涙したという。
主要作品
交響曲・管弦楽曲
- 交響的前奏曲ハ短調(偽作とみなされることが多い。 ブルックナーの管弦楽曲・吹奏楽曲も参照)
- 交響曲第1番ニ長調「巨人」
- 交響曲第2番ハ短調「復活」- 独唱(ソプラノ、コントラルト)、合唱付
- 交響曲第3番ニ短調 - 独唱(コントラルト)、合唱、少年合唱付
- 交響曲第4番ト長調 - 独唱(ソプラノ)付
- 交響曲第5番嬰ハ短調
- 交響曲第6番イ短調「悲劇的」
- 交響曲第7番ホ短調「夜の歌」
- 交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」 - 独唱(四声部)、2群の合唱、少年合唱付
- 交響曲第9番ニ長調
- 交響曲第10番嬰ヘ長調(未完成。デリック・クックらによる補作あり)
- 交響曲「大地の歌」イ短調 - 独唱(テノール、コントラルトまたはバリトン)付
- 北欧交響曲(初期の作品だが散逸)
- 交響曲 イ短調(散逸)
- コンクールのための課題の交響曲(散逸)
声楽曲
- カンタータ「嘆きの歌」
- 歌曲集「若き日の歌」
- 歌曲集「さすらう若者の歌」
- 歌曲集「少年の魔法の角笛」
- リュッケルト歌曲集
- 歌曲集「亡き子をしのぶ歌」
- 3つの歌曲
- 2つの歌曲(散逸)
- トルコ人たちには美しい娘がいる(散逸)
- 「歌、合唱、活人付きの詩」のための民謡(散逸)
室内楽曲
- ピアノ四重奏曲断章 イ短調
- ヴァイオリン・ソナタ(散逸)
- ピアノ五重奏曲第1番(散逸)
- ピアノ四重奏曲(第2番)(散逸)
- 夜想曲(散逸)
その他の作品
- 交響詩 葬礼(本来、交響曲第2番の第1楽章の草稿)
- スケルツォ(未完成)
- 花の章(本来、交響曲第1番の第2楽章の原型)
- 葬送行進曲の序奏付きのポルカ(最初の作品で、6歳の時に作曲。しかし散逸)
- ピアノ小品集(散逸)
- 劇付随音楽 ゼッキンゲンのラッパ吹き(散逸)
- へーラーの歌曲への前奏曲(作曲者により破棄)
歌劇
- いずれも完成されてはいない。
- 歌劇 アルゴー号の勇士たち(未完成、散逸)
- 歌劇 リーベツァール(未完成、散逸)
- 歌劇 シュヴァーベン公エルンスト(破棄)
編曲作品
- ウェーバー:歌劇「3人のピント」補筆
- ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
- ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番「セリオーゾ」弦楽合奏版
- シューベルト:交響曲ハ長調D.944
- シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」弦楽合奏版
- シューマン:交響曲全曲
- J. S. バッハ:管弦楽組曲
グスタフ・マーラーを扱った作品
- 『マーラー』1974年、ケン・ラッセル監督の映画
- クリムト『ベートーヴェン・フリーズ』の中に、マーラーをモデルとした人物が描かれているとされる[1]。
- トーマス・マンの小説『ヴェニスに死す』の主人公は、マーラーにインスピレーションを得て創作された人物といわれる。同書をヴィスコンティが映画化した際、原作での小説家という設定は作曲家に変更されてさらにマーラーを思わせるものになっただけではなく、マーラーの交響曲第5番の第4楽章が映画音楽として使われた。さらに同著者の『ファウスト博士』の主人公は作曲家に設定され、こちらもマーラーを想定して創作されているとされている。
- サントリーローヤルCM(1986年)
- 『Bride of the Wind』2001年、ブルース・ベレスフォード監督の映画(2008年7月現在、日本未公開)。『Bride of the Wind』(風の花嫁)は、アルマ未亡人の恋人になった画家、オスカー・ココシュカの代表作(1914年)のタイトルでもある。
- 『グスタフ・マーラー/時を越える旅』1987年、ウォルフガング・レソウスキー監督の墺・西独合作映画(2009年6月現在、日本未公開)(原題:Sterben werd ich um zu leben – Gustav Mahler)
脚注
外部リンク
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