クロード・ドビュッシー
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Template:右 Template:クラシック音楽 クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862年8月22日 - 1918年3月25日)はフランスの作曲家である。長音階・短音階以外の旋法の使用、機能和声にとらわれない自由な和声法などを行った。
ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもある。
目次 |
略歴
ドビュッシーはフランスイヴリーヌ県のサン・ジェルマン=アン=レーに生まれた。フルールヴィル夫人などに基礎的な音楽の手ほどきを受けたのち、1872年から1884年にかけてパリ音楽院に在籍し、エルネスト・ギロー、オーギュスト・バジュ、アントワーヌ・マルモンテル、エミール・デュラン、アルベール・ラヴィニャックに学んだ。
1880年、チャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人の長期旅行にピアニストとして同伴し、『ピアノ三重奏曲』や『交響曲』の断片を作曲。『ボヘミア舞曲』という小品を夫人の計らいでチャイコフスキーへ送るが酷評を受けた(出版はドビュッシーの死後)。この経験が元で、チャイコフスキーやロシア5人組に影響を受ける。また貴族趣味も芽生えた。
1884年にカンタータ《放蕩息子》でローマ大賞を受賞。翌1885年から1887年にかけて、イタリアのローマへと留学したものの、あまりイタリアの雰囲気には馴染めず、ローマ大賞受賞者に与えられる期間を繰り上げてパリにもどった。これにはヴァニエ夫人という意中の人がいたためとも言われる。このヴァニエ夫人のために書かれたいくつかの歌曲のうちポール・ヴェルレーヌの「艶なる宴」に基づくものは後に『艶なる宴』(全2集)としてまとめられた。
2度訪れたバイロイト音楽祭でワグネリズムの限界を感じ、これを境にアンチ・ワグネリアンを標榜することになる。同年パリで開かれた万国博覧会でジャワ音楽(ガムラン)を耳にしたことが、その後の彼の音楽に大きな影響を与えた。
1905年、リリーと離婚。エマ・バルダックと同棲。長女クロード=エマ(シュウシュウ)誕生。世間はリリーに同情的だったため、友人の多くを失うこととなる。
年譜
- 1862年 - 8月22日 誕生
- 1871年 - この年から3年ほど、モーテ・ド・フルールヴィル夫人にピアノのレッスンを受ける
- 1872年 - パリ音楽院入学。以後12年在籍。ピアノをマルモンテル、ソルフェージュをラヴィニャック、和声学をデュラン、作曲法をギローに師事
- 1880年 - チャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人の長期旅行にピアニストとして同伴
- 1884年 - ローマ大賞首席を受賞
- 1885年 - ローマに滞在
- 1887年 - パリに戻る
- 1888年 - 1度目のバイロイト行き
- 1889年 - 2度目のバイロイト行き、パリ万国博覧会で東洋芸術に接触
- 1890年 -『ベルガマスク組曲』
- 1891年 -『2つのアラベスク』。この頃、初期のピアノ小品や歌曲を多く手がける
- 1893年 - メーテルリンクの戯曲「ペレアスとメリザンド」に出会う
- 1894年 - 『牧神の午後への前奏曲』
- 1899年 - リリー・テクシエと最初の結婚
- 1902年 - ペレアスとメリザンド初演
- 1905年 - 海、管弦楽のための「映像」。エマ・バルダックと同棲。長女クロード=エマ(シュウシュウ)誕生
- 1910年 - 前奏曲集 第1集
- 1911年 - 舞台音楽劇『聖セバスティアンの殉教』
- 1913年 - バレエ音楽『遊戯』。バレエ・リュスのために作曲
- 1914年 - 第一次世界大戦勃発、大腸癌を発病。「様々な楽器のための6つのソナタ」着手(完成は3曲)
- 1918年 - 3月25日 死去
- 1919年 - 娘クロード=エマ死去
作品と表現
初期の作品であるカンタータ「選ばれた乙女」(1888年)や「ボードレールの5つの詩」(1889年)まではワーグナーの影響を見ることができる。しかしこの辺りの作品、特にヴェルレーヌと出会って以降の3つの歌曲、「忘れられた小歌」、「華やかな饗宴」第1集などでは、より明確に独自の書法へと変化していった。弦楽四重奏曲ト短調(1893年)においてはフリギア旋法だけではなく、様々な教会旋法を使用している。なかでも「牧神の午後への前奏曲」(1894年)、メーテルリンクの戯曲によるオペラ「ペレアスとメリザンド」(1893年頃着手し、完成は1902年)など同時代の作品から現れた全音音階の使用は、その後の独特のハーモニーの基盤ともなっている。また、これらの作品は規則的な律動にとらわれない書法の先駆けでもあり、それまでの西洋音楽の概念からは異色ともいえるものだった。
印象主義音楽
ドビュッシーの音楽は印象主義音楽と俗に呼ばれている。印象派(ないし印象主義)という表現はもともと、1874年に最初の展覧会を開催した新進画家グループ(モネ、ドガ、セザンヌら)に共通していた表現様式に対する揶揄表現が定着したものであり、音楽における《印象主義》も、若手作曲家の作品への揶揄の意味合いを込めて用いられた表現である。ドビュッシー自身も、出版社のデュランに宛てた書簡(1908年3月)の中で、この用語に対して否定的な見解を示した。
主な作品
ピアノ曲
- フーガ(16歳の時に作曲された現存する最初の作品。1999年ウィーンの国立図書館で発見) - 1878年
- ボヘミア舞曲 (Danse bohémienne)(18歳の時の作品。フォン・メック夫人のはからいでチャイコフスキーに送ったが、未熟だと酷評された。死後発見) - 1880年
- 2つのアラベスク (2 Arabesques) - 1888年~1891年
- 舞曲(スティリー風タランテラ)(Danse, Tarantelle styrienne)(後にラヴェルが管弦楽に編曲)- 1890年
- 夢想 (Rêverie) - 1890年
- ロマンティックなワルツ (Valse romantique) - 1890年
- マズルカ (Mazurka) - 1890年
- バラード (Ballade) - 1890年
- ベルガマスク組曲 (Suite Bergamasque) - 1890年
- 前奏曲 (préludes)
- メヌエット (menuet)
- 月の光 (clair de lune)(ドビュッシーの曲の中で最もポピュラーな曲の1つ)
- パスピエ (passepied)
- 忘れられた映像 (Images oubliées)(死後発見、標題はドビュッシーが付けたものではない) - 1894年
- レント(憂うつに、そしてやさしく) (Lent (mélancolique et doux))
- ルーヴルの思い出 (Souvenir du Louvre)(後に『ピアノのために』第2曲「サラバンド」に改作)
- 「もう森には行かない」の諸相 (Quelques aspects de "Nous n'irons plus au bois") (『版画』第3曲「雨の庭」の前身。「(いやな天気だから)もう森へは行かない」はフランスの童謡。ドビュッシーはこの「諸相」、「雨の庭」、歌曲「眠りの森の美女」、「管弦楽のための映像・第3曲『春のロンド』」の合計4曲でこの童謡を用いている)
- ピアノのために (Pour le piano) - 1896年、1896年 - 1901年
- 前奏曲 (Prélude)
- サラバンド (Sarabande)
- トッカータ (Toccata)
- 版画 (Estampes) - 1903年
- 塔 (Pagodes)(「パゴダ」は仏教の宝塔を指す)
- グラナダの夕暮れ (La soirée dans Grenade)
- 雨の庭 (Jardins sous la pluie)
- 喜びの島 (L'Isle Joyeuse) (作曲者監修のもと、イタリアの指揮者ベルナルディーノ・モリナーリ(Bernardino Molinari)により管弦楽用に編曲されている) - 1904年
- 仮面 (Masques) - 1904年
- 映像 第1集 (Images) - 1905年
- 水の反映(水に映る影) (Reflets dans l'eau)
- ラモー礼讃(「ラモーをたたえて」とも) (Hommage à Rameau)
- 運動 (Mouvement)
- 映像 第2集 - 1907年
- 葉ずえを渡る鐘 (Cloches à travers les feuilles)
- 荒れた寺にかかる月 (Et la lune descend sur le tample qui fut)
- 金色の魚 (Poissons d'or)
- 子供の領分 (Children's Corner - Petite suite pour piano seul)(娘のクロード・エマのために作曲されたもの) - 1906年 - 1908年
- グラドゥス・アド・パルナッスム博士 (Doctor Gradus ad Parnassum)
- 象の子守唄 (Jimbo's lullaby)
- 人形へのセレナード (Serenade of the doll)
- 雪が踊っている (The snow is dancing)
- 小さな羊飼い (The little shepherd)
- ゴリウォーグのケークウォーク (Golliwogg's Cake-Walk)
- レントより遅く (La plus que lente (Valse)) - 1910年
- 2つの前奏曲集
- 前奏曲集 第1巻 (Prélude 1) - 1909年 - 1910年
- 以下の曲名は一般の曲の曲名とは違い、各曲の最後に小さく記されている。
- デルフィの舞姫 (...Danseuses de Delphes)
- ヴェール (...Voiles) (「帆」とも訳される)
- 野を渡る風 (...Le vent dans la plaine)
- 音と香りは夕暮れの大気に漂う (...Les sons et les parfums tournent dans l'air du soir)
- アナカプリの丘 (...Les collines d' Anacapri)
- 雪の上の足跡 (...Des pas sur la neige)
- 西風の見たもの (...Ce qu'a vu le vent d'ouest)
- 亜麻色の髪の乙女 (...La fille aux cheveux de lin)
- とだえたセレナード (...La sérénade interrompue)
- 沈める寺 (...La cathédrale engloutie)
- パックの踊り (...La danse de Puck)
- ミンストレルズ (...Minstrels)
- 前奏曲集 第2巻 (Prélude 2) - 1910年 - 1913年
- 霧 (...Brouillards)
- 枯葉 (...Feuilles mortes)
- ヴィーノの門 (...La Puerta del Vino)
- 妖精たちはあでやかな踊り子 (...les fées sont d'exquises danseuses)
- ヒースの荒野 (...bruyères)
- 風変わりなラヴィーヌ将軍 (...général Lavine - excentrique)
- 月の光が降り注ぐテラス (...la terrasse des audiences au clair de lune)
- 水の精 (...ondine)
- ピクウィック殿をたたえて (...hommage à S. Pick Wick)
- カノープ (...canope)
- 交代する三度 (...es tierces alternées)
- 花火 (...feux d'artifice)
- 前奏曲集 第1巻 (Prélude 1) - 1909年 - 1910年
- 英雄的な子守歌 (Berceuse heroïque) - 1914年(同年12月に管弦楽曲に編曲)
- 第一次世界大戦時、侵攻したドイツ軍に対して抵抗したベルギーの国王アルベール1世に献呈。
- 12の練習曲 (12 Etudes) 作曲者による運指がないことで知られる - 1913年 - 1915年
- 五本の指のための (pour les cinq doigts)
- 三度のための (pour les tièrces)
- 四度のための (pour les quartes)
- 六度のための (pour les sixtes)
- オクターブのための (pour les octaves)
- 八本の指のための (pour les huit doigts)
- 半音階のための (pour les degrés chromatiques)
- 装飾音のための (pour les agréments)
- 反復音のための (pour les notes répétées)
- 対比的な響きのための (pour les sonorités opposées)
- アルペジオのための (pour les arpeges)
- 別版あり。
- 和音のための (pour les accords)
- 負傷者の服のための小品 (Piece pour le vetement du blesse) - 1915年
- 1933年、「アルバムのページ (Page d'album)」の名で出版。
- エレジー (Élégie) - 1915年
- 燃える炭火に照らされた夕べ (Les soirs illuminés par l'ardeur du charbon) - 1917年
2台ピアノ・4手連弾のための曲
- 交響曲 ロ短調 (少年期の習作。第1楽章の4手連弾のみ現存) - 1880年 - 1881年
- 小組曲 (Petite suite) 4手連弾。ビュッセルによる管弦楽編曲版で有名。 - 1886年 - 1889年
- 小舟にて (En Bateau)
- 行列 (Cortège)
- メヌエット (Menuet)
- バレエ (Ballet)
- スコットランド風行進曲 (Marche écossaise sur un théme populaire) - 1891年(1908年に管弦楽版に編曲)
- 6つの古代の墓碑銘 (6 Epigraphes antiques) 4手連弾。『ビリティスの歌』の1、7、3、10、8、12曲目より編曲。独奏版もあり。アンセルメによる管弦楽編曲版もある。 - 1914年
- 夏の風の神、パンに祈るために (Pour invoquer Pan, dieu du vent d'été)
- 無名の墓のために (Pour un tombeau sans nom)
- 夜が幸いであるために (Pour que la nuit soit propice)
- カスタネットを持つ舞姫のために (Pour la danseuse aux crotales)
- エジプト女のために (Pour l'Egyptienne)
- 朝の雨に感謝するために (Pour remercier la pluie au matin)
- リンダラハ (Lindaraja) 2台ピアノ。 - 1901年
- 白と黒で (En blanc et noir) 2台ピアノ。 - 1915年
- 情熱に駆られて (Avec emportement)
- 緩やかにそして控えめに (Lent et sombre)
- スケルツァンド (Scherzando)
管弦楽曲・協奏曲
- 交響組曲『春』 (Suite symphonique 'Printemps') - 1886年 - 1887年
- 最初の版には女声合唱があったが火事で焼失した。1913年にビュッセルによって再度オーケストレーション(管弦楽のみ)が行われる。
- ピアノと管弦楽のための幻想曲 (Fantaisie pour piano et orchestre) - 1889年 - 1891年
- 作曲者がリハーサルの段階で楽譜を差し止めたため、死後初演。
- 神聖な舞曲と世俗的な舞曲 (Danse sacrée et danse profane) - 1904年
- 独奏ハープと弦楽合奏のための曲。
- クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲 (1ère Rapsodie pour orchestre avec clarinette principale) - 1909年 - 1910年
- 「クラリネットとピアノのための第1狂詩曲」を編曲。
- 管弦楽とサクソフォーンのための狂詩曲 (Rapsodie pour orchestre et saxophone) - 1901年 - 1908年
- 作曲者の死後の1919年にロジェ=デュカスによって管弦楽編曲が行われた。
- 牧神の午後への前奏曲 (Prélude à l'Après-midi d'un faune) - 1892年 - 1894年
- 夜想曲 (Nocturnes) - 1897年 - 1899年
- 雲 (Nuages)
- 祭 (Fêtes)
- シレーヌ (Sirènes)
- 第3曲には女性コーラス(歌詞なし)が入る
- 交響詩『海』 (La Mer) - 1903年 - 1905年
- 海上の夜明けから正午まで (De l'aube à midi sur la mer)
- 波の戯れ (Jeux de vagues)
- 風と海との対話 (Dialogue du vent et de la mer)
- 管弦楽のための映像 (Images pour orchestre) - 1905年 - 1912年
- ジーグ (Gigues)
- イベリア (Iberia)
- 街の道から田舎の道から (par les rues et par les chemins)
- 夜の薫り (les parfums de la nuit)
- 祭りの日の朝 (le matin d'un jour de fête)
- 春のロンド (Rondes de printemps)
室内楽曲
- ピアノ三重奏曲(18歳の時、フォン・メック夫人の元で書かれた曲) - 1879年 - 1880年
- 弦楽四重奏曲 - 1893年
- 活気をもって、決然と (Animé et très décidé)
- 十分生き生きと、きわめてリズミカルに (Assez vif et bien rythmé)
- アンダンティーノ、おだやかに、表情豊かに (Andantino, doucement expressif)
- 非常にゆっくりと (Très modéré - Très mouvementé - Très animé)
- クラリネットとピアノのための小品 (Petite Piece pour clarinette et piano) - 1910年
- ビリティスの歌 (Chansons de Bilitis) - 1900年 - 1901年
- パントマイムと詩の朗読の為の付随音楽。編成は2フルート、2ハープ、チェレスタ。
- フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ (Sonate pour flûte, alto et harpe) - 1915年
- チェロ・ソナタ (Sonate pour violoncelle et piano) - 1915年
- ヴァイオリン・ソナタ (Sonate pour violon et piano) - 1916年 - 1917年
バレエ音楽
- 遊戯 (Jeux) - 1912年 - 1913年
- 1幕。ニジンスキー台本。
- カンマ (Khamma) - 1912年
- 3幕。ピアノ譜のみ。オーケストレーションはシャルル・ケクランによる。
- おもちゃ箱 (La boite à joujoux) - 1913年
- 4場の子供用バレエ。ピアノ譜のみ。オーケストレーションはアンドレ・カプレによる。
- プロローグ - おもちゃ箱 - 戦場 - 売られる羊小屋 - お金持ちになってから - エピローグ
- 沈黙の宮殿 (Le palais du silence) - 1914年
- 1幕。前奏曲と第1場の初めの草稿のみ現存。のちに「ノ・ジャ・リ」と変更した。ドビュッシーはこの作品を期日までに仕上げる事ができなかった。
歌曲
(カッコ内は詩人)
- 麦の花(Fleur des blés アンドレ・ジロー) - 1878年
- 美しき夕暮れ(Beau soir ポール・ブルジェ) - 1880年
- 星の夜(Nuits d'étoiles テオドール・ド・バンヴィル) - 1880年
- マンドリン(Mandoline ポール・ヴェルレーヌ) - 1882年
- 眠りの森の美女(La belle au bois dormant ヴァンサン・イスパ) - 1890年
- 今はもう春(Voici que le printemps ポール・ブルジェ) - 1883年
- 感傷的な風景(Paysage sentimental ポール・ブルジェ) - 1883年
- 西風(Zéphyr テオドール・ド・バンヴィル) - 1881年
- ロンドー(Rondeau アルフレッド・ド・ミュッセ) - 1882年
- パントマイム(Pantomime ポール・ヴェルレーヌ) - 1882年
- 月の光(Clair de lune ポール・ヴェルレーヌ) - 1882年。「艶なる宴 第1集」第3曲の初稿。
- ピエロ(Pierrot テオドール・ド・バンヴィル) - 1881年
- 顕現(Apparition ステファヌ・マラルメ) - 1884年
- 中国風のロンデル(Rondel chinois 作者不詳) - 1880年
- 愛し合い、そして眠ろう(Amios-nous et dormons テオドール・ド・バンヴィル) - 1881年
- ジャヌ(Jane ルコント・ド・リール) - 1881年
- 声をひそめて(En sourdine ポール・ヴェルレーヌ) - 「艶なる宴 第1集」第1曲の初稿。
- スペインの歌 (Chanson Españole) - 1883年。失われたとされてきたが、近年自筆譜が発見された。
- 2つのロマンス(2 Romances ポール・ブルジェ) - 1891年
- そぞろな悩める心 (Lâme évaporée et souffrante)
- 鐘 (Les cloches)
- シャルル・ボードレールの5つの詩 (5 Poémes de Charles Baudelaire) - 1887年 - 1889年
- バルコニー (Le balcon)
- 夕暮れの調べ (Harmonie du soir)
- 噴水 (Le jet d'eau)
- 黙想 (Recueillement)
- 恋人たちの死 (La mort des amants)
- お告げの鐘(グレゴワール・ル・ロワ)
- 3つの歌曲(3 Mélodies ポール・ヴェルレーヌ) - 1891年
- 海は美しい (La mer est plus belle)
- 角笛の音は (Le son du cor s'affige)
- 羊の群れと立ち並ぶ生垣は(L'échelonnement des haies)
- 艶なる宴 第1集(Fêtes galantes 1 ポール・ヴェルレーヌ) - 1891年
- 声をひそめて(En sourdine)
- 操り人形 (Fantoches)
- 月の光 (Clair de lune)
- 庭の中(Dans le jardin ポール・グラフォレ) - 1891年
- 叙情的散文(Proses lyriques 作曲者自身) - 1892~1893年
- 夢 (De rêve)
- 砂浜 (De grève)
- 花 (De fleurs)
- 夕暮れ (De soir)
- 忘れられたアリエッタ(Ariettes oubiées ポール・ヴェルレーヌ) - 1886年 - 1888年
- 忘れられた小歌 という場合もあり
- ビリティスの3つの歌(3 Chansons de Bilitis ピエール・ルイス) - 1897年 - 1898年
- パンの笛 (La flûte de Pan)
- 髪 (La chevelure)
- 水の精の墓 (Le tombeau des naïades)
- 眠れぬ夜 (Nuits blanches 作曲家自身) - 1899年 - 1902年。全5曲を構想していたが未完に終わった。
- 終わりなき夜 (Nuit sans fin)
- 彼女がいる時に (Lorsqu'elle est entrèe)
- 艶なる宴 第2集(Fêtes galantes 2 ポール・ヴェルレーヌ) - 1904年
- 無邪気な人たち (Les ingénus)
- 半獣神 (Le faune)
- 感傷的な対話 (Colloque sentimental)
- フランスの3つのシャンソン(Chansons de Franceシャルル・ドルレアン、トリスタン・レルミット) - 1904年
- ロンデル - 時は脱いだよ、そのマント
- 洞窟(La Grotte) - 「二人の恋人の散歩道」第1曲に再収録。
- ロンデル - 喜びが死んでしまったから
- 二人の恋人の散歩道(Le promenoir des deux amants トリスタン・レルミット) - 1904,1910年
- この暗い洞窟のほとり (Auprès de cette grotte sombre)
- 愛するクリメーヌよ、私の言うとおりにしておくれ (Crois mon conceil,chère Climène)
- 私は震える (Je tremble en voyant ton visage)
- フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード (3 Ballades de François Villon) - 1910年
- 恋人に与えるバラード (Ballade de Villon à s'amye)
- 聖母に祈るために母の要請で作られたヴィヨンのバラード (Ballade que feit Villon à la requeste de sa mère pour prier Notre Dame)
- パリジェンヌのバラード (Ballade des femmes de Paris)
- ステファヌ・マラルメの3つの詩 (3 Poèmes de Stèphane Mallarmé) - 1913年
- ため息 (Soupir)
- 取るに足らない願い (Placet futile)
- 扇 (Eventail)
- もう家の無い子のためのクリスマス(Noël des enfants qu n'nt plus de maison 作曲者自身) - 1915年
オペラ、カンタータ、劇付随音楽
- ペレアスとメリザンド (Pelléas et Mélisande) - 1893年 - 1895年、1901年 - 1902年
- 5幕15場のオペラ。メーテルランクの戯曲『ペレアスとメリザンド』をそのまま台本にしたもの。ワグネリズムの対極にある作品。完成したオペラはこの1作品のみ。
- 音楽劇『聖セバスティアンの殉教』 (Le martyr de St. Sébastian ガブリエーレ・ダンヌンツィオ) - 1911年
- 全曲は5幕の神秘劇。非常に大きなもので、編曲したものが演奏されることが多い。オーケストレーションにアンドレ・カプレの協力を得て完成。
- 拳闘士 (Cantate 'Le gladiateur') - 1883年
- 放蕩息子 (L'enfant prodigue) - 1884年、1906年 - 1908年改訂
- リア王 (King Lear) - 1904年
- 劇付随音楽。本来は7部からなるものであったが、作曲されたものは2曲のみである。
- ファンファーレ (Fanfare)
- リア王の眠り (Le sommeil de Lear)
- 森のディアヌ (Diane au bois) - 1884年 - 1886年
- ロドリーグとシメーヌ(Rodrigue et Chiméne) - 1890年 - 1893年
- 未完のオペラ。エル・シド伝説を題材としたカチュール・マンデスの台本による。台本は4幕5場だが、作曲は第3幕までの断片のみ。リチャード・ランハム・スミス(Richard Langham Smith)による補筆をエディソン・デニソフが管弦楽化、1993年に上演。
- 鐘楼の悪魔(Le diable dans le beffroi) - 1902年 - 1903年
- 未完のオペラ。エドガー・アラン・ポーの同名小説により作曲者が2幕3場の台本を作成したが、作曲は1幕分のスケッチのみ。一部が『ムジカ』誌の匿名コンクールに掲載された『ピアノのための小品』に転用。
- アッシャー家の崩壊 (La chute de la maison Usher) - 1908年 - 1918年
- 未完のオペラ。エドガー・アラン・ポーの同名小説をもとにしたもの。作者自身による2幕の台本は完成したが、作曲は全曲の半分ほどに終わる(楽譜は作曲者の死後、妻が関係者に配ったため散逸)。フアン・アジェンデ=ブリン (Juan Allende-Blin) が補完して、1977年に上演。その後、散逸していたスケッチを元にロバート・オーレッジ(Robert Orledge)が復元・補筆し、2006年にブレゲンツ音楽祭で上演。
その他の楽曲
- シャルル・ドルレアンの3つの歌 (Trois chansons de Charles d'Orléans) - 1898年および1908年
- 唯一の無伴奏混声合唱曲。2曲目はアルト独唱を伴う(後述の録音では、独唱パートは合唱で歌われている)。
- 神よ、なんと彼女を美しく見せ給うことか (Dieu! qu'il la fait bon regarder!)
- タンバリンが鳴り渡る時 (Quant j'ai ouy le tambourin)
- 冬よ、お前は嫌なやつだ (Yver, vous n'estes qu'un villain)
- シランクス (Syrinx) - 1912年
- 無伴奏フルート独奏曲。ムーレイの戯曲「プシュケ」のために作られたもの)
メディア
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その他
- ドビュッシー博物館
- サン=ジェルマン=アン=レーにあるドビュッシーの生家を博物館にしたもの。展示室およびオーディトリウムがある。1階は観光案内所。パリ中心部よりRER-A線で約20分、駅より徒歩5分。
- 墓碑
- パリ16区パッシー墓地にある。
- 肖像
- ユーロ導入前の20フラン紙幣にその肖像が描かれている。
外部リンク
参考文献
- フランソワ・ルシュール著、笠羽映子訳『伝記 クロード・ドビュッシー』 音楽之友社. 2003年
- {Lesure, F. 2003. Claude Debussy, Biographie critique. Paris, Fayard.}
- フランソワ・ルシュール、笠羽映子訳『ドビュッシー書簡集』 同.1999年
- {Lesure, F. 1993. Claude Debussy, correspondance 1884-1918, Paris, Hermann.}
- 原書版では、追加の書簡、相手からの来簡や家族の手紙も含めた「書簡全集」が刊行されている。
- {Claude Debussy Correspondance (1872-1918) édition établie par François Lesure et Denix Herlin, annotée par François Lesure, Denis Herlin et Georges Liébert, Gallimard nrf 2005年7月22日発行 ISBN 2-07-077255-1}
- Ashbrook, W. and Cobb, M.G. 1990. A portrait of Claude Debussy. Oxford: Clarendon Press. {Dietschy, M. 1962. La passion de Claude Debussy. Neuchâtel: Baconnière}
- Lockspeiser, E. 1962. Debussy: his life and mind volume 1, 1862-1902. New York, Macmillan.
- Lockspeiser, E. 1965. Debussy: his life and mind volume II, 1902-1918. New York: The Macmillan Company.
- Lockspeiser, E. 1972. Debussy. New York: McGraw-Hill.
- 杉本秀太郎訳 『音楽のために ドビュッシー評論集』 白水社、新装版2002年
- 松橋麻利 『ドビュッシー 作曲家・人と作品』 音楽之友社 2007年
関連項目
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