ウガンダ
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プライバシー・ポリシー Wikipedioについて 免責事項 Template:基礎情報 国 ウガンダ共和国(ウガンダきょうわこく)、通称ウガンダは、アフリカ東部に位置する共和制国家。ケニア、スーダン、コンゴ民主共和国、ルワンダ、タンザニアに囲まれた内陸国である。首都はカンパラ。
ナイル川(白ナイル)の始まるビクトリア湖に接している。旧イギリス植民地。
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国名
スワヒリ語での正式名称は、Jamhuri ya Uganda(ジャムフリ・ヤ・ウガンダ)、英語での正式名称は、Republic of Uganda(リパブリック・オブ・ウガンダ或はユガンダ)。通称、Uganda。
日本語の表記は、ウガンダ共和国。通称、ウガンダ。
「ウガンダ」の名はブガンダ王国のスワヒリ語名称に因む。
歴史
詳細はウガンダの歴史Template:Enlinkを参照
16世紀初頭、ブニョロ、ブガンダ、アンコーレ、ルワンダ、ブルンディなどの大湖地方の諸王国が成立。17世紀中頃、ナルバーレ(ヴィクトリア湖)北西岸のブニョロ王国最盛期。19世紀中頃、ブガンダ王国がザンジバルとの交易で繁栄。その後、カトリック、プロテスタント、ムスリムの間で勢力争いがあり、その背景には、イギリスとドイツ、フランスの権益争いがあった。ヘルゴランド=ザンジバル条約によってイギリスの勢力圏とされた。
第二次世界大戦後、独立の気運が高まり、1962年に英連邦王国の一員として独立した。翌1963年に共和制へ移行。1966年、首相のウガンダ人民会議のミルトン・オボテが大統領のムテサ2世を排除して終身大統領に就任し、社会主義路線を掲げた。1971年1月に軍司令官イディ・アミンがクーデターで政権を掌握、独裁政治を敷いた。相次ぐ恐怖政治で30万人以上に及ぶ国民が虐殺される。1978年にタンザニアに侵攻したが、逆にタンザニア軍に首都のカンパラまで攻め込まれた(ウガンダ・タンザニア戦争Template:Enlink)。1979年、反体制派のウガンダ民族解放戦線に攻撃されてアミンは失脚し、サウジアラビアに亡命した。大統領にはオボテが復帰したが、その後も1985年、1986年とクーデタが相次ぎ、ムセベニが権力を獲得しゲリラ闘争を行っていた国民抵抗軍が正規軍と置き換わった。
2006年8月12日、ウガンダ政府と反政府武装組織「神の抵抗軍」(LRA) との和平交渉は、双方の戦闘行為停止に関する合意が出来ないまま14日まで休会されることになった。戦闘と敵対的宣伝の停止で合意している。26日、3週間以内にスーダン南部に設けられる2カ所のキャンプに集結することで合意した。
2007年11月29日 ウガンダでエボラ出血熱が発生し、51人が感染し、16人が死亡した。新種のエボラウィルスである。
政治
詳細はウガンダの政治Template:Enlinkを参照
ウガンダは1995年10月に発行した憲法に基づき統治されている。国家元首は大統領で、国民の直接選挙で選出され任期は5年。大統領は首相・閣僚任免権など強大な権力が保障されている。
国民抵抗運動Template:Enlink (NRM) が無党制を導入していたため、他にウガンダ人民会議、ウガンダ愛国運動Template:Enlink(解散)、保守党Template:Enlinkなどの政党が存在するものの、NRM以外の政治活動は禁止されている。議会選への立候補も特定の党員資格を持つ者は許されず、個人資格のみ許可される。しかし個人資格といってもNRMの選挙機関「ムーブメント」の組織的支援を受けた者しか、事実上当選しない仕組みとなっている。複数政党制の導入をめぐる国民投票が2000年6月に実施されたが、野党のボイコットにより一党制が「圧倒的支持」を受けた。しかし2005年7月の国民投票では複数政党制が支持され、現在では登録された政党が公的に活動し、選挙に候補者を送ることができるようになった。
また、ウガンダ自体は共和制であるが、ウガンダ国内にトロ王国、ブニョロ、ブガンダ、ブソガの伝統的な地方王国が存在している。これらは1967年に一度廃止されたものが1990年代に復活したものであり、各王国の国王は「文化的指導者」と位置づけられ、政治的な力を持たない儀礼的な存在である。
地方行政区分
県
- 北部
- アジュマニ県、グル県、キトゥグム県、パデル県、リラ県、アパッチ県
- 北西部
- アルア県、ユンベ県、モヨ県、ネビ県、コボコ県
- 北東部
- カボング県、コティド県、モロト県、ナカピリピリティ県、カタクイ県、アムリア県、カベラマイド県
- 西部
- ブンディブギョ県
- 南西部
- カセセ県、キソロ県、ルクンギリ県、カヌング県
その他計80県
主要都市
- アルア Arua
- エンテベ Entebbe:ウガンダ唯一の国際空港(エンテベ国際空港)がある街。
- カセセ
- カンパラ(首都)
- グル Gulu
- ジンジャ - 1862年イギリスの探検家スピークが、ビクトリア湖の白ナイルの源流を「発見」した場所。イギリス風の美しい街。
- ソロティ Soroti:女子中学生が反政府勢力、神の抵抗軍 (LRA) に組織幹部の愛人にするため100人以上誘拐されたルワラ女子中学校はソロティから約50kmのところにある。
- マサカ Masaka:ウガンダで3番目に大きな街。
- マシンディ
- ムバララ(ンバララ)Mbarara
- ムバレ(ンバレ)Mbale
- モロト Moroto
- リラ Lira
- カランガラ
地理
ウガンダは東アフリカ高原に位置し、平均標高1,100mで北のスーダン平原になだらかに下る。中部にキョガ湖があり、南部と共に湿地帯である。全体がナイル盆地の中にあり、ナイル川の水はキョガ湖に続き、コンゴ民主共和国との国境のアルバート湖に注ぎ、そこから北のスーダンに流れる。
赤道直下であるが、気候は場所により少し異なる。南部は通年で雨が多い。ビクトリア湖北岸のエンテベの雨季は3月から6月と11月から12月である。北部では乾季が多く、スーダンから120kmのグルでは11月から2月が非常に乾燥している。コンゴ民主共和国に近い南西部のルウェンゾリは一年を通して雨が多い。ビクトリア湖が気候に大きく影響し、気温の変化を妨げ、雲と雨を発生させている。首都カンパラはエンテベに近い北岸に位置する。
経済
詳細はウガンダの経済Template:Enlinkを参照
広大で肥沃な土地、豊富な降雨、鉱物資源に恵まれ、大きな開発ポテンシャルを持つが、これまでの政治的不安定と誤った経済運営で、ウガンダは世界最貧国として開発から取り残された。アミン統治の混乱後、1981年に経済回復計画で外国支援を受け始めたが、1984年以降の金融拡大政策と市民闘争の勃発が回復を遅らせた。1986年に経済再生を掲げた政府は交通と通信を再構築始めた。1987年に外部支援の必要性からIMFと世界銀行に対し政策を明言した。この政策は実行され、インフレは2003年の7.3%まで着実に減少した。
農業ではアフリカでも有数のコーヒー生産国で、2002年輸出額の27%を占める。ほかに輸出品として衣料、動物の皮、バニラ、野菜、果物、切花、魚が成長しており、綿、茶、タバコも依然重要な産品である。
工業はセメントなど再生中である。プラスチック、石けん、ビールなど飲料は国内生産されている。Tororoセメント社などは東アフリカ諸国の需要に応えている。
ウガンダの交通は、主としてカンパラから伸びる道路網が約3万km、うち舗装が2800km。鉄道は1350kmで、インド洋に面したケニアのモンバサからトロロまで、さらにカンパラ、ムバレなどへの支線がある。国際空港はビクトリア湖に面したエンテベ空港で、カンパラから32kmである。
通信はウガンダ通信委員会(UCC)が管理する。
エネルギー
詳細はウガンダのエネルギーTemplate:Enlinkを参照
1980年代までは国内エネルギー需要の95%は木炭と木材で賄われていた。商業需要の23%が石油製品により、わずか3%が電力に頼っていた。政府は薪ストーブ使用を奨励したが普及に至らなかった。現在改善されたとは言え、数時間に及ぶ停電が、とくに農村部で頻発する。
白ナイル川を利用した電力開発は遅れていたが、2000年のナルバーレ発電所による380メガワット供給開始で、東アフリカでも主要発電国となった。ブジャガリ滝での発電計画は環境破壊が指摘され、世界銀行も2002年に支援中止した。下流のカルマ滝発電所も、この影響で建設開始が遅れている。
ウガンダは国内石油需要日量7千バレル(2004年)のほとんどをケニアのモンバサからの輸入に頼っている。石油製品パイプラインはケニアのエルドレットまで延びており、その先はトラック輸送である。カンパラまで320kmのパイプライン延伸を調査することで両国が1995年に合意した。しかし、2006年にウガンダで石油が発見されたことにより、ウガンダからインド洋への原油パイプライン建設計画が石油会社から出された。大統領は原油輸出に反対で、カンパラに製油所を建設し、近隣諸国への石油製品輸出に期待し、最近イランから協力合意を得た。一方、石油発見に伴い、2007年8月アルバート湖での探査作業中に、コンゴ民主共和国軍から攻撃を受け、死者が出ると共にウガンダ兵が拘束されるという事件が発生した。両国はアルバート湖の国境、とくにルクワンジ島の領有を巡って協議している。
国民
詳細はウガンダの人口統計Template:Enlinkを参照
[[ファイル:Languages of Uganda.png|thumb|right|300px|ウガンダのほぼ正確な言語分布図。色は語群を示す。例えば、ガンダ語、ニャンコレ語は緑色のバントゥー語群に入る]]
- 言語 - 英語(公用語)、スワヒリ語、ガンダ語Template:Enlink、ニャンコレ語Template:Enlink、ニョロ語Template:Enlink、アテソ語、ルオ語Template:Enlink、フランス語など
- 民族 - ガンダ族(バンツー系)、ソガ族、ニャンコレ族、キガ族、ランゴ族、アチョリ族、カラモジョン族(ナイル系)、テソ族、インド系など
- 宗教 - キリスト教(60%、75%とも)、伝統宗教、精霊信仰(30%)、イスラーム(10%)、アバユダヤ(おもに東部に住むユダヤ教徒)
文化
詳細はウガンダの文化Template:Enlinkを参照 Template:-
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | New year Day | |
1月26日 | 解放記念日 | Liberation Day | |
3月8日 | 国際女性デー | International Women's Day | |
3月or4月 | 聖金曜日 | Good Frida | 変動祝日 |
3月or4月 | イースター・マンデー | Easter Monday | 変動祝日 |
5月1日 | メーデー | Labour Day | |
6月3日 | ウガンダ殉教者の日 | Martyrs of Uganda | |
6月9日 | 英雄の日 | ||
10月9日 | 独立記念日 | Independence Day | |
12月25日 | クリスマス | Christmas Day | |
12月26日 | ボクシング・デー | Boxing Day | |
イード・アル=フィトルTemplate:Enlink | Eid ul-Fitr | ラマダーン明けの祝日 | |
イード・アル=アドハー | Eid ul-Adha | ラマダーン明けから70日後 |
HIV/AIDS
詳細はウガンダのHIV/エイズTemplate:Enlinkを参照
ウガンダはアフリカ大陸の国のうちで、HIV/AIDSの流行に対する国家的な対策が、効果的であった国のひとつである。1986年の内戦の後のムセベニ政権がエイズ対策を掲げ世界のエイズ研究者が集まり、新しくHIVに感染する割合が劇的に低下した。1990年代初期のHIV感染率は18.5%と推測されたが、2002年には5%にまで減少した。しかし最新の統計では約7%に増加している。
国の象徴
- 国鳥 - カンムリヅル
ウガンダ出身の人物
- アユブ・カルレ(ボクシング/世界ジュニア・ミドル級チャンピオン)
- イブラヒム・セカギャ(サッカー選手、レッドブル・ザルツブルク所属)
- モーゼス・キプシロ(陸上競技選手、2007年世界陸上競技選手権大会男子5000m銅メダリスト)
脚注
関連項目
- ウガンダ関係記事の一覧
- イディ・アミン(元大統領)
- 神の抵抗軍 (Lord's Resistance Army): 北部で活動する反政府勢力。キリスト教系の武装教団。子供の集団誘拐を行っていると非難されている。
- エンテベ空港奇襲作戦
外部リンク
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- 政府
- 日本政府
- 観光
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