ウィーン

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プライバシー・ポリシー Wikipedioについて 免責事項 Template:Redirect Template:基礎情報 オーストリアの州 ウィーン (Template:Lang-de-short) は、オーストリア首都。人口は169万8957人(2009年12月31日)。都市単独で一つの連邦州である。位置は、北緯48度12分5秒、東経16度22分38秒。クラシック音楽が盛んで「音楽の都」・「楽都」とも呼ばれる欧州有数の世界都市である。オーストリア=ハンガリー帝国の首都であった。

日本語ではウィーンと表記・発音するが、標準ドイツ語でのWの発音は [v] であり、ヴィーンである。バイエルン・オーストリア語ではWeanドイツ語#方言を参照)、英語ではヴィエナ (Vienna), フランス語ではヴィエンヌ (Vienne) となる。なお、漢字による当て字は維納

目次

概要

thumb|250px|ウィーンの位置 左のアルプス山脈と右のカルパティア山脈(図にはほとんど描かれていない)の間を流れるドナウ川のほとりにあるため、交通の要衝でもある thumb|200px|ウィーン市街の遠景 左に国際機関本部の集積地 (Vienna International Centre) があり、ドナウ川をはさんで赤い屋根の旧市街が広がる。南を向いて撮影

ローマ帝国の宿営地ウィンドボナ (Vindobona) をその起源とし、かつてヨーロッパの数カ国を支配したハプスブルク家オーストリア帝国の首都であった。マリア・テレジア女帝時代に栄えた市街は、フランツ・ヨーゼフ1世の治下で整備された。リンクと呼ばれる環状道路は、ウィーンの近代化を実現するために、19世紀の後半にかつて旧市街を囲んでいた堀を埋め立てて造られたものである。シュテファン寺院をや旧市街をふくむ歴史地区は、「ウィーン歴史地区」の名称で2001年ユネスコ世界遺産に登録された。ここには旧王宮(ホーフブルク、現在は大統領官邸や博物館、国立図書館などとして使用)・ウィーン国立歌劇場・ブルク劇場・自然史博物館・美術史博物館、南駅に近いベルヴェデーレ宮殿などが含まれる。

ウィーンは、そもそもの成り立ちが2つのが交差するところに生まれた町であった。ドナウ川に沿ってヨーロッパを東西に横切る道と、バルト海イタリアを結ぶ南北の道(「琥珀街道」)である。そこはゲルマン系、スラヴ系マジャール系ラテン系のそれぞれの居住域の接点にあたり、歴史的にみても、上述のように、紀元前5世紀以降ケルト人の居住する小村であったところにローマ帝国の北の拠点が建設されたのが起源であった。オスマン帝国の隆盛時にはヨーロッパからみてアジアへの入り口にもあたっており、伝統的にも多彩な民族性を集約する都市として栄えた。

その地理上の位置は、かつて共産圏に属した東ドイツベルリン東欧スラヴ民族の国家チェコプラハよりも東であり、第二次世界大戦後の冷戦時代にあっても、国際政治上微妙な位置にあった。

また、都心から南南西方面に離れた場所には、かつてウィーン会議の舞台となったことで有名な世界遺産シェーンブルン宮殿がある。これは、レオポルト1世が狩猟用の別荘として建てたものを、マリア・テレジアが離宮として完成させたものである。

現在のウィーンは、国際機関の本部の集積地ともなっており、日本政府も在ウィーン国際機関日本政府代表部を置いている。ウィーンに本部を置いている機関は次の通り。

歴史

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ローマ時代

ローマ時代、ウィーンはちょうど帝国の北の境界にあたる位置にあり、恐らくケルト語源でウィンドボナ(bonaはケルト語で集落・町)と呼ばれる宿営地が置かれた。これがウィーンの地名の起源と言われている。

ハプスブルク家の帝都

[[ファイル:Canaletto (I) 058.jpg|thumb|200px|18世紀のウィーン]] [[ファイル:Palacio de schönbrunn 01.jpg|thumb|200px|シェーンブルン宮殿]] 中世にもドナウ河沿いの交易地として発展したウィーンが本格的な発展期を迎えたのは、オーストリアを治めていたバーベンベルク家が1155年にクロスターノイブルクからウィーンに都を移したことに起因する。1221年、ウィーンは都市特権を獲得した。バーベンベルク家は13世紀半ばに断絶し、1278年よりオーストリア公となったハプスブルク家の支配下におかれた。14世紀、建設公と称されたルドルフ4世のもとで、ウィーンは大きな発展を遂げた。この時代にシュテファン寺院(シュテファン大聖堂)やウィーン大学が建てられている。やがてハプスブルク家は婚姻政策の成功により16世紀に入るとボヘミアハンガリーを初めとする多くの王国を相続し、ドイツ神聖ローマ帝国の帝位を独占。16世紀前半にはカール5世のもとヨーロッパ最大のドイツ系の帝国を築くに至る。一時はオスマン帝国による第一次ウィーン包囲(1529年)など、ヨーロッパ全体を震撼させる事件もあったが、ハプスブルク家のもとで帝都ウィーンでは華やかな貴族文化が栄えていた。1683年にもオスマン帝国による第二次ウィーン包囲を受けたが撃退、17世紀末からは旧市街の王宮ホーフブルクに加え、離宮シェーンブルン宮殿が郊外(現在は市内)に造営された。これが18世紀末から現在に至る「音楽の都ウィーン」の礎となった。18世紀末にはヨーゼフ2世によりウィーン総合病院が開設され、プラーター公園が一般市民に開放されるなど都市環境が改善されていった。

19世紀半ばに産業革命を迎えたウィーンは農村からの人口流入により急激な人口増加を経験した。1869年に63万人であった人口は、1910年には203万を数え、当時のヨーロッパではウィーンは、ロンドン、パリ、ベルリンと並ぶ都会であった。1873年にはウィーン万国博覧会も開催されている。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は自ら立案して大規模な都市改造を行い、市壁を撤去し環状の道路(リンク)と置き換え、路面電車を導入するとともに、歴史主義的建造物やモニュメントを街路に面して配した。現在のウィーン旧市街の外観はこの改造によっている。

オーストリア=ハンガリー帝国多民族国家であり、支配民族であったドイツ人は帝国の人口5千万の25%あまりを占めるにすぎなかった。帝国各地からの人口流入により、ウィーンの街ではドイツ語ハンガリー語チェコ語ポーランド語イディッシュ語ルーマニア語はもちろんのこと、ロマ語イタリア語までヨーロッパのあらゆる言語を耳にすることができたと言われる。

帝国各地からあらゆる民族出身の才能が集まり、ウィーン文化はその絶頂期を迎えた。 Template:Main

第一次大戦と帝国の崩壊

1914年に始まった第一次世界大戦1918年にドイツ帝国・オーストリア帝国の敗北をもって終了。ハプスブルク家のオーストリア帝国は解体し、チェコスロバキアハンガリーユーゴスラビアポーランドなどが次々と独立、ウィーンは経済的困窮に追い込まれる。新しい共和国の首都となったウィーンでは社会主義系の市政が発足し、保守的な地方の農村部からは「赤いウィーン」と呼ばれて、両派の政治的確執は国政全体の不安定へとつながった。このような時代をウィーンで過ごしたアドルフ・ヒトラーはやがてドイツで独裁者となり、ヒトラーは母国オーストリアをドイツに併合し(アンシュルス)、ウィーンは約700年ぶりに首都でなくなった。

永世中立国の首都として

thumb|200px|ウィーン国際センター(国連諸機関の入るオフィスビル) 1945年、第二次世界大戦でナチスは崩壊し、ウィーンは米英仏ソ四ヶ国の共同占領下に置かれた。映画『第三の男』はこの時代のウィーンの雰囲気をよく伝えている。1955年にオーストリアは主権国家として独立を回復。旧ハプスブルク帝国の継承国家の殆どが共産圏に組み込まれる中で、オーストリアでは共産党は国民の支持を得られず、経済的には西側との関係を保ったまま永世中立国として歩むことになった。オーストリア人のクルト・ヴァルトハイム国連事務総長としてウィーンをニューヨークジュネーヴにつぐ第三の国連都市にすることに成功した。ウィーンは数々の国際機関の所在地となった。しかし、鉄のカーテンにより、かつての後背地であった東欧を失ったウィーンの人口はゆるやかに減少を続けた。人口100万人以上の大都市のうち、20世紀を通して人口が減少したのはウィーンだけである。

現代のウィーン

1989年のベルリンの壁崩壊は、中欧におけるウィーンのもつ価値を蘇らせた。150万人を切っていた人口は外国人の流入により再び増加傾向にあり、2050年ごろには再び200万人の大台を回復すると予想されている。これは2004年に中東欧8ヶ国がヨーロッパ連合に加盟したのに加えて、2007年にはルーマニアブルガリアが加盟、その後もクロアチアをはじめとするバルカン諸国の加盟が見込まれるからである。

ウィーンには中東欧の経済的中枢として多くの多国籍企業が進出するようになったが、旧共産圏諸国のインフラが整うにつれて、企業の拠点としてはプラハブダペストなどとの競合も厳しくなっている。このため2005年には法人税などが引き下げられた。

ウィーン市は現在バイオテクノロジー産業の育成に注力しており、Vienna Biocenterなどを積極的に整備している。他方、観光も相変わらずウィーンの重要産業である。国際会議の開催件数では06年はパリを上回り世界1位であった。

関連項目

地理

[[ファイル:Wien-Landsat001.jpg|thumb|200px|ウィーンの衛星写真 中央上から右中央に流れるのがドナウ川。画面中央部に向かってドナウ川から分かれる細い流れがドナウ運河。画面中央部にドナウ運河を左側に位置するのがウィーン旧市街である(ランドサット映像)]] Template:Seealso

川と運河

市の中央を、北西から南東にかけてドナウ川が横切っている。かつては氾濫を繰り返したこの川は19世紀に大規模な治水工事が行われたことで、現在のようなまっすぐな姿になった。旧市街に接して、ドナウ運河が流れており、こちらをドナウ河であると誤解する観光客も多い。ウィーン市街はドナウ右岸を中心に発展してきたが、近年左岸は地下鉄の延長工事が進行中で、新興住宅地として人口が増加している。

森林と公園

ウィーン市西部はウィーンの森として知られる森林地帯になっている。散策路が縦横無尽に走っており、市民の憩いの場になっている。13区にあるラインツ動物園内には皇帝の別荘ヘルメスヴィラがあり、現在は市民に開放されている。

元皇室の料地でヨーゼフ2世が一般市民に開放したプラーター公園があり、公園内に映画『第三の男』で有名な観覧車がある。

墓地

ウィーン中央墓地は帝国崩壊前に人口400万を想定して建設された巨大な墓地である。著名な作曲家の墓は一ヶ所に集められており、訪れる日本人も多い。ウィーン市が所有しており、全て分譲ではなく賃貸である。

サンクト・マルクス墓地は、モーツァルトが埋葬された事で有名だが、遺骨は不明のため、現在は中央墓地に墓碑がある。グスタフ・マーラーの墓は中央墓地ではなく、妻アルマの実家に近い19区のグリンツィング墓地にある。

気候

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政治

thumb|200px|「カール・マルクス・ホーフ」と呼ばれる市営住宅は戦間期の「赤いウィーン」の代表的建築物である ウィーンは市であると同時に連邦州である。伝統的にオーストリア社会民主党(SPÖ)の牙城であり、市議会でも過半数を握っている。 市長(=州知事)は直接選挙ではなく市議会で選ばれ、現在はミヒャエル・ホイプルである。

前市長の故ヘルムート・ツィルクは「男はつらいよ・寅次郎心の旅路」に出演するなど親日家としても知られる。

日本との姉妹・友好都市関係

  • ウィーン市1区 (Innere Stadt) - 東京都台東区
  • ウィーン市9区 (Alsergrund) - 兵庫県宝塚市
  • ウィーン市12区 (Meidling) - 岐阜県岐阜市
  • ウィーン市13区 (Hietzing) - 大阪府羽曳野市
  • ウィーン市17区 (Hernals) - 東京都府中市
  • ウィーン市19区 (Döbling) - 東京都世田谷区
  • ウィーン市21区 (Floridsdorf) - 東京都葛飾区
  • ウィーン市22区 (Donaustadt) - 東京都荒川区

経済

2008年、プライスウォーターハウスクーパースが公表した調査によると、ウィーンの都市GDPは1220億ドルであり、世界第50位である<ref>プライスウォーターハウスクーパースによる都市のGDP</ref>。金融業、観光業が盛んで、オーストリアの国内総生産の約5分の1を占める。21年から2年に1度開かれるウィーン見本市は、中央ヨーロッパの経済活動に重要な役割をはたしている。第二次世界大戦後のウィーンを特色づけるのは、外国人観光客の増加である。

交通

空港

ウィーン国際空港(空港コードVIE)

都心から東南東に約20キロメートル離れた、ドナウ河沿いのニーダーエスターライヒ州シュヴェヒャートにある国際空港。オーストリア航空グループ、Fly NIKI、Sky Europeがこの空港をベースに多くの路線を開設している。2007年の利用者は1876万8468人。冷戦期は小さな空港であったが、現在は西欧と東欧、中東を結ぶハブ空港として大きく成長している。フランクフルト国際空港を凌ぎ、最も多くの東欧路線をもつ空港である。3本目の滑走路の計画があるが、現在環境影響評価などの手続き中である。2009年には新しい鉄道駅がオープンした。日本からは成田空港よりオーストリア航空便が就航している。

ウィーン・ミッテ駅よりノンストップ16分のCAT (City Airport Train) があるほか、Sバーンによってウィーン市内と結ばれている。またリムジンバスがウィーン西駅、南駅や、スロバキア、ハンガリー、チェコなどを結んでいる。

2012年末にはリンツ方面からの長距離列車が乗り入れる予定。

将来的には、空港から南側に線路を新設しオーストリア東部鉄道に接続する計画がある。ウィーン方面から国際空港を通り、スロバキアの首都ブラチスラヴァやハンガリー方面に列車が運行されることになる。

高速道路

西方のリンツやザルツブルク、そしてドイツ方面と結ぶA1はオーストリアの背骨といえる。これに南のグラーツイタリアスロベニア方面と結ぶA2は冷戦期に既に開通していた。90年代になり、ウィーン国際空港まで開通していたA4がブダペストまで延伸された。またA4から分岐してブラチスラヴァに至るA6が2007年に開通した。

2004年のEU拡大にともない、新規加盟国からの通過車両が増え、市内のA23では渋滞が激しくなっていたが、A4とA2を結ぶ環状道路の役割をもつS1が2006年4月に供用開始され、リンツおよびグラーツ方面からウィーン空港、ブダペスト方面への渋滞なしに行けるようになった。

ブルノ方面への高速道路A5は2010年2月にSchrickまで部分開通、併せて環状線S1の北部区間も開通した。 2013年にA5のチェコ国境までの開通が予定されている。

オーストリアの高速道路は、料金所をもたない。自家用車はVignetteと呼ばれる有効期限のあるシールを購入して貼らなければならないが、年間72ユーロと割安である。2か月有効や、10日有効のものもある。貼らないで走行していることが見つかると高額の罰金を徴収される。トラックについては車両に積載された装置により走行キロ数に応じて料金を徴収するシステムになっている。

鉄道

主要幹線はオーストリア連邦鉄道 (ÖBB) により運行されている。政府から莫大な補助金を受け取りながらも赤字であるため、リストラが進められる一方、巨額のインフラ投資を行っている。これはEUの拡大による交通量の増大と、オーストリアの二酸化炭素排出抑制目標達成が極めて困難視されていることによるものである。

かつてウィーンからは帝国の各方面にむけて個別に鉄道が敷かれたため、パリやロンドンなどに見られるようにターミナル駅が分散しているが、これは現代の国際的な旅客移動を考えると合理的ではない。例えばドイツ方面から東欧方面に乗り継ぐためには、西駅から南駅に路面電車で移動しなければならない。また、南駅も構内で東駅と南駅に分かれており、イタリア方面から東欧方面には直通できない構造になっていた。このため、全ての国際列車が発着するウィーン中央駅 (Wien Hauptbahnhof) が建設されることになった。新駅は、地下鉄U1のSüdtirolerplatz駅と結ばれる。2012年末に暫定開業、2015年に全面完成を予定している。第二次大戦後に建てられた旧南駅舎は取り壊され、跡地にはオフィスビルや住宅、緑地、学校、商店などを含む複合施設街区ができる。駅と直結した2万m²の商業施設も予定されている。

ウィーン西駅からリンツ・ザルツブルク方面へ向かうオーストリア西部鉄道はEUからTENの指定を受けた路線であり、パリ - ミュンヘン - ウィーン - ブダペストを結ぶ欧州の背骨である。このため現在、高規格路線化の工事が順次進められている。2008年末の新車両の導入により最高時速200キロで運行されている。ウィーン市内では中央駅に乗り入れるためのラインツ・トンネルの工事が進められている。完成後はリンツ方面からウィーン国際空港まで直通する予定である。

また、ポーランド南部までのびている軌間の広いシベリア鉄道をウィーンまたはブラチスラヴァまで延長し、ドナウ川の水運を利用してヨーロッパ各地までアジアからの貨物を運ぶ計画が進行中である。

市内の主要駅は以下の通り。

  • 西駅 (Westbahnhof):ドイツスイスリンツザルツブルクインスブルック方面 地下鉄U6、U3が発着。市内最大の商店街であるマリアヒルファー通りに近い。現在、駅舎を保存したままオフィスやショッピングゾーンなどをつくるための大規模な増改築工事が進められており、2011年に完成予定。しかし2013年にウィーン中央駅が開業後は近距離の列車のみが発着する駅となる。
  • 南駅 (Südbahnhof):グラーツイタリアスロベニアハンガリースロバキアチェコ方面。ベルヴェデーレ宮殿の真向かいにある。ターミナル構造をした2つの駅が合わさったような構造になっていて、グラーツ方面を南駅、ハンガリー方面を東駅と呼んでいた。このターミナル構造を解消して通り抜けできる構造に改築、トンネルを掘ってリンツ方面からも直通できるようにし、ウィーン中央駅として開設する工事が進めるため、2009年12月をもって旧東駅部分以外は廃止された。南駅の機能はマイドリンク駅に移された。
  • フランツ・ヨーゼフ駅 (Franz-Josefs Bahnhof):グミュントクレムスチェスケ・ブデヨヴィツェ方面 かつてはウィーンとプラハを結ぶ特急の発着駅であったが、現在では完全に国内向けの駅となった。駅舎は1980年代に建設された近代建築で外観はガラス張り。線路上を建物が覆っており、Spittelau寄りにはウィーン経済大学およびウィーン大学理学部が入居している。
  • ミッテ駅 (Wien Mitte):Sバーンの主要路線および、地下鉄U4、U3、空港特急CATが発着し、チェックイン設備もある。地下鉄を含めた1日の発着列車数が国内で最も多い駅である。ミッテは「中央」の意だが、これは駅が市内中央部に位置するためであり、ドイツ語圏でその都市の代表駅をいう「中央駅」(Hauptbahnhof) のことではない。国際列車や長距離列車も殆ど発着していない。現在改築中で、2010年秋にはショッピングセンターやオフィス、ホテルなどを含むビルが完成予定。
  • プラーターシュテルン駅 (Wien Praterstern):以前はウィーン北駅 (Bahnhof Wien Nord) と呼ばれていたが2008年に改築を機に名称変更された。プラターに近く、地下鉄U1, U2, 路面電車の5, Oなどが通る交通の結節点である。
  • マイドリング駅 (Wien Meidling):ウィーン中央駅が開業するまでの間、南駅の機能は主にこの駅に移されている。U6やWiener Lokalbahn、路面電車62等が通じている交通の結節点である。

市内交通

Template:Main thumb|left|200px|ウィーンの路面電車 段差18cmで世界一床が低いためUltra Low Floor tram (ULF) と呼ばれる thumb|right|200px|カールスプラッツ駅舎(オットー・ワグナー設計) thumb|right|200px|フィアカー(観光馬車) 市内にはUバーン(地下鉄)とSバーン(近郊電車)、路面電車およびバス路線がくまなく走っている。Uバーンと路面電車はウィーン市交通局が運営している。かつてウィーンは地下鉄の整備が遅れていたため、世界最大の路面電車王国であったが、現在地下鉄の整備も進み、路面電車は地下鉄の補完的な役割になりつつあるが、それでも尚市交通局の路線総延長は188km、路線系統は32系統と、大規模なネットワークを誇る。路面電車の車両はバリアフリーの超低床車(右上写真)が順次導入されている。これは通称ULFと称し、ポルシェ社のデザインで、世界一の超低床を誇る。ウィーン市21区にあるシーメンスで製作されたものである。また、オーストリア連邦政府の支援の下、貨物輸送を行っており、現在ウィーン市交通局の車両工場と車庫を結ぶ部品配給用の事業用列車が運行されている。2006年にはそれに加え、試験的ながら"ULF"を使用して、クリスマスシーズンのショッピング小荷物の配送を請け負った実績を残している。  ウィーン国立歌劇場横にあるオーパー停留所では、保養地であるバーデンまでの間を結ぶウィーン地方鉄道の電車が乗り入れてくる光景が見られる。

地下鉄はU1、U2、U3、U4、U6の5路線であり、このうちU4とU6は19世紀末の市街鉄道 (Stadtbahn) を1970年代末に地下鉄として改築・再利用したもの(一部区間は延伸)であり、建築家オットー・ワーグナーの手になる建築・インフラ群が現在も多く使用されている。他の3路線は1980年以降に新たに開通したものである。

2006年9月にはU1が北にLeopoldauまで、2008年5月には翌月開催されたサッカー欧州選手権決勝の会場であるスタジアムまでU2が延伸された。2010年には更にドナウ川を超え、22区に達する予定である。昔の飛行場跡地であるFlugfeld Aspernには新しいニュータウンが計画されている。

また、欠番となっているU5の建設計画も存在する。このU5計画は、既存のU2の一部 (Karlsplatz方面〜Rathaus) をU5に転換し、それを更に北西部に向けて延伸するものである。また、U2はRathausから南進し、繁華街のNeubaugasseでU3と、PilgramgasseでU4と、MatzleinsdorferplatzでS-Bahnと接続させWienerbergのビジネスパークに至るという計画である。しかし、これらより先にRothneusiedlまでのU1の南部延伸、U2の南部延伸などが予定されているため、U5が着工される具体的な時期はまだめどがたっていない。ウィーンの地下鉄の計画はこれまで何度も変更されてきているため、いずれかの時点で建設がされるかどうかも明らかではない。

ウィーン郊外とウィーン市内を結ぶSバーンは増強計画があるが、連邦予算の不足により遅れている。路面電車と同様に、昇降の楽な新型車両は導入されたが、運行本数そのものが少なく、遅延が多いなど評判はあまりかんばしくない。このため郊外からの通勤者が自家用車を利用する傾向が強まっており、ウィーンの都心地区への自家用車の流入を防ぐため、地下鉄の終着駅付近を中心にパークアンドライド施設の整備が進められており、安い料金で丸一日駐車をすることができる。長期契約もある。

観光

[[ファイル:Stephansdom.JPG|thumb|200px|シュテファン大聖堂]] thumb|200px|ペーター教会

宮廷文化の栄えたウィーンは18世紀末から20世紀初頭にかけて、数々の大作曲家の活躍の舞台となった。

また、かつては世界屈指の学問の都であり特に19世紀末から20世紀初頭にかけて多くの先端的な業績を生み出した他、カールス教会等、建築分野でも傑作が存在する。

宮殿、大聖堂

劇場

  • ブルク劇場 ドイツ語圏で最高の格式を誇るとされる劇場

カフェハウス

thumb|200px|Kaffee Alt Wien ウィーンのカフェハウスは、オスマントルコによるウィーン包囲の際にトルコ軍の忘れていったコーヒー豆をコシルツキーが発見したことに始まると言われる。19世紀にはウィーンのカフェ文化は文化生活の中心であった。多くのカフェは当時と変わらぬ姿で現在でも多くの観光客を惹きつけている。なお、天津天津飯が存在しないのと同様、ウィーンにもウィンナ・コーヒーなるものは存在しない。

ウィーンの代表的カフェハウスには以下のようなものがある。

  • Gerstner 1847年創業。旧皇室御用達 (k.u.k.)でケルントナー通りにある。ウィーン国立歌劇場内や楽友協会ホール内にも出店している(コンサートの休憩時間に利用できる)。KHM(美術史博物館)内にも支店がある。
  • Sacher 国立歌劇場の裏にある。ザッハートルテの元祖。
  • Demel 東京の表参道に支店あり。ザッハトルテで有名(デメルen:Demel)。旧皇室御用達 (k.u.k.)
  • Heiner ここも旧皇室御用達 (k.u.k.)
  • Central ペーター・アルテンベルクアルフレート・ポルガーエゴン・フリーデルなど多くの「カフェ文士」が愛用。ポルガーに『カフェ・ツェントラールの理論』なる文章がある。 
  • Griensteidl フーゴ・フォン・ホーフマンスタールなど多くの世紀末ウィーンの文人・芸術家が愛用。
  • Schwarzenberg 楽友協会やホテルインペリアルに近い。リンク沿いにある由緒あるカフェ。
  • Schottenring リンク通り沿いで最も歴史のあるカフェ
  • Alt Wien 内装など、文字通り古さを感じさせる店
  • Oberlaa 歴史は古くないが、ウィーン市内に多くの支店をもつ人気のカフェハウス。
  • Hawelka 旧市街の中心部にあり、開店以来内装を変更していないことでも有名。
  • Museum アドルフ・ロースによる開店当時の内装のままに復元されたカフェ。グスタフ・クリムトはじめ世紀末ウィーンの建築家や画家が多く出入りしていた。
  • Tirolerhof 自家製のアプフェルシュトゥルーデルが人気。
  • Mozart オペラ座裏。現在ブルグガルテンにあるモーツァルト像はかつてこのカフェの目の前にあった。
  • Bräunerhof ヴィトゲンシュタインが常連だったという。
  • Sperl

美術館・博物館

[[ファイル:Maria-Theresien-Platz in Wien.jpg|thumb|200px|ウィーン美術史美術館]] thumb|200px|美術史美術館 [[ファイル:HGM Wien.jpg|thumb|200px|ウィーン軍事史博物館]] ウィーンの歴史を反映して多数の美術館博物館がある。

関連項目

教育

[[ファイル:Univie.jpg|thumb|ウィーン大学]] 1365年創立のウィーン大学は現在のドイツ語圏で最古・最大の大学であり、教官や卒業生から11名のノーベル賞受賞者を輩出している。エゴン・シーレらの出身校であるウィーン美術アカデミーはヒトラーが受験して合格できなかったため、後に独裁者になる道を開いてしまったことでも知られる。アントニオ・サリエリが初代学長だった歴史があるウィーン国立音楽大学および、戦後市によって設立されたウィーン音楽院は多くの著名なクラシック音楽の演奏家を輩出している。この他に国立大学としてはウィーン経済大学ウィーン工科大学ウィーン農科大学ウィーン医科大学(旧ウィーン大学医学部)、ウィーン獣医大学グスタフ・クリムトの出身校であるウィーン応用美術大学がある。かつてウィーン大学医学部は医学研究において世界的な中心のひとつであり、日本からも斎藤茂吉らが留学した。しかし、第二次大戦後はユダヤ人学者が流出したことや鉄のカーテンにより東欧からの人材の流入がとまったことや、アメリカの大学が発展をとげたことにより、学問の中心としてのウィーンはその地位を失った。現在、再び東欧圏などからの学生の流入が多くなり学生数は著しく増加傾向にある。経済大学 (WU) はブラーターのメッセの南側に移転することが決定した。

従来のオーストリアでは大学は全て国立であったが、21世紀に入って私立大学 (Privatuni) を認める制度ができたため、多くの私立大学が設立されている。ウィーン音楽院(市立)やリンツのブルックナー音楽院のように既存の学校がこの制度で大学となったところも多い。

近年のオーストリアは科学技術立国の方向を強めており研究費のGDP比を増加させている。トップレベルの科学技術研究施設を目標に、Institute of Science and Technology Austriaを設立した。ウィーン郊外クロースターノイブルクに建設され、博士課程の学生およびポスドクを受け入れる。教育、研究は英語で行われる。

文化

音楽

ウィーンではモーツァルトベートーヴェンをはじめ、数多くの作曲家が活躍し、「音楽の都」と呼ばれている。

歌劇場・コンサートホール

[[ファイル:Wien Staatsoper.jpg|thumb|200px|ウィーン国立歌劇場]]

世界で最も有名な歌劇場の一つ。
オペレッタを上演する劇場。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地
ウィーン交響楽団の本拠地

演奏団体

関連項目

舞踏会

舞踏会の街でもある、ウィーンでは数多くの舞踏会がカーニバル(ファッシング)シーズン中に開かれている。

  • 皇帝舞踏会
  • 花の舞踏会
  • ウィーンフィルの舞踏会
  • オペラ座舞踏会・オーパンバル
  • カフェハウスオーナーの舞踏会
  • お菓子屋さんの舞踏会
  • 法律家の舞踏会
  • 仮面舞踏会

食文化

関連項目

スポーツ

オーストリア・ブンデスリーガに属しているサッカークラブ、FKアウストリア・ウィーンSKラピード・ウィーンが本拠地としている。

また、オーストリアを代表するスタジアムであるエルンスト・ハッペル・シュタディオンでは、UEFAの5つ星スタジアムとしてこれまでUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦が4度開催された。2008年6月にスイスとオーストリアの共催で開かれたUEFA欧州選手権2008 (EURO 2008) の決勝戦もここで行われた。   市民の娯楽としてスケートなども盛んであり、冬季は通常のスケートリンク以外に市庁舎前広場にスケートリンクが開場する。

ウィーンが舞台となった映画

ほか

姉妹都市

脚注

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関連項目

外部リンク

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公式
観光

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