やなせたかし

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やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩(読み同じ)、1919年2月6日 - )は、高知県香美郡在所村(→香北町、現香美市)出身の漫画家絵本作家イラストレーター詩人であり、聖公会クリスチャンである。日本漫画家協会理事長。有限会社やなせスタジオ社長。作曲家、デザイナー、舞台美術家、演出家、司会者、編集者、シナリオライターとしての活動歴もあり、作曲者としてはミシェル・カマという筆名を使う。

アンパンマン』の生みの親として知られ、サンリオから刊行されていた雑誌『詩とメルヘン』編集長(1973年 - 2003年)を長年務めた。現在は季刊雑誌『詩とファンタジー』に責任編集という形でかかわっている。

上記のように多彩な仕事を手がけているが、『アンパンマン』の人気が上がり売れっ子になった時はすでに50代後半になっており<ref>アンパンマンの人気は徐々に上がっていったので、人気漫画家になった年代をもっと遅く捉えることもできる。本人は「 僕は70歳間近になって、やっとヒットした超遅咲き」と語っている。</ref>、漫画家としては大変に遅咲きである。

目次

略歴

高知県生まれ。東京朝日新聞の特派員だった父がアモイで亡くなり5歳の時、両親の郷里・高知県に移る。後免野田組合小学校(現南国市立後免野田小学校)、高知県立高知城東中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、東京高等工芸学校図案科(現千葉大学工学部デザイン学科)卒業。田辺製薬宣伝部に職を得る。

1941年徴兵され、野戦重砲兵として日中戦争に出征する。乙種幹部候補生に合格し、主に高等司令部において中国人・中国兵向けのプロパガンダ宣伝ビラ(伝単)の制作を担当した。最終階級は陸軍軍曹。

終戦後はクズ拾いを経て高知新聞記者になり、後に夫人となる小松暢と出会う。1947年に上京、三越宣伝部のグラフィックデザイナーになり、三越在社中に漫画集団に所属、副業で漫画家をしていた。三越では、包装紙「華ひらく」(図案は猪熊弦一郎)に書かれた「mitsukoshi」のレタリングを手掛ける。ストライキを機に三越を辞め34歳で専業漫画家となった。

独立はしたものの漫画家としてはなかなか芽が出ず、漫画やイラストの仕事よりも舞台装置の製作や放送作家作詞家としての仕事の方が多かった<ref>あとぴナビ/スペシャルインタビュー</ref>。作詞家としては、いずみたく作曲のポピュラー・ソング『手のひらを太陽に』の仕事が有名。性教育用語「ワレメちゃん」を、『ウルトラQ』脚本家北澤杏子とともに考案した事でも知られる。

1966年、山梨シルクセンター(現サンリオ)の辻信太郎社長の薦めで出した詩集『愛する歌』で詩人としてデビュー。以後、大人向けの詩集や絵本を次々に刊行し、1973年には『詩とメルヘン』を立ち上げた。同年出版した子ども向け絵本『あんぱんまん』が転機となり、現在は主に子ども向けの童話や絵本で知られる。

香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」が1996年7月に、同「詩とメルヘン絵本館」1998年8月に出身地である高知県香美市に開館した。2008年東京国際アニメフェア2008 第4回功労賞表彰受賞。最近では、高知県・須崎市の新名物・鍋焼きラーメンのイメージキャラクター・なべラーマンと、かわうそのカウちゃんを、須崎商工会議所から、鍋焼きラーメン・Xプロジェクトに賛同してほしいという要請を受けて、制作している。

エピソード

  • 血液型AB型
  • 暢夫人との間に子供は無く、アンパンマンを二人の子供であるとしている。<ref>アンパンマンの遺書</ref>
  • 称号東京都新宿区名誉区民
  • 絵柄はエルジェの影響を受けている<ref>マンガ家インタビュー | 京都国際マンガミュージアム</ref>。
  • 高校の先輩である横山隆一から大きな影響を受けた(中学時代、横山隆一の妻の弟と席が隣同士だった)
  • 少年時代は数学が苦手だった。
  • 朝食はパン食に徹している。本人曰く「御飯では胃がもたれるから必ずパンにしている」との事。又、パンは自家製で、製パン機を所有している。パンと一緒にけんちん汁(本人は「けんちんスープ」と称している)も作って食べている。
  • 手塚治虫とは1960年代から手塚の晩年に至るまで親交があり、やなせは手塚が虫プロダクションで制作した劇場アニメ『千夜一夜物語』(1969年)に美術監督として参加し、キャラクターデザインも手がけた<ref>手塚治虫アニメワールド</ref>。手塚はそのお礼として、やなせの原案によるアニメ映画『やさしいライオン』を制作している(大藤信郎賞を受賞)<ref>虫プロスタッフだった真佐美ジュンのブログによる[1]。</ref>。2009年に江戸東京博物館で開催された「手塚治虫展」では、
    「ぼくが学んだのは、手塚治虫の人生に対する誠実さである。才能は努力しても、とてもかなわないが、誠実であることはいくらかその気になれば可能である。もちろん遠く及ばないにしても、いくらかは近づける。手塚治虫氏はその意味でぼくの人生の師匠である。」
    というやなせのコメントが紹介された(やなせは手塚より9歳年長である)。

代表作

童話・絵本

  • 十二の真珠
  • アンパンマンシリーズ
  • ニャニがニャンだー ニャンダーかめん
  • リトル・ボオ
    • 高島屋の通販カタログに連載されていた、1ページ漫画。リトル・ボオという帽子を目深に被ったキャラクターが、悪者からドタくんとバタコさんを救うストーリー。基本線はアンパンマンと似ている。また、ここに登場するバタコさんは、『アンパンマン』に登場するバタコさんとうり二つだが、名前の由来が異なっている。『アンパンマン』に登場する「バタコさん」がバターが由来であるのに対し、こちらは「ドタバタ」が由来となっている。
  • やさしいライオン(1975年フレーベル館
  • ルルン=ナンダーのほし(1976年講談社
  • チリンのすず1978年、フレーベル館)
  • ちいさなジャンボ
  • バラの花とジョー
  • ガンバリルおじさんとホオちゃん

キャラクターデザイン

作詞

  • 手のひらを太陽に(作曲 いずみたく)
  • 星の炎に(作曲 いずみたく)(テレビアニメ『宇宙エース』主題歌)
  • 勇気の歌(作曲 藤家虹二
  • しあわせよカタツムリにのって(作曲 信長貴富
  • 天使のパンツ(作曲者 天井正、編曲者 小森昭宏
  • 夕やけに拍手(第42回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲)
  • 花と草と風と(作曲 蒔田尚昊)(第52回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲)
  • 海と涙と私と(作曲 木下牧子)(作曲 泉周二)
  • ひばり(作曲 木下牧子)
  • ユレル(作曲 木下牧子)(作曲 泉周二)
  • ロマンチストの豚(作曲 木下牧子)(作曲 泉周二)
  • さびしいカシの木(作曲 木下牧子)(作曲 泉周二)
  • 新宿区立新宿養護学校校歌「ひまわりの歌」(作曲 山崎唯)
  • 誰かがちいさなベルをおす
  • しろいうま(作曲・編曲:タテタカコ
  • うなぎ小唄(作曲 ミッシェル・カマ)
  • 星の木の下で(作曲:ミシェル・カマ 編曲:タテタカコ)

それいけ!アンパンマン

  • アンパンマンのマーチ
  • 勇気りんりん
  • 勇気の花がひらくとき
  • 生きてるパンをつくろう
  • いくぞ!ばいきんまん

自伝

出演

出典

<references/>

関連項目

外部リンク

インタビュー

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