はっぴいえんど
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Template:Infobox Musician はっぴいえんどは、日本のロックバンド。
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来歴
小坂忠、柳田ヒロらとともに結成したバンド、エイプリル・フールを脱退した細野晴臣と松本隆、そして大瀧詠一と鈴木茂が出会い、1969年にバレンタイン・ブルーという名前でバンドが結成された。1970年4月にハッピーエンド、さらに平仮名表記のはっぴいえんどとバンド名は改名される。
活動期間中に、URCレコードからアルバム『はっぴいえんど』『風街ろまん』、ベルウッドレコードから『HAPPY END』を発表している。1972年末に惜しまれつつ解散したが、1973年の文京公会堂と、1985年の国立競技場で再結成のライブを披露している。
概要
バンドの作詞担当であった松本隆が、ダブルミーニングなどの技法を積極的に歌詞に取り入れ、日本語ロックと呼ばれた独特の世界を構築。松本は後年、ジャックスの楽曲「からっぽの世界」の歌詞に影響を受けたことを公言し、この曲がなければはっぴいえんどはなかったかもしれないという趣旨の発言をしている<ref>『TJ MOOK 聴け! 伝説の日本ロック1969-79』(宝島社、2004年、ISBN 4-7966-3862-8)p.32</ref>。ちなみに大瀧と細野は音楽性を重視していたため、ロックに日本語の歌詞をつけるこの提案に反対したらしい。またサウンド面においてはアメリカのバッファロー・スプリングフィールドや、モビー・グレープに影響された先進的な音であった<ref>もっともこの時期には、日本でもすでにプログレッシブ・ロックが注目されており、バッファロー・スプリングフィールドは過去のものとなりつつあった節がある。しかし、1970年の洋楽専門雑誌では、特集で彼らが回顧されており、その音が全くの時代遅れではなかったことがわかる</ref>。メンバーは宮沢賢治に影響を受けており、その世界観が音楽性にも影響している<ref>劇場アニメ『銀河鉄道の夜』(LD解説書の細野の発言)</ref>。
しかし、ブリティッシュロックの人気が絶頂期を迎えつつあった当時の日本において、これらのバンドはほぼ無名であり、音楽性としてもマニアックであったため、評論家や一般のロックファンの評価は決して高くはなかった<ref>現在においてもはっぴいえんどの再評価はロックのフィールドではなく歌謡曲やJ-POPのフィールドでされることが多い。</ref>。にも拘らず、このような音楽性を標榜したのは、ブリティッシュロックはアメリカのロックをコピーして生まれたイギリスオリジナルの音楽であるため、日本のロックを作るためにはアメリカのロックをやらなければならないという考えがあったからだという<ref>細野がアメリカ音楽からの影響を強く受けていた事や、単に売れている物を否定するというアンチの精神もある。</ref>。はっぴいえんどがとった方向性は後続のバンドに少なからぬ影響を与え、葡萄畑や乱魔堂、センチメンタル・シティ・ロマンスなどの後継者を生んだ。
また、今でこそシングルとアルバムのバージョンを違えたりリミックスすることは一般的になっているが、シングルカットする際にはアルバムの音源を使うのが通例だった当時において、彼らはすでにシングルとアルバムのバージョンを変えて発表していた。なお、シングルがキングレコードから発売されたのは、当時キングレコード社員だった三浦光紀がはっぴいえんどに注目し、『12月の雨の日』のシングルバージョンのレコーディングスタジオにキングスタジオを提供したためである。
代表曲「風をあつめて」は、2003年に米国映画『ロスト・イン・トランスレーション』でも取り上げられた。
遠藤賢司、岡林信康、加川良、高田渡、小坂忠らのバックバンドとしても、コンサートやスタジオ録音などを行っている。
メンバー
- 細野晴臣(ほその はるおみ)
- ベース、ヴォーカル担当。楽曲によってはピアノやオルガンなども演奏する。東京都港区出身。
- 大瀧詠一(おおたき えいいち)
- ギター、ヴォーカル担当。岩手県江刺郡梁川村(江刺市を経て、現奥州市)出身。
- 松本隆(まつもと たかし)
- ドラムス担当。東京都港区出身。
- 鈴木茂(すずき しげる)
- ギター、ヴォーカル担当。東京都世田谷区出身。
作品
シングル
説明のない曲はアルバムと同音源。
- 12月の雨の日/はいからはくち (1971年4月1日)
- 両曲ともアルバムとは別バージョンで、このシングルバージョンは、現在「はっぴいえんどBOX」の『はっぴいえんど』『風街ろまん』のボーナストラックと『SINGLES HAPPY END』で聴ける。なお、「12月の雨の日」のシングルバージョンは、8トラックレコーダーで録音されており、アルバムバージョンは、4トラックレコーダーで録音されている。
- 花いちもんめ/夏なんです (1971年12月10日)
- さよならアメリカ さよならニッポン/無風状態 (1973年2月25日)
- あしたてんきになあれ (1999年11月26日)
- 「あしたてんきになあれ」「風をあつめて」「あやか市の動物園」収録。「あやか市の動物園」は第2回全日本フォークジャンボリー(1970年8月9日)でのテイク。なお、シングルカットの理由は宝島社の雑誌「SMART」のCMソングに起用されたためである。
アルバム
ベストアルバム
- CITY - HAPPY END BEST ALBUM - (1973年9月10日)
- 収録されている「はいからはくち」は小坂忠をコーラスに迎えた未発表バージョンである。
- SINGLES (1974年6月25日)
ライブアルバム
- ライブ・はっぴいえんど (1974年1月15日)
- THE HAPPY END (1985年9月5日)
- 1985年6月15日に国立競技場で行われたイベント「ALL TOGETHER NOW」での再結成ライブ。
- はっぴいえんど GREEEATEST LIVE! ON STAGE (1986年7月15日)
- はっぴいえんど LIVE ON STAGE (1989年8月25日)
- CDでのみ発売。「第2回全日本フォークジャンボリー」(1970年8月9日)、「ロック・アウト・ロック・コンサート」(1971年8月21日)、「加橋かつみコンサート」(1971年4月14日)、「第3回全日本フォーク・ジャンボリー」(1971年8月7日)での演奏を収録。
トリビュート・アルバム
- はっぴいえんどに捧ぐ (1993年9月9日、再発: 2004年11月3日)
- HAPPY END PARADE〜tribute to はっぴいえんど〜 (2002年5月22日)
- はっぴいえんどかばあぼっくす (2002年5月31日)
- 5枚組CDボックスセット。はっぴいえんどが現役当時に発表した3枚のスタジオアルバムと1枚のライヴアルバムを、山本精一、大友良英などの様々なアーティストが全曲カバーしている(参加アーティストの多くは、本ボックス発売元のOZ discに所属)。さらにボックスセット収録の未発表曲までカバーされている。ライヴアルバム「ライブ・はっぴいえんど」のカヴァーについては、1973年9月21日に行われたライヴ「CITY - LAST TIME AROUND」を、2002年1月10日に同じ文京公会堂(現・文京シビックホール)にて完全再現またはカバーを行っている。ライヴアルバムに未収録となっている「CITY - LAST TIME AROUND」参加アーティストの曲もカバーされている。それらのカバーは「-はっぴいえんどかばあぼっくす外伝-素晴らしき船出かな」に収録されている。ボックスには収蔵されていない。また、「レア・トラックス」と題されたボーナスCDには、はっぴいえんどが当時ライヴで演奏していた曲のカバーが収録されている。Oz discで予約注文および注文を行うと、はっぴいえんどのシングル3枚をカバーしたアナログシングル盤3枚と、ベスト盤「CITY」のカヴァーを収録したCD-Rが特典として配布された。
ボックスセット
- HAPPY END (1993年5月25日)
- はっぴいえんどBOX (2004年3月31日)
- ボックスセット。オリジナル・アルバム『はっぴいえんど』『風街ろまん』『HAPPY END』、ライブアルバム『ライブ・はっぴいえんど』『THE HAPPY END』と、はっぴいえんどがバックで演奏を務めた楽曲を集めた『バッキング音源集』、未発表ライブ音源を多数収録した『ライブ・ヒストリーvol. 1』『同vol. 2』がセットになっている。
関連作品
- はっぴいえんど (1983年6月)
- センチメンタル・シティ・ロマンスによるカバー・アルバム。彼らのファースト・アルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』(1975年)には細野がチーフ・オーディエンスとしてクレジットされている。
- ひっぴいえんど(2009年2月18日)
- 元サディスティック・ミカ・バンドの加藤和彦とアルフィーの坂崎幸之助のユニット「和幸」(かずこう)の2枚目のアルバム。はっぴいえんどのバンド名や曲名、アルバム名をもじった「ひっぴいえんど」、「タイからパクチ」、「ナスなんです」、「あたし元気になれ」、「花街ロマン」という曲が収録されている。通常盤(COCP-35382)とDVD付限定盤(COZP-354)の2種類が存在する。