ちばてつや

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Template:Infobox 漫画家 Template:漫画 ちば てつや(本名:千葉 徹彌、男性、1939年1月11日 - )は、日本漫画家文星芸術大学教授。東京府(現:東京都)出身。血液型O型。漫画家のちばあきお漫画原作者七三太朗は実弟。息子にイラストレーターの千葉修平

代表作に『あしたのジョー』(高森朝雄=梶原一騎原作)、『あした天気になあれ』などがある。

日本大学第一高等学校卒業。

目次

略歴

1939年東京築地生まれ<ref>佐藤正弥編著 『データ・バンク にっぽん人』 現代書林、1982年、196頁。</ref>。生後すぐに日本を離れ、2歳の時に、旧満州・奉天(現中国・遼寧省瀋陽)に渡る。1945年、同地で終戦を迎え、敗戦に伴い、暴動や略奪などが相次ぐ社会的混乱の中、生と死が隣り合わせの過酷な幼少時代をすごした。翌年、家族共々、日本に引き上げ、千葉を経て、東京、墨田区小梅町に移り住んだ。

小学生の頃に本格的に漫画を描き始め、1950年には同人誌「漫画クラブ」に参加、高校在学中に知人の紹介により、貸本を手がけた事から、1956年「復讐のせむし男」で漫画家生活をスタートする。1958年には活躍の場を貸本から一般雑誌と移し、講談社の漫画雑誌を中心に少女漫画「ママのバイオリン」から野球漫画「ちかいの魔球」まで、少女漫画から少年漫画まで幅広く活躍。熟練したストーリーセンスに加え、ユニークで魅力的な登場人物が評判を呼び、1962年には「1・2・3と4・5・ロク」で講談社児童まんが賞を受賞し、人気漫画家としての地位を確立した。なお2008年に週刊ヤングマガジンで掲載した「トモガキ」によれば、幼い頃から弟あきおと共に他の人に電気アンマをかます習慣があったらしく、「ママのバイオリン」連載中にも当時の担当者に電気アンマをかました際に蹴飛ばされて窓ガラスに突っ込み、ガラスの破片で腕の腱を切るなどの大怪我を負い、一時漫画が描けなくなっていた。締切りが迫っていた最中の出来事だったので、締切りに間に合せるべく、当時の担当者が赤塚不二夫石森章太郎を始めとしたトキワ荘のメンバーに代筆を依頼した。当初は渋られていたものの赤塚らは代筆を承諾、メンバーの協力により「ママのバイオリン」は無事完成、そして掲載されることとなった(完成作品を見て、自分が描いている物とほとんど変わらないとちばは感動していた)。この出来事以降、ちばはトキワ荘のメンバーと交流を深めていくこととなる(当時は寝ぼけて怪我をしたと話しており、電気アンマをしていたからと明かしたのはそれから40年後だったという)。

その後も「紫電改のタカ」、「ユキの太陽」などヒット作を手がけ、1965年に発表された「ハリスの旋風」はテレビアニメ化され、注目を集めた。1968年には劇画作家、梶原一騎と組み、ボクシングを舞台とした「あしたのジョー」を発表。同作品は爆発的なヒットとなり、連載されていた『週刊少年マガジン』の発行部部数を飛躍的に伸ばしたほか、一躍社会現象とまでなった。

その後は、角界を舞台にした「のたり松太郎」や、プロゴルフを舞台にした「あした天気になあれ」などスポーツ漫画のヒット作に加え、幅広い作品を発表。1980年にはこれまでの功績を称え、講談社主催のちばてつや賞が設立された。

近年では、ゴルフ好きということもあり、『GOLFコミック』表紙イラストなどの執筆活動をしている。それと並行して、社団法人日本漫画家協会常務理事や各国で開催される『第5回アジアMANGAサミット』実行委員長に就任し、漫画文化の担い手として活躍する一方、2005年からは文星芸術大学でマンガ専攻の教授を務め、後進の育成に力を注いでいる。

表現の自由に関する問題にも関心が高く、東京都青少年の健全な育成に関する条例‎改正問題に関しても何度も積極的に発言している。

受賞歴

作品リスト

アシスタント

脚注

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関連項目

外部リンク

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